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 地下通路は思った通り広い。これではマス代をおびき出すのにもひと苦労かもしれない。


「何だこの城……隠し通路だらけだ」

「蘭なら確実に迷子だね」


 いや、蘭でなくともこれは迷うかもしれない。
 一応頭の中に地図を描きながら、ひじりはため息をついた。





□ 孤城 5 □





 どれだけ歩いただろう。辺りを見渡したり通路の先へ行ってみて外を確認したりしながら歩いているので、2人の進みはあまり速くない。
 そろそろマス代も気づいてこちらに向かっている頃だろうか。哀はコナンと博士を見つけられたか。


「……あ。快斗、この扉森の中に出るよ」

「本当だ。きっとこの地下室に例の新人の使用人を閉じこめて、餓死させてからここから運んだんですね」


 ひとつ隠し扉を開ければ目の前に夜の森が広がり、閉めながら快斗が苦い顔をする。
 この隠し通路は、いったい何なのだろう。大旦那の個人的なものにしては造りが古いし意図が分からない。
 また敢えて足音を立てながら歩いていると、ふいに少し離れたところに気配が立った。ひじりがそっと快斗に寄り、察した快斗が呼吸を整える。


「目が慣れててもやっぱりよく見えませんね……ライト、点けます?」

「そうだね、そろそろ見知った場所に出ればいいんだけど」


 暗視スコープを外し、腕時計のライトのスイッチを入れる。ライトで周囲をぐるりと照らすと、少し先の壁あたりに人影が見えた。

 ─── あれは、まさか。

 快斗が先に動かない人影に寄り、ひじりがその後ろに隠れるようにして続く。ひたひたと後ろから近づいてくる気配を感じながら素早く今の地理を頭の中に描いた。


ひじりさん、これ……骸骨?」

「たぶん、あの階段の文字を掘ったのはこの人。コナンに見られたからここに移動したんだろうけど…。……快斗、この人、他の部分に比べて足の骨だけが細い」

「それに…骨から年齢を推定すると、やっぱりなりすましたのは───」

「─── どうしたんだい、お嬢さんに坊や…」


 ぴりっと背筋を撫でる嫌な気配。ひじりはスタンガンのボタンに指をかけ、驚いたふりをして振り返った。
 そこにはやはり、思った通りマス代が立っていた。─── そう、立っていた。足が悪く、車椅子が必要なはずの彼女が。


「おや?もう1人のお友達はどこかえ…?」

「お婆さん…すみませんがオレは、坊やなんて歳じゃあないんです、よ!」


 言いながらマス代に体当たりし、快斗はひじりの手を取ると走り出した。全速力ではない。彼女が追いつけるだけの速度だ。


「快斗、私達が今どこにいるか判る?」

「ええ、もう少ししたら玄関の広間に出る道があるはずです」


 流石、とこぼして後ろを振り返る。慌ててマス代が起き上がって駆けて来るが、これでは途中で振り切れそうだ。
 少し考え、ひじりは躓いたふりをして転んだ。もちろん受け身を取って。


「わっ!」

ひじりさん、大丈夫ですか!?」

「うん、ごめん…」

「早く!」


 ひじりの演技に合わせ、快斗もまた焦ったふりをしながら引き起こしてくれる。こんなときでも快斗は優しく丁寧なのだから、快斗も結構余裕である。


「……わざとらしかったかな?」

「いえ、上出来ですよ」


 さて、とマス代を一瞥して2人共また走り出す。広間に出たらコナンと博士の分を払ってもらおうと腹の中で考えながら。


ひじりさん、こっち!」


 快斗が手を引いた方に走り、急な階段をひじりを前にして駆け上がる。
 天井の石を思い切り押すとガコッと鈍い音を立ててあっさり開き、ひじりは広間の床から出た。


「快斗!」


 少し遅れて駆け上がって来た快斗に手を伸ばす。快斗が手を取り、ぐいとひじりが腕を引けば、鉄パイプを持ったマス代が釣れた。
 マス代はがしりと快斗の足を掴み、嫌な笑みを浮かべる。ひじりがスタンガンのボタンを押しながら訊いた。


