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 コナンの解説に従い、大旦那の肖像画を回して現れた隠し通路を上って行った西川を見送り、ひじりはため息をつくと鉄パイプを投げ捨てた。
 コナンと博士を傷つけた分を返そうと思ったのだが、“宝”を見た彼女の末路を思うとそんな気にはなれない。それに、言う機会はありながら教えなかったのだ。それを代わりにしよう。


「…博士、傷は?」

「うむ。哀君が手当てしてくれたし、大丈夫じゃよ」


 にこりと笑う博士に、ひじりは無事でよかったと小さく息をついた。





□ 孤城 6 □





 “宝”を確かめコナンと共に降りてきた西川は、本物の老婆のようにすっかり生気をなくしていた。
 その1時間後に博士が呼んだ警察が到着し彼女は連行され、睡眠薬でぐっすり眠ってようやく目を覚ました子供達は、コナンと博士を助け出した3人にぶーぶー言っていたが、起こしても起きなかったんだからしょうがねーだろ?としれっと嘘をついた快斗が宥めた。
 貴人と満も起き出し、事情を話して大旦那の残した宝のことも話せば、満は残念がっていたが、西川が逮捕されたことを聞いて貴人はほっとしていた様子だった。彼はやはり4年前の事故を不審に思っており、城に留まって調べていたようだ。


「ふー…」


 快斗は事件が終わって長く息を吐き出す。
 コナンと博士は怪我を負ったものの生きていたし、西川も逮捕された。
 結局一睡もしなかったが、赤井との訓練で3日目までは動けるようしごかれていたお陰で問題はない。


「……ねぇ」


 子供達と博士、そしてひじりから少し離れて歩いていると、ふいに横から声をかけられて見下ろせば哀がいた。
 灰原哀。元組織の一員で天才科学者。赤井の元恋人の妹。今は彼女自身が研究・開発した薬により幼児化している。
 そしてその事実を、オレは一切知らない。一瞬で頭の中に情報をよぎらせて掻き消し、腰を屈めて視線を合わせる。


「どうかしたか、哀…あー、じゃなくて、灰原さん」


 そういえば哀と別行動を取る際、どさくさに紛れて哀と呼び捨てにしてしまっていたような。
 ひじりが彼女を哀と呼ぶからついつられていた。快斗が苦笑して頭を掻くと、哀はくすりと可愛らしい笑みを浮かべる。


「いいわよ、哀で」

「え?」

「その代わり、私も快斗君って呼ばせてもらうわ」

「あ、ああ…別にいいけど」


 自分は別にどう呼ばれようと構わないので頷く。思ってもいない許可だが、せっかくもらったのだからもらっておく。
 それで、いったい何の用だろう。首を傾げると哀は笑みを消し、小学生にあらざる目で快斗を射抜いた。


「あなた、彼女のことどこまで知っているの?」

「……ひじりさんのことか?どこまでって言われても、ひじりさんが5年前の事件の被害者で、最近まで誘拐されてたってことくらいだ。ひじりさんは…何も、話してくれねーからな」

「それなのに、彼女を選ぶの?私が言うのも何だけど、ひじり、結構曲者よ?」


 哀の忠告とも言えるべき言葉に、快斗は苦笑してひじりの背中を見た。
 そんなことは解っている。彼女は自分からは口を開こうとはしなかった。護ってほしいとただそのひと言ですら、決して口にしなかった。
 簡単にはいかない。手を離せばふっと消えてしまう。黒曜の煌めきを、黒い手が塞ごうとする。


「それでも─── オレは、ひじりさんがいないとダメなんだ」


 死んでほしいと愛の言葉を囁かれて、それを受け入れてしまったから。自分もまた、彼女の傍で死ぬまで生きたいと願ったから。ひじりがいなくなったら、快斗もまた、いなくなる。
 切ないけれど覚悟を宿した青い目を正面から見て、哀はひとつため息をこぼした。


「とんだ惚気ね」

「いや、そういうつもりじゃ…」


 歩き出した哀に続いて快斗も歩き出す。ついて来ない快斗を訝ったのかひじりの無表情がこちらを向いた。それに手を振って駆け寄り、ひじりの手を取って包みこんだ。
 哀がひじりを挟んだ反対側に並んで口を開く。


