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 チェックを済ませ、何も異常がないことを確認した土井塔は、リビングにいるコナン達に伝えるために部屋を出た。
 本当は傍で見ていたかったが今の自分は快斗ではなく土井塔克樹。迂闊な真似はできないし、田中を見張るためにも出ざるを得ず、蘭は心配だから傍にいると言い張ったので部屋に置いておくことにした。

 リビングに顔を出してひじりの容体を伝え、誰もががほっと息をつく。
 するとふいに園子が浜野が死んだのはわたしのせいかなぁと呟き、宴会部長に選んでしまったのはわたしだから、選ばなければと自分を責めるが、土井塔は安心させるよう素早くフォローした。


(大丈夫、君のせいじゃない)


 それだけは確実だ。土井塔のフォローに小さな笑顔を見せる園子に、土井塔は心の中でほっと息をついた。
 ひじりが大切に思い、そしてまたひじりを大切に思っている彼女。その顔がくもっていれば、目を覚ましたとき、ひじりは悲しむだろう。
 無表情が常で大きく感情を表に出さないひじりだけれど、無感情というわけではない。
 その心の中には多彩な感情を宿していることを、知っている。





□ 奇術愛好家 5 □





 会話が途切れ、ふいに寒さから身を震わせた田中が羽織るものを取りに行こうと立ち上がり、ちょうどコナンがくしゃみをしたこともあって、コナンにも何か着せた方がいいと一緒に行くことにした。
 自室に戻ればまだ目を覚ましていないひじりとそれを見つめる蘭がいて、振り返った蘭は3人を見ると首を傾げた。


「どうしたんですか?」

「コナン君が寒そうにしてるから、セーターでも貸そうと思ってね」

「あ、わたし自分のがありますから、それを」

「大丈夫、気にしないで」


 にこりと笑いかけてバッグをあさりセーターを取り出す。コナンに着せると大人用だからどうしても大きく、「やだよこんなブカブカ…」とわがままを言われたが苦笑で流した。
 袖を何度か折り、首元も折って形を整えてやりながらコナンの質問に答える。


「ねぇ、園子姉ちゃんがやった手品の助手って何のこと?」

「浜野さんが、みんなの役割をマジック風に決めたんだ」

「マジック風?」

「そう」


 一度脱がしていた上着に腕を通させながら土井塔は続ける。
 仮のリーダーは黒田、風呂焚き係は田中、宴会部長が浜野。浜野が部屋にこもっていたのは宴会部長になってしまったからで、宴会が始まるまでにマジックのネタを考えるためだった。その間、他の人達はワインを取りに行ったり宴会の準備をしたり風呂を焚いたりと行動はバラバラだった。
 一度会話を切り、上着のボタンを留めて立ち上がりひじりを一度振り返る。


ひじり姉ちゃん、まだ起きない?」

「うん…」


 静かな寝息を立てるひじりに蘭が顔をくもらせる。先程一度は目を覚ましたが、起きてくれなければ安心できないのだろう。
 コナンは少し迷ったようだったが、土井塔に続いて廊下に出ると今度は田中の部屋へと向かった。

 女性の部屋ということもあって入口で立ち止まって待ち、じっと田中の行動を見つめる。
 体が盾になってよく見えなかったが、彼女が服を手に取った瞬間、パリンとガラスが割れる音が窓からして、思わずそちらに目を向ければ、瞬間何かがこちらに飛来してくるのを捉えた。


 ドッ!


「!?」

「な、何!?」


 飛んできたものは、矢だった。おそらくボーガンのもの。
 田中がカーテンを開けるとガラスが一部割られているのが判り、怒りのこもった声で「誰よ、出てきなさい!!」と言いながら窓を開けて外に出た。


「窓から離れて!!」


 コナンが田中を制止するのと同時、またパリン!とガラスの割れる音が少し遠くから聞こえた。
 慌てて部屋を出ると自室に向かってひじりを確認するが、続いたガラスの割れる音に驚いている蘭がいるだけで異常はなく、何かを言う前に今度は階下から園子の悲鳴が轟いた。


(くそっ、何なんだいったい!)


