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 コナンには全て解けたらしい。
 雪に足跡を残さずに浜野の死体を裏庭の真ん中に運んだトリックも、それを実行したのが誰なのかということも。


「もちろん、ひじりお姉様を眠らせて林に置いたのも同じ犯人よ。さぁひじりお姉様!ボーガンを持って3階の浜野さんの部屋へ行ってください。用意は全て整えておきましたから」

「了解」


 園子に促されてその場を離れる。
 コナンがひじりを指定したのはたぶん、土井塔克樹から引き離したかったからだろうと推測しながら。





□ 奇術愛好家 7 □





 3階の浜野の部屋に行けば、確かに準備は整っていた。
 テーブルに置かれた紙を見てボーガンに矢をセットする。あとは木に撃ち込むだけだが、どこに撃ち込めばいいのかまでは書いてない。
 ベランダに出たひじりは紙を片手に園子─── 正確には園子が凭れる木の陰にいるコナンに声をかけた。


「園子、どこに撃ち込めばいい?」

「この木の根元だよひじり姉ちゃん!」


 大体の見当はついていたが、コナンの指示通りの木にボーガンを向ける。失敗したとしてもやり直せば済むので、紐が絡まらないよう気をつけながら照準を合わせた。


「では撃ちますので、皆さん離れてください」


 慌てて近くにいた黒田とコナンが離れたのを確認し、僅かに目を細めて引き金に指をかけたそのとき、ふいに肩を叩かれた。


「待った!僕が代わりに撃ちますよ!こーいうの得意ですから。いいかい園子探偵?」


 気配は感じていたので驚かず振り返り、土井塔が園子に訊ね了承をもらったのでボーガンを渡す。
 土井塔から引き離すためにひじりにボーガンを撃たせる役目を与えたというのにいつの間にか傍にいて、コナンはさぞ驚いていることだろう。

 ひじりは土井塔と場所を入れ替わって一歩後ろで見物することにした。土井塔なら外すことなく一発で成功することを知っている。


「コナン、たぶんそろそろ気づいてるでしょうね」

「でしょうね。もうあんまり隠してませんし」


 これだけ距離があれば声を少し潜めるとコナン達には聞こえないため普通に会話し、土井塔が小さく苦笑して撃った。
 ひじりが次の矢を渡して紙を見せ、土井塔が真反対側の木に容易く撃ち込む。それを見ながら、ぽつりと言葉をこぼす。


「止められなかった。……ごめん」

ひじりさんが謝ることじゃないです。それに、たとえここで止められたとしても、彼女はもう1人殺してしまっている」


 それでも、止められるなら止めたかった。祖父想いの彼女を。
 土井塔が布団に指示通り紐の片方を通しながら悲しそうに言い、ロープウェイのように布団を降ろしていくと、布団は見事裏庭の中央へ落とされた。
 荒達がどよめいているのが判る。だが、指摘されている通り残るは後始末だ。これも指示通り紐を矢に結び付け、土井塔は右の林へ打ち出すと同時にベランダに結びつけた紐を切った。矢は勢いよく紐を回収して右の林の中へと消えていき、見えなくなる。


「……ひじりさん、すみませんが隣の部屋にいてくれませんか」


 土井塔の姿がここにあるから、怪盗キッドと見抜いたコナンはきっと来るだろう。
 ひじりとキッドが繋がっていることは知られてはならない。分かっているので素直に頷き、下にいる誰もが園子に目を向けているのを確認して土井塔を部屋の中、窓の外からは見えない位置へ引っ張りこんだ。


ひじりさん?」

「これ取りますよ」


 もう土井塔克樹でいる必要はない。ひじりは躊躇いなくマスクを剥ぎ取った。ついでに服も捲し上げて中の詰め物を落とす。見慣れた素顔と体型を確認し、その両頬を手で覆った。


「“眠り姫”を目覚めさせてくれるのは、やっぱりあなただけだ」

「…っ…」


 声が聞こえたのだ。深い闇の中に沈んでいるとき、必死に呼ぶ声が。
 たとえその声が変わっていたとしても、誰を演じていても、快斗が呼ぶならひじりはいつだって目を覚ます。
 永遠に目を閉ざすときは、快斗が呼ばなくなったとき。そうでしょう?
 快斗は息を呑むと腕を伸ばしてひじりを掻き抱き、「こわかった」と声を震わせた。


「…オレの知らないところで殺されたんじゃないかって、もう二度と目を覚まさないんじゃないかって、すごく怖かったんです」

「大丈夫。私は、快斗より先には死なないから」

「そうしてください。それと、護れなくてすみません」

「傍にいれなかったから、それは仕方ないよ」


 小さく震える背中をぽんぽんと安心させるように叩いて撫でる。癖毛も優しく撫でれば、長く息を吐いた快斗が体を離した。
 散々心配かけてしまった。これではひじりから抱きしめるだけではすませることができそうにない。自分が。
 うんとひとつこぼし、ひじりはがしりと快斗の両頬を掴むと引き寄せ、顔を寄せると唇を重ねた。


「……、……!!!!!


