72
森の中の大きな城。
広い庭にチェスの駒。
4年前の大火事により焼け焦げた塔。
大旦那が残した宝の在り処を示した謎。
そして感じる、不穏な気配。
(何事もなければいいんだけど)
ぼそり、
ひじりは心の中で呟いた。
□ 孤城 2 □
「
ひじりさん、それもしかして…」
何か思いついたのか、快斗が何か言いかけた、そのときだった。
「ちょっとー2人共何やってんのよ───!!」
歩美の焦燥に満ちた声が響き、
ひじりより先に快斗が窓から隣を覗きこみ、すぐに身を翻すと部屋を出て行った。少し遅れて同じように見れば、身を乗り出しすぎたのか、落ちそうになっていた元太を快斗が首根っこ掴んで部屋に引きずりこむ。
「コラ!あんま迷惑かけんじゃねーよ!」
「「ご、ごめんなさい…」」
「あのバカ…!」
快斗の叱る声と2人の謝る声がして、コナンも部屋を飛び出ると隣の部屋へ向かう。それと入れ替わりに快斗が戻って来る。その顔はやや呆れ気味で、ったくあのガキ共、ともうひとつため息をついた。コナンも説教に行ったようだし、そう怒ってやるなと肩を叩く。
「ところで、さっき言いかけたのは?」
「ああ、えーと。ほら、ナイトがお互い向かい合ってたじゃないですか。だったら、見る向きがこうなるんじゃないかって」
言いながらメモを90度左に動かす。チェスは基本、黒が上で白が下。
そのあとどうすればいいのかはまだ分からず2人で顔を突き合わせていれば、ふいに
ひじりの目にバラバラの位置の白い駒が目に入った。
横一列も重なっていない駒。チェスに関してはそこまで詳しくないが、将棋と同じように縦と横で読み方があるのかと快斗に問おうとすれば、瞬間、ぴりっと首筋に走った気配にイスから立ち上がった。快斗が目に鋭さを宿して壁の方を見る。
ひじりは快斗と顔を見合わせた。快斗を先導にして部屋を出て行き、隣の部屋へと走るとちょうど飛び出て来た元太と光彦に軽くぶつかった。
「…っと」
「あ、快斗さんに
ひじりさん!」
「兄ちゃん大変だよ、コナンがいなくなっちまった!」
「コナンが?」
「えっ、コナン君いなくなっちゃったの?」
元太と光彦の声が聞こえたのだろう、歩美が即座に顔を出し、その後ろから哀も顔を覗かせる。
よそ見していたら急に消えたのだと言う光彦の言葉に、快斗と哀が部屋に足を踏み入れた。遅れて
ひじりも部屋に入る。
倒れたイスと散らばった本。それに蓋の開いた時計と狂った針。それを見た哀がイスを起こして本を積もうとしたところを快斗が止めた。
「灰原さん、ちょっと待って」
「…何?」
「オレがやるから」
哀に代わり、イスに上って快斗が時計に手を伸ばす。針に触れようとしたところで、その動きは突如響いた怒声に止められた。
「何をしてるんですか!」
「ああ、すみません。どうやら子供達が悪戯をしたみたいで、直してたんですよ」
声の主は貴人だった。快斗はしれっと笑みすら浮かべて嘯き、針を戻して蓋を閉める。それならいいんですが、とすぐに引き下がった貴人の後ろから博士が顔を出して首を傾げる。
「悪戯?」
「違うもん!コナン君がいなくなっちゃったから捜してたんだよ!ねー!」
博士に歩美が反論して元太と光彦、哀を振り返り、元太が「ああ…」小さく頷く。田畑が「トイレにでも行ってんだよ!」と下の階にあるらしいトイレを示して言うので、それに納得して行ってみようと歩き出した。
だが
ひじりと快斗はちらりと先程の部屋を振り返り、無言で目を合わせる。また後で確認に来ようとアイコンタクトを取った。
だらだらとはしていられないが、子供達もいるし城の者達は信用ができないので迂闊に動けない。急遽ここにお邪魔することになった客人であるコナンを、犯人はそう簡単には殺さないだろうと願い半分で推測する。
いつここへ来れるだろう。なるべく事を荒げたくはないから、やはり深夜だろうか。それまでにコナンが見つかればいいが、警察を呼んでおくことも想定しておいた方がいい。
「コナン…見つかりますかね?」
田畑の案内でトイレを捜すが、やはりどこにもいない。
快斗がこそりと呟き、
ひじりはそれに無言を返す。おそらく先程の場所からはもう移動されている可能性もある。