「あなたの狙いは、この城の宝?」

「そうとも…それ目当てでこの城に来たことがあのババアにばれてクビにされそうになったからすり替わったのさ…」

「オレ達もあの人と同じように隠し通路に閉じこめる気か?」


 ひじりを背に庇うようにして快斗が静かにマス代を見上げる。その顔に一切の焦りも恐怖もないことに戸惑ったマス代だったが、すぐに自分の有利を思い出して笑みを深めた。


「安心をし…あのババアのようにいつまでも暗い地下に放ってはおかないよ。気絶させて2,3日経ったら、友達と一緒に森の中に並べてあげるさぁ。
 ─── 頬がこけて、とびっきりのスマートさんになったらねぇ」


 マス代が鉄パイプを振り上げ、快斗が腕を翳しひじりがスタンガンを閃かせる。
 だがそれよりも早く、勢いをもって何かが飛んできた。


 ドカッ!


「つっ…!」


 カン、と軽い音がして飛んできた何か─── バケツが床に転がる。同時にマス代の手から弾き飛ばした鉄パイプも転がり、それを見た快斗はふっと笑みをこぼして足を掴むマス代の手を振り払った。
 ひじりがバケツが飛んで来た方を見上げる。そこには期待した通りの姿があり、やわらかく目を細めた。


「やめなよ…無理なダイエットは悪趣味だぜ?」

「それに、その2人にはそんなこと必要ないんじゃない?」


 貞昭の肖像画の前の手すりに腰掛けながらコナンが不敵に笑い、コナンの隣で頬杖をついて哀がくすりと笑みをこぼす。
 快斗の手を取って立ち上がり、ひじりはスタンガンのスイッチを切るとロックをかけた。代わりに鉄パイプを拾ってカン!と床に打ちつければ、マス代がびくりと肩を揺らし、ひじりを気にしながらコナンを驚愕の眼差しで見上げる。


「き、貴様どうして…」

「灰原のお陰さ!オレの眼鏡の追跡機能を使って、博士のバッジを頼りにオレ達の監禁場所を発見し、縄を解いてくれたんだ」


 コナンがマス代にご丁寧に教えてあげ、な!と哀に顔を向けると、哀は目を細めて笑いひじりと快斗を見下ろす。


「ええ…そこのバカップルが痴話喧嘩なんかしてたから、仕方なくね」

「痴話喧嘩って…」


 快斗が苦笑して頭を掻く。結構真面目なやりとりだったのだけれど。
 くそ、と悪態をついて逃げようと後退るマス代に、退路を塞ぐように後ろから博士が現れて声をかけた。


「おっと!逃げても無駄じゃよ、行方不明で元召使いの西川 睦美むつみさん?」


 どうやら博士は哀に助け出されたあと知り合いの整形外科医に問い合わせたようで、「わざわざ老婆に整形した客の話を聞いたことがないか?」と訊いてマス代─── 否、西川の正体を掴んだらしい。
 そうまでして、この城の宝が欲しかったのか。ひじりは鉄パイプを握り締める手に僅かに力をこめた。
 西川はフンと不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「そこの小娘と小僧も私がすり替わってたことに気づいてたようだが……お前達、なぜ分かった?」

「10年間城にこもりっぱなしで、旅行もしなかったはずですよね、大奥様は」

「だったら、少し前にサイズが変わったパスポートに不便さを感じるわけがない」

「でもまさかその顔を保つために、外国に何度も足を運んでいたとは思わなかったけどな」


 西川の問いに、ひじり、快斗、コナンがそれぞれ答える。
 満がこぼさなければ、もしかしたらあの骸骨を見るまで大奥方とすり替わったことには気づかなかったかもしれない。
 見破られていた西川はしかし捕まる気はさらさらないようで、地下通路を熟知している私を捕まえることはできないと断言して、背後の隠し通路への扉を燭台を動かし開いた。だがコナンはそれに焦ることはせず、「あらあら」と軽い声を上げる。


「そりゃー残念だ。オレはあんたが知りたがってた、とっておきの通路を知ってるんだけど…」

「何!?ま、まさか庭のチェスの駒の暗号が解けたのか!?」


 自分の正体が見破られたとき以上の驚愕に目を見開く西川に、コナンは「ああ…」と不敵な笑みを返した。
 西川はこの城の宝が欲しくて何人もの人間を殺した。暗号が解けたということは、コナンも“宝”を目にしたはずだ。

 マジックショーを終え、哀との待ち合わせ時間が来るまで時間があった。その間に2人は謎を解き終えて“宝”を確認済みである。
 それは西川が望むようなものでは、決してなかったけれど。






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