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「オレは黒羽快斗!よろしく、哀ちゃ…」
「…………」
「……灰原、さん」
「……どうも」
「博士ー、テント忘れてるー」
「おお、すまんのう
ひじり君!」
□ 孤城 1 □
本日は子供達を誘ってのキャンプである。
子供達は博士のビートル、快斗は
ひじりを後ろに乗せてバイクを運転しており、キャンプ場にまで向かう道中で初めて顔を合わせた灰原哀が元組織の一員であることを話すと当然のように驚かれた。
ついでに赤井の話も交えて教えると、「ええっ!?」とさすがにぎょっとして、「あの人も人間だったんだ…」と呟いたなかなか失礼な言葉は聞き流しておく。
バイクに乗っているので誰かに聞かれる心配もなく、後部座席から手を振ってくる歩美に軽く振り返した
ひじりは、当然のように哀が
ひじりがジンの“人形”であったことも知っていると淡々と続けた。
「成程…だからあんなに貫禄があったわけか…」
「快斗のマジックにはそこそこ驚いてたけどね。おもちゃでもヤイバーカードでもなく、バラを選択したのは正解」
もっとも、名前呼びは無言で却下されていたが。
快斗のことはただのいち高校生の彼氏ということにしているからそういうことで、とやり取りを終え、
ひじりはふいに先日博士からもらったばかりの腕時計を見て首を傾げた。そろそろキャンプ場に着くはずなのに、むしろ山の奥へ入っている気が。
「……まさか博士、迷ったんじゃ」
「ありえる…。私も事前に地図もらっておけばよかったかな」
ワシに任せておけ!!とか胸を張っていたから顔を立てるために任せておいたが、失敗だっただろうか。
「
ひじりさん、あれ」
声をかけられ、快斗がバイクを停めて指を差す方を振り返る。どうやら博士達も気づいたようで一旦車を停めた。
城だ。木々が邪魔でよくは見えないが、目算でも大きなものだと判る。人が住んでいるといいのだが。
博士が車を降りてきて顔を合わせ、話を聞くと思った通り迷ったということなのでとりあえず向かうことにした。
車とバイクが走って森を抜けた先には、やはり大きな西洋造りの城が建っていた。
閉じられた門の前に快斗が遅れてバイクを停める。ヘルメットを外して見上げれば壮観だった。
どこかの富豪が、外国で買った城を一度解体してこちらで組み直したのだろう。古いがしっかり手入れがされているのが判る。
「コラどこの小僧だ!?勝手に入りやがって!!」
ふいに響いた怒声に振り返る。どうやら勝手に門を越えたらしい元太が使用人らしき男に首根っこを掴まれていた。何をやっているんだかと呆れながらバイクを降りて近づく。快斗もヘルメットを外して後に続いた。
博士が慌てて怪しい者ではないと言って中に入れてもらえないか交渉するが、男は当然のように門前払いをしようとして、そこにこちらに向かって歩いて来た男が割って入った。
「おや、誰ですかなその者達は?」
「だ、旦那様!」
身なりから使用人ではないと分かっていたが、旦那様ということは主人か。
博士が自称名の通った発明家であると名乗ったことで、ほー…と感心したあと、顎に手を置き少し考えた男はにっこり笑った。
「よろしいでしょう、中にお入りなさい!何なら、ひと晩泊まっていかれてはいかがかな?」
「おお!そりゃあありがたい!」
確かに道に迷ってすわ野宿かという状況での申し出はありがたい。使用人の男は主人の許可に驚いて「大奥様の断りもなくそんなこと…」と戸惑ったようだったが、彼はつれなく友人とでも言っておきなさいと言ってその場を離れて行く。
何はともあれ、中に立ち入る許可が出て使用人の男は渋々門を開けた。
「はー、広い庭ですね
ひじりさん」
「うん。あ、チェスの駒」
「芝生がチェスボードを模して刈り込まれてますね」
先を案内する、
田畑 勝男と名乗った使用人の男と博士、そして子供達に続いて中に入り、快斗が感心の声を上げた。
ひじりがチェスの駒が並んでいるのに気づくと、その下の模様に快斗も気づく。そして、何か調べるように駒に触れる男にも。
それを横目に、チェスの駒を珍しそうに見る子供達を見ながら博士と田畑に近づく。
博士がチェス好きな者がいるのかを田畑に訊くがさぁなと肩を竦められ、自分は前の主人、
貞昭の言いつけ通り手入れをしてこの状態を保っているだけだと答えられた。何でも、15年前に亡くなった大旦那の遺言を受け継がれたらしい。
先程田畑が旦那様と呼んだ男は奥方の二番目の亭主で
間宮 満というようだ。前主人、貞昭は6年前に病死されたとのこと。
だがその奥方も4年前、大火事で亡くなっている。少し遠くに見える焼け焦げた塔に寝室があり、奥方が母親である大奥様─── 間宮 マス代の誕生日を祝うためこの城に戻ってきた直後、真夜中に到着して夜が明ける前に火の手が上がった。その火事で、奥方だけでなく友人達やマス代に長らく仕えていた召使いや執事達が多く炎に呑まれたらしい。