 田中は目の前にいて、何もしていなかったはずだ。まさか本当に第三者の“影法師”なる者がこのロッジ近辺にいるとでも言うのか。
 土井塔はコナンと共に飛び出して急いで階段を駆け降り、下にいた者達に園子の居場所を聞いてトイレの方へ向かう。


「どうかしましたか!?」

「ガ、ガラスよ!風呂場の方からガラスの割れる音がして、園子ちゃんが覗いたら…」


 その言葉にまた走り出して風呂場へ向かい、開け放たれた浴室に続くドアから中を覗いた。


「!?」


 また一本、ボーガンの矢が鏡に刺さっており、撃ち込んだと思われる窓が割れている。
 少し遅れてきた田中がそれを見て「冗談じゃないわ…」と呟くと眦を吊り上げた。


「もう頭にきた!!」


 田中が駆け出す。おそらく外へ向かったのだろう。外は危ないと慌てて荒達が追い、コナンも続く。
 だが土井塔は追いかけることはせず、へたりこんだままの園子に声をかけると手を取って立ち上がらせた。


「大丈夫かい?」

「は、はい…」


 ガラスが割れてから園子は風呂場を覗いたのだから、これは園子を狙ったものではない。しかし浜野が殺されたあの状況では誰も風呂に入ろうなどと思わないから、もしこれが撃ち込まれたものならその理由が分からない。
 恐怖させたいのか、それとも他に何か意図があるのか。田中を狙ったのはまだ分かるが、誰もいない風呂場にも撃ち込んだのはなぜだ。
 考えるがすぐに答えが出るわけもなく、ひとまず考えることをやめ、土井塔は園子と共にみんなを追って外に出た。





■   ■   ■






 ─── 声がした。


 ひどく焦った、懇願をこめた声が鈍く沈む意識を引き起こして、聞き慣れない声であるはずなのにどうしてか起きなければと思った。
 目を開ければやはり見慣れない顔。だが自分を見下ろす目の奥に青い光があって、それが自分の愛しい男だと思い出した。
 まったく、何て顔をしているのか。そんな顔をしないでほしい。言ったではないか、太陽のように笑う顔が一番好きなのだと。

 あの後また意識が沈み眠ってしまったが、物々しい雰囲気に反射的に覚醒して、ひじりは園子の悲鳴と同時に目を開けた。
 ぼんやりとした視界に部屋の入口の方を振り返る蘭が入る。園子のもとへ行こうかどうか悩んでいるようだった。
 ゆっくり体を起こせば衣擦れの音に蘭が勢いよくひじりを振り返り、安心したのか目に涙を浮かべる。


ひじりお姉ちゃん…!よ、よかった、目を覚まして…!」

「心配かけてごめん、蘭。それより今の声、園子?」

「う、うん……何があったんだろ…」


 ばたばたと階下が騒がしく、次いでその物音は外へ。
 ベッドを降りて窓を開け裏庭を見下ろすと林に向かう者達の姿が見え、さらに雪の中横たわる浜野を見て止められなかったことに内心で舌を打つ。
 ひじりがじっと浜野を見ていることに気づいたのだろう、蘭が言いにくそうに死んでいることを教えてくれた。


「土井塔さんは不可能犯罪だって…。それでね、コナン君が起きて、“脱出王”の西山さんが殺されてたって言ったの。『まずは1人目… 影法師』って。だからひじりお姉ちゃんがいなくなってるのに気づいてから、すごく心配で…」

「……大丈夫。もう“影法師”は誰も殺さない」

「え?」

「私が生きていることが何よりの証拠」


 言い切り、呆然としている蘭の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
 ひじりが眠らされたのは、おそらく田中にとって不都合な何かを知ったからだろう。けれど殺せたのに殺さなかったのは、皆殺しをするつもりがなかったから。最初から、ターゲットは西山と浜野だけであったからだ。
 犯人は田中。“影法師”も田中だ。彼女は架空の“影法師”に全ての罪をかぶせるつもりか。


「みんなのところに行こう、蘭」

「う、うん」


 部屋を出て、そういえばペン型スタンガンを落としたままだと気づいて蘭と園子の部屋に行き落ちていたそれを拾う。
 階段を降りて玄関に向かうと、ちょうど戻って来たらしい一同と顔を合わせた。


ひじり姉ちゃん、目を覚ましたんだ!」

「本当によかったひじりお姉様ぁ!」


 駆け寄るコナンと園子をそれぞれ撫でて迎え、顔を上げて他の者達にご迷惑をおかけしましたと頭を下げる。それぞれが体は大丈夫なのか気遣ってくれたが、問題はない。
 土井塔と目を合わせ、田中を一瞥する。それだけで気づいただろう。目で頷かれた。


「ねぇひじり姉ちゃん、誰に薬盛られたか憶えてない?」

「さぁ…たぶん薬が入ってたのはジュースだろうけど、あれは蘭から受け取ったもので、蘭が入れるわけがないからね」

「ジュースはどこに?」

「リビングのテーブルの端に、盆にのせられて置かれてたよ」

「そっか、じゃあ……誰でもジュースに薬を入れることができたってことだね?」


 鋭い目で問いかけてくるコナンに表情を変えずそういうことだねと答える。
 誰が盛ったのは判っている。けれど理由が判らない。自分は何を見た?何を知った?
 まだそれは、判らない。






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