ひじり、快斗君を大切にしなさいよ。滅多にいないわよ、これだけ馬鹿で一途な男」


 いや、馬鹿って結構ひどい。
 内心で少し傷ついているとひじりが即座に頷く。


「もちろん。私も同じかそれ以上に馬鹿で一途だけど」

「2人揃って惚気るのやめてくれるかしら」

「ごめん。それで哀、いつの間に快斗を名前で呼んでるの?」

「あら、気になる?」


 ひじりの問いに哀が意地悪げに笑う。
 もしかして嫉妬してくれたのかなという小さな期待は、「いや別に」とすっぱりひじり自身に否定された。キッドのときもそうだし、愛されているのは十分に分かるが、もうちょっとこう何と言うか。


「……冗談よ。快斗君が私を名前で呼ぶから、代わりに呼ばせてもらってるだけ」

「成程納得」


 小さく肩を落とす快斗を憐れんだのか、哀が小さくため息をついて答えた。
 そういえばひじりは5年間名前で呼ばれることがなかったから、今更名前に関しては執着しないのかもしれない。
 自分に言い聞かせてうんとひとつ頷いた快斗は、しかし次にひじりから投下された爆弾に顔を真っ赤にさせられることになる。


「いつだったかのように、快斗も私を呼び捨てにすればいいのにって思っただけだよ」

「……!!!」


 ああ、そういえばそうだった。
 いやでもあのときの自分はキッドが偽っていた姿で、いやでもあれはオレでもあって、だからオレが呼び捨てにしたわけであって。
 ぐるぐる考えながらも、結局ひじりを呼び捨てにしたのは間違いなく自分なのである。

 顔を真っ赤にする快斗としれっとして表情を変えないひじりを交互に呆れたように見て、哀はさっさと前を歩き出してしまった。付き合いきれなくなったのだろう。


ひじりさん、あの、オレっ」

「あのときのことはノーカンにしとくから」

「あ、はいありがとうございます」


 ついお礼を言ってしまう快斗である。
 惚れた弱みとはいえ、もう少し振り回されずにいたいものだが、真っ赤になってしまう顔ともつれる舌はどうしようもない。
 もちろんちゃんとした場でなら取り繕うこともできるが、今はそんな必要がないし、何だか快斗の反応を見てひじりが楽しそうなのだからいいかと思ってしまう。
 たまにはひじりの赤い顔を見てみたい。名前を呼んでみたら赤くなるだろうか。


「あの!」

「?」

「その、えっと…ひじり───……さん」

「うん」

「すみませんもう少し待ってください」

「うん」


 チャレンジして撃沈した快斗にひじりがふっと小さく笑う。
 最近、ひじりは快斗の前ではよく笑うようになったと今更気づいた快斗は、焦らなくてもいいかと思い直した。
 いつか満面の笑みも見てみたい。いやけどそんなもの見た日にはたぶん昇天する。

 門の前に立つ頃には顔色を気合いで元に戻す。子供達に手を繋いでいることを冷やかされたがそこは流した。
 その中でコナンが半眼で見てくるのに気づき、そういえば、と思い当たる。


(哀は薬を飲んで幼児化したんだったよな……コナンも……まさかなぁ?)


 工藤新一が組織と関わって薬を飲んで体が縮んだなんて、そんなまさか。
 乾いた笑みを内心で浮かべながら、しかしコナンの小学生にあるまじき態度や頭脳、そして以前ロッジで見た推理を思い出して否定しきれない。

 ひじりに聞いても教えてくれないだろう。なのに哀のことは教えてくれた。
 ということは、領分が違うのかもしれない。コナンにはコナンの領分があり、だからこちらの事情も教えていない。
 知りたければ気づいて確信を得ろということだろう。答え合わせには応じてくれるだろうから。


ひじりさん、まさかコナンまで体が縮んでる、とかじゃないですよね?」

「さぁ…?どうだろうね」


 こそりとした問いを、ひじりはつれなくかわす。
 答え合わせには応じるが、証拠がなければ答えないということだろう。
 証拠と言っても、オレは工藤についてあまり詳しくないんだけど、とした呟きは胸の内だけに留めた。



 孤城編 end.



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