 触れるだけのものだったが、何をされたのか数秒判らなかった快斗は、ひじりが唇を離すとぼんっと顔を真っ赤にさせた。お詫び、と言うが聞いているのかも怪しい。否、きっと快斗なら聞き逃さないだろうが。
 膝から崩れ落ちた快斗に腰を屈め、笑みを含んだ声でそっと囁く。


「助けてくれてありがとう、愛しい王子様?」

「……私は、ただの泥棒ですよ」


 ばさりと白が翻って視界を埋める。布が取り払われた瞬間、怪盗キッドが静かな笑みを浮かべてそこに立っていた。


「眠り姫、あなたのふたつの黒曜が永遠に閉ざされないよう、毒林檎も糸車も全て私が盗んでしまいましょう」


 手を取られて甲にキスされる。ひじりは頬にキスを返して小さく笑み、するりと身を翻して部屋を出た。
 言われた通り隣の部屋へと移ってベッドに腰掛ける。寝たふりくらいはした方がいいだろう。
 もそもそとベッドにもぐりこんで横になり、そういえばどうして田中さんは私を殺さなかったんだろう、とひとつだけ気になった。





■   ■   ■






 コナンが一連の事件の犯人は田中貴久恵だと断定し、実演を混ぜた推理で追い詰められた田中は、自身が春井風伝の孫娘であること、チャットで脱出マジックを唆されたことは恨んではいないが、事故直後の浜野と西山のコメントだけはどうしても許せず、今回の犯行に及んだのだと告白した。


「あなたはどうして関係のないひじりお姉様にも手を出したの?」

「あの子は何度か風呂場に来てたから。……私があらかじめ風呂を焚いてたことを知られたら、バレちゃいそうだったもの。浜野さんを殺してあそこに置いた後、土井塔君の睡眠薬を使って眠らせた彼女を林の中に置いたわ」


 肩を竦めて小さく笑い、本当は殺すつもりだったの、と目を伏せた。


「でも…“イカサマ童子”が春井風伝だと気づいていた彼─── 土井塔君があの子に気があるみたいなのを見たら、どうしても殺せなくてね。彼、ショーの前日に、おじいちゃんに励ましのメール届けてくれてたし」

「しかし何で彼が…」


 荒の疑問に、園子が凭れる木の裏にボタン型スピーカーを取りつけたコナンはロッジの廊下を歩きながら笑う。どうやら今回もまた、あいつに助けられちまったようだと一抹の悔しさを抱いて。そして、だからこそあんなにも土井塔克樹がひじりに馴れ馴れしくしていたように感じていたことにも納得した。


「土井塔克樹はアナグラム…文字を並び替えると───」


 ロッジの3階中央の部屋。
 ドアを開ければ、ベランダに白いマントをなびかせた怪盗が静かに佇んでいた。


「怪盗キッド!?」


 やっと気づいた者達が異口同音にキッドを呼んで見上げる。
 コナンはキッドと正面から向き合いながら睨みつけた。


「見事な推理だったぜ、探偵君?」

ひじりはどこだ?」

「さぁ…隣の部屋でオレの夢でも見てくれてると嬉しいんだがな」

「ちょろちょろ妙な真似しやがって。“レッドへリング”…お前のハンドル通り惑わされるところだったぜ」


 不敵な笑みを浮かべるコナンに、キッドは騙すつもりはなかったぜ?と飄々と嘯く。
 ここへ来たのは死んだはずの“イカサマ童子”が通信し続けているのを不審に思ったから。“イカサマ童子”が春井風伝だと判っていたのは、彼のデビュー当時のステージネームだったからだ。


「彼女をひと目見て孫娘だと判り、サクラのことも見抜けたが、まさか殺人とは…。気づいたときにはもう手遅れ。その上眠り姫まで危険な目に遭わせちまった。情けねーぜ…」


 キッドの声には、僅かながら偽らざる後悔の響きがあった。だから嘘ではないことは判って、コナンも「止めたかったよ、今回の殺人は」と素直な感情を吐露する。


「オレは探偵じゃねーし、お前は風邪でぶっ倒れてた……眠り姫は気づいてたみたいだがな、眠らされちまってたから仕方ないさ…」

「……ひとつ聞かせろ。何でお前はひじりを“眠り姫”って呼ぶんだ?」

「眠り姫だろ。あらゆる魔の手が彼女を永遠に眠らせようとする。だから決してあの黒曜石から光をなくさないようにという、オレの決意の表れだよ」

「……お前、やっぱり」


 ひじりがキッドと誘拐されている間に何度か会っていたという話は聞いた。助け出そうとしてくれたことも。
 以前ひじりに贈ったカードの言葉、土井塔克樹としての態度、そして今の台詞。ただの親切ではない。あのラブレターもどきは、まさか本当に正真正銘のラブレターでもあったのか。
 静かに笑みを浮かべたままのキッドに、コナンはふっと笑ってみせる。


「諦めな。ひじりが選ぶのはお前じゃねぇ。隣にいるべき男は、あいつ1人で十分だ」

「……泥棒は一度狙った獲物は逃さない。特にオレは、諦めが悪いんでね」


 コナンの忠告も、キッドはさらりとかわす。
 だが、どうせひじりの心までは盗めやしない。馬鹿らしいほどひじりは真っ直ぐに1人の男を見ているし、あの男もまた、呆れるくらい真っ直ぐにひじりしか見ていない。

 コナンは後ろ手に麻酔銃を構えようとして、やめた。
 今回キッドは何も盗んじゃいないし、土井塔克樹としてひじりの傍にいたためひじりは殺されずにすんだ礼もある。それと、セーターも。キッドは戦意のないコナンに小さく笑みをこぼし、シルクハットを押さえて深くかぶる。


「また会おうぜ名探偵…。世紀末を告げる鐘の音が鳴りやまぬうちに」


 ポン!と白い煙が立ち上がり、むせている間にキッドはさっさとハンググライダーで逃げて行った。
 それを見送り、相変わらずキザな野郎…と痒くなった首を掻く。

 さて、とんだ奴に目をつけられたお姫様を迎えに行くか。
 せっかく帰って来たのにまだまだ波乱万丈かよ、と小さくため息をついて。



 奇術愛好家編 end.



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