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影法師とは光が当たり障子や地上などに映る人の影のことを言う。
つまりは人の形をもった影。影の主あってこそのもので、それ自体には実態がない。
では─── その影の主は、誰だ。
□ 奇術愛好家 6 □
コナンは浜野が殺されたときのアリバイをそれぞれに訊き、土井塔が「この際はっきりさせとこう」と先に口を開いたことにより、他の者達も当時の行動を語り出した。
ひじりはそれを黙って聞いていると、うん?とふいに違和感を覚えた。何だろう今、何か引っ掛かったような。
「……」
ぼんやり記憶を辿りながら先を歩く荒達の後を追う。
このロッジに来てから気を失うまで、いったい自分は何を知ったと言うのか。
ワイン蔵、風呂焚き場と周ると、ふいにコナンが雪の上に落ちていた何かを拾った。
「ホッチキスの針?」
「何でこんなところに…。ところで
ひじり、眠らされる直前、お前もしかして浜野さんを殺す犯人の姿見たんじゃねーのか?」
「私もそう思って記憶を辿っているんだけど、それらしき姿は見てないよ。コナンがここに来てから、ずっと傍についてたし…」
言って、また引っ掛かりを覚えてそのときの記憶を掘り返す。
外の玄関前に倒れていたコナンを蘭が抱えてキッチンに入り、部屋に運ぶよう指示をして、確か風呂場に桶を取りに行った。それからずっとコナンを見ていて、一度だけ洗面所へ水を替えに行った。
「─── あ」
「何だ、何か思い出したのか?」
割れた風呂場の窓の上を見て土井塔に下ろされたコナンが、
ひじりの小さな呟きに即座に反応を示す。
田中がこちらを見ていないのを確認し、こそりと声を潜ませた。
「お風呂、たぶん焚けてた」
「え?」
「コナンが倒れたときに、私お風呂に桶を取りに行ったんだけど、浴室が少し暖かったから」
「それって…! ……待てよ、じゃあ」
コナンは園子に寄ると浜野が行ったマジックを詳しく聞き始めた。
おそらく犯人の見当はもうついているだろう。あと残すは不可能犯罪。浜野をどうやって足跡ひとつ残さず裏庭の真ん中に置き去りにしたかだ。
蘭に声をかけられてリビングに戻った
ひじりは、席に着いて淹れてくれたコーヒーに手を伸ばそうとして、カップを横から伸びてきた手に奪い取られ代わりに湯気を立てるあたたかい紅茶が置かれた。顔を上げれば土井塔がにっこり笑っている。
何も入っていませんからと囁かれるが、そこまで心配せずとももう今更何も仕掛けてはこないだろう。そう思いながらも親切をありがたくいただくことにして、礼を言って紅茶を飲む。
「あれ、
ひじり姉ちゃん紅茶?」
園子から話を聞き終えて戻って来たコナンが、
ひじりだけ違うものを飲んでいることに首を傾げる。隣の席に座ったコナンに土井塔が用意してくれたのだと告げれば納得したようだった。
「なぁ
ひじり、浜野さんをあそこにまで運ぶ方法、何か思いつかないか?」
「……私も考えてはいるけど…。投げ捨てるには重いし、糸か何かを使って運ぶにも支点がないと真ん中には置けない。浜野さんの近くに柱か何かあれば可能だけど、それじゃあ不可能犯罪にはならない」
「だよなぁ」
肘をついて両手を組み、難しい顔をして思考に耽っていたコナンは、ふと
ひじりの方を向いて真剣な顔をした。
「お前、あんまり土井塔克樹には近づくなよ」
「……どうして?」
「なーんかあいつ、引っ掛かんだよなぁ。犯人じゃねぇってのは分かってるけど、妙な真似しやがるし。特に
ひじりに関してな。お前ら今日会ったばかりだろ?あいつが名前で呼んでるのはまだいいとしても、妙に馴れ馴れしいって言うか…」
わぁ、勘付かれはじめてるよ快斗。いや怪盗キッド。
表情には一切出さず内心で呟き、そう?と鈍感なふりをする。
「でもコナン達と一緒に、私を必死になって捜してくれたんでしょ?悪い人じゃないと思うけど」
「そこなんだよなー……必死すぎる気もするっつーか、そんな感じ、前にどこかで…」
「そんなことより、浜野さんを運んだ方法を探すのを先にしたら?土井塔さんが犯人じゃないなら、とりあえず置いといていいと思うけど」
「……それもそうだな」