子供達はどこかに隠れていて驚かす気ではないかと言い合うが、
ひじりも殺気さえ感じなければ、謎を解いているうちにどこかへ行ってしまったのだろうと考えただろう。
「……まぁ、コナンは悪運が強いし、ひとまず夜まで待とう」
「分かりました」
快斗が了承して会話を切る。すると執事が現れて食事の用意ができた旨を伝え、貴人が
ひじり達の分も用意したという言葉に甘えることにした。
食堂に入って席に着き手を合わせる。子供達の賑やかな声に、満が朗らかにたまにはいいねぇと笑った。
食事をしながら、貴人は元々外国の大学を出たら戻って来て、のんびり絵を描きながら住むつもりでいたと話し、満はマス代を気遣い留まっているうち、妻が生まれ育ったこの城を気に入ったのだと語った。
「フン…気に入ったのは城じゃのぉて、城に隠された財宝の方じゃないかえ?」
だが満の言葉を、ふいにマス代が嫌味混じりに否定する。
ひじりは無関心を装いながらスープを飲みつつ、黒曜の瞳を鋭くしてマス代を見つめた。
満は義母の嫌味をさらりとかわし、だからこうして科学者の友人をと博士を示すが、マス代はさらに機嫌を損ねたようで背を向けると「娘が着いたら連れて参れ!」と言い残して食堂を出て行った。
「おばあ様はまだお母様が生きていると…」
「ボケるのも無理はない……足を痛められてから、10年間ずっとこの城にこもられたままなのだから…」
「……?」
「
ひじりさん?」
貴人と満の会話に、ふとスープを飲む手を止める。小さく首を傾けたことにすかさず快斗が気づいて声をかけてきて、
ひじりは不可解そうな目を向けた。
「今、何か違和感が……何か引っ掛かった」
「……?マス代さんが娘が生きていると思ってること、でもそれはボケてるからで…。あとは、足を痛めてからは車椅子で城にこもってばかり」
「それだ」
「え?」
快斗が繰り返した言葉に潜めた声を上げる。快斗は不思議そうに首を傾げたが、すぐに気づいたようで目を瞠った。
ひじりは5年間外に出たことは少なく、当然公共交通機関など殆ど利用しなかった。だから赤井達に連れ出されたあと、5年前と変わった機械や仕様に最初は戸惑い、慣れなかった。
しかし、外を知らなかった5年の間、変わったシステムを不便だと思ったことはない。利用することがなかったのだから当然だ。
「どうして彼女は、使いもしないものを不便だと感じたんだろうね」
ひじりの小さな言葉に、快斗は厳しく細めた目をマス代が去って行った方に向け、すぐに瞼の下に散らした。そして何事もなかったかのように食事を再開し、博士と満の食事の席に似合わぬ不穏な会話を耳に入れる。
2年前、新米の使用人が一夜のうちに何の前触れもなく姿を消したという。
彼は火事のあった塔に何かあると仲の良かったメイドに言っていたようで、すぐにあの塔を捜したが、誰かが侵入した形跡はあったものの姿はどこにもなく、あとは警察を呼びこの森一帯を大捜索したのだが、結局4日後、変わり果てた姿で見つかった。
─── やせ細り、胃の中をからにした餓死状態で。
(……ということは、少なくともあと2,3日は猶予がある)
新米の使用人を殺したのは、間違いなくマス代だろう。宝を先に見つかりそうになったからか、見られては困るものを見てしまったから殺されたのかは分からないが。
食後のコーヒーを口に含みながら胸中で呟き、コナンが生きている可能性が濃くなったことに少しだけ安堵した。
しかし、今になってもコナンが現れないということは、おそらく動ける状態にないということ。安心はできない。
「ねぇ」
ふいに袖を引かれ、快斗とは逆隣に座っていた哀が問う。
「あなた達、何をする気?まさか、あの部屋にまた行くつもりじゃないでしょうね」
「哀も行く?」
「
ひじりさん、いくら何でも危ないんじゃ…」
「行くわよ、もちろん」
快斗が止めようとするが、それを遮って哀が言い切る。えっと声を上げた快斗を無視して、哀は小さく鼻を鳴らした。
「せっかくの興味深い素材に死なれちゃ困るからね」
「…素材…?」
何のことだ、と首を傾げた快斗だったが、
ひじりも哀も無言を貫いた。
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