難を逃れたのは、雇われて日が浅かった田畑ら使用人と別館で寝ていたマス代、奥方よりひと足早くここに来た満と、奥方と貞昭とのただ1人の息子である
貴人だけ。
満も貴人も以前は別の場所に住んでいたが、なぜか火事の日を境に城に留まるようになったのだと。まるで何かにとり憑かれたようにと囁く田畑の話を聞き終え、
ひじりは城の中へ促されながら一度ぐるりと庭を見渡した。
城へ入ってすぐ、2階に続く階段のある広間の壁には、正面に貴人にその面影を濃く受け継がせた大旦那と、右に貞昭、左には奥方の肖像画がそれぞれかかっていた。
「婿養子に来た貞昭様は、歴史学者でもあった大旦那様のことをとても尊敬されていて、それをやっかんだ奥様が貞昭様によくこう漏らされてそうだ…」
「『お父様はただの理屈っぽいインテリにすぎないわ…』─── じゃろ?」
「お…大奥様!?」
横から田畑の言葉を続けたのは、車椅子に座った老婆だった。
田畑が大奥様と呼んだから、この老婆が間宮家の現当主なのだろう。話では歳で少々ボケているとのことだが。
帽子を外し、嫌なことを思い出させてすみませんと頭を下げる田畑に「心配せんでええ」とマス代は首を振った。
「紙幣の図柄やパスポートの大きさが変わったのと同じじゃよ…。最初は慣れなんだが、時が経てば違和感は薄らいでしまう。時とは恐ろしいものよのぉ…喜びも悲しみも一緒くたに消し去ってしまうのじゃから…」
何かを思い出すように宙を見つめて呟いたマス代は、ところでその者達は?とこちらを振り返る。
田畑が満の友人の科学者だと紹介すると、科学者?と繰り返してあまり感情のこもらない声を発した。
「おおそれは楽しみじゃ…あの人がこの城に込めた謎、是非解き明かしてもらいたいものよ」
「謎…?」
「大旦那様が死ぬ間際に言い残されたらしいんだ。この城の謎を解き明かした者に、私の一番の宝をやるって」
宝か、と
ひじりが胸中呟く。この城を建てるだけの財力があるのだ、その宝も生半可なものではないだろう。
快斗を見ればじっと大旦那の肖像画を見上げていて、宝が眠っていると言うのに目を輝かせる気配もない。
ひじりの視線に気づくと、快斗は小さく苦笑した。
「この城を建てられるだけの人だから、それこそどえらい宝なんでしょうけど……宝石とか、そんなんじゃあないと思うんですよね」
「『私の一番の宝』…」
「はい。『私の』ってことは、大旦那にとっての宝…そして、歴史学者でインテリだった彼が譲れるもの」
「確かに、ただ宝石や金が眠っているとは考えにくい」
「その鍵はたぶん」
「庭にあったチェスの駒」
だと思います、と快斗が笑う。
まだ大旦那の残した宝がいったい何なのかは全く分からないが、
ひじりが言った通り、ただの宝石や金などではないだろう。
それに特に興味があるわけでもないが、自分で車椅子を動かし去って行ったマス代を見送った
ひじりは、コナン達がチェスの駒がよく見える部屋に行くと言うのでそれについて行くことにした。
田畑を先頭にコナンを始めとした子供達、一番後ろを少し距離をあけて並んで歩いていると、ふいに快斗が声を潜めた。
「あの老婆…マス代さん、何かおかしいですね」
「やっぱり気づいた?殺気ってほどじゃないけど……危ない感じはする。謎を解き明かしてもらいたいとは言っていたけど、どうだか」
「何もせず、明日さっさとここを出た方がいいかもしれません」
「そうだね。……まぁ、コナンが何もせずにはいられないと思うけど」
ちらりとコナンの背を見ると、同じように見た快斗が小さくため息をつく。
謎となれば解き明かしたくなるのが探偵のさが、だろうか。あまり危険なことに首を突っ込んでもらいたくはないのだけれど。
部屋に案内され、仕事があるんでこれで、と去って行く田畑を礼を言って見送り、
ひじりは快斗と共に子供達の後ろからひょいと窓の外を見下ろした。途端、快斗が不可解げに眉をひそめる。
「何だこれ…ありえない」
「黒いチェスの駒だけを見ればG…だけど」
事はそう簡単ではないだろう。
光彦が隣の部屋に気づいてそちらに行き、こっちからも見えますよ!と言うと元太も隣の部屋へ駆けて行く。
一応メモ帳に盤面をメモした
ひじりは、設えられたイスに腰を下ろした。快斗も横からそれを覗きこむ。
「そういえば白いナイト、左向いてましたね」
「……黒いナイトは右を向いてた」
チェスの駒の中で唯一顔のある駒を思い出し、一度顔を見合わせてメモに目を落とす。
白と黒が向かい合っていたのなら、それは無意味だとは思えない。Gに見えた黒いチェスの駒だけでなく、白い駒にも意味がある。ただの引っ掛けとも思えるが、黒いチェスの駒でGとだけ読み取るよりかは考えやすい。
それに、圧倒的に多い黒いチェスの駒と、数が少なくバラバラの位置にある白い駒も気になる。
私は探偵ではないんだけどなぁと思いながらも、気になるので頭をひねることにした。
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