納得はしていないながらも優先順位を思い出したようで、コナンは再び頭を悩ませ始めた。
危ない危ない。だがそれほどまで必死でいてくれたのだと知れて、心配かけて申し訳ないが少し嬉しくもある。
今度私から抱きしめてやろう。そう決めてまたあたたかい紅茶に口をつけると、リビングに荒がワインを2本持って来た。
「よかったらワインでもどうです?あったまりますよ」
「こんなときにお酒?」
「軽く飲む程度ならいいんじゃない?」
黒田が軽く眉をひそめ、田中がフォローを入れる。気分転換にもなりますし…と荒がワインオープナーでコルクを抜いていると、そのうちの1本をコナンが手に取ってひっくり返した。
ワインのラベルにはヨットが描かれている。それを見てふと不敵な笑みを浮かべたのを横目に見て、どうやら謎が解けたらしいと悟る。
ひじりはコナンの手からワインを取って同じように見た。成程、ボーガンと紐をこんなふうに使えばあの不可能犯罪も可能になる。
「ねぇ!このロッジにホッチキスとか鋏とか、長ーい紐とかなーい?」
「え?」
コナンの突然の言葉に荒が戸惑い蘭が訝るが、コナンは朝に警察が来るまでに冬休みの図工の宿題やっちゃおうかなーって、と答えた。
「それならおじさんの部屋にあると思うよ。一緒に来るかい?」
「うん!」
荒に連れられてコナンが階段を上がって行く。それを見送り、ワインをテーブルに戻した
ひじりは視線を向けないまま土井塔にラベルの方を向けた。彼もきっとこれで気づくだろう。
もしかするとコナンが実演してみせてまたひと騒ぎ起こるかもしれない。
ひじりは紅茶を飲み干し小さく息をついた。
暫くすると、荒が慌ててリビングに降りて来てコナンがいなくなったと告げた。
トイレにもいないし、いつの間にか保管していたボーガンの矢もなくなっていたようで、悪い想像にひじり以外の誰もが顔を引き攣らせる。
そのとき、想像を現実にするようなコナンの悲鳴が轟いた。
(ううん、もう少しリアルさが足りない)
コナンの悲鳴に慌てて上の階を捜す一同の中に紛れながら内心でそんな評価を下す。
2階の部屋のドアを開けるとコナンがこちらに背を向けてベッドの前にいて、パリンとガラスが割れる音を聞いた
ひじりが素早く蘭と園子の前に割り込み軽く下がらせると、風を切り壁にボーガンの矢が刺さった。
背に庇った2人がぎゅっと服の裾を握る。それに大丈夫と声をかけると、窓の外を見て急に走り出したコナンを蘭が急いで追った。
全員がそれに続いてロッジを出る。右側の林に向かうのを追えば、追いついた蘭がコナンの首根っこを「コラ!!!」と怒って引っ掴んだ。
「もー、危ない真似ばっかりして…」
コナンを下ろして軽く蘭が説教する。だがコナンは小さく笑って一同を目だけで振り返り、傍に寄った園子を満面の笑みで迎えた。
「うまくいったよ園子姉ちゃん!」
「え?何が?」
突然訳が分からないことを言われて疑問符を浮かべて腰を屈めた園子に、コナンがアレだよと内緒話をするように囁く。するとコナンは腕時計の蓋を上げ、スイッチを押して麻酔針を園子に撃ち込んだ。
本人から話を聞いていたとはいえ、実際目にするのは初めてな
ひじりは、すぐさま木の後ろに回って変声機を使い園子の声で話し出すコナンの早業に軽く目を瞠る。
「そ、園子?どうしたの、しっかりして?」
「しっかりするのはあなたの方よ、蘭!」
駆け寄る蘭を園子の声で一喝し、コナンが園子の後ろにあるボーガンを示す。
「
ひじりお姉様、わたしの後ろにあるボーガンを手に取って、3階中央の浜野さんの部屋に…」
「ああ、これ」
促されてボーガンを手に取る。蘭は何でここにボーガンがあるのかと驚いていた。
何でも何も、先程コナンが服の下に隠していたこれをここに置いたからだ、とは言わない。
「お、おい…」
「いったい何をする気?」
当然のように戸惑う一同をよそに、木の後ろでコナンが不敵に笑った。
「わたしと
ひじりお姉様とで再現するのよ…。今夜この裏庭で犯人が演じた、血塗られたマジックショーをね」
─── さぁ、お手並み拝見といこうか、名探偵。
奇しくも同じことを心の中で呟き、
ひじりと土井塔は目を細めた。
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