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 犯人がいったい誰か。それだけは判りながらも方法が判らないため口にせず、自分達以外にも“影法師”という容疑者がいる可能性を示唆した須鎌により、未だ姿を影も形も見せないそれが犯人であるという流れになったことに「これが狙いか」と納得した。

 背を向けてロッジに向かう田中は帰ると言うが、コナンが吊り橋が燃やされて帰れないと告げた。
 ロッジの電話は繋がらない。携帯電話は圏外。吊り橋は燃やされ、これでは完全に外界と隔離されてしまった。


(たぶんもう何も起こらないだろうが……あとは名探偵、お前に任せるぜ?)


 ここからは探偵であるコナンの領分だ。
 少しくらいはその手伝いをしてやってもいいがな、と内心で呟きながら、悲しみを宿して田中の背を見つめた。





□ 奇術愛好家 4 □





 とりあえず一旦ロッジに戻ろうということになり、立ち上がった土井塔は見知った姿がないことに眉をひそめた。
 ─── 何だ、嫌な予感がする。


「ところで君…えーっと、コナン君。ひじりさんは一緒じゃないのかい?」


 確かひじりがコナンを見ていたはずだが、まさか本当に風邪をひいて寝ているのだろうか。
 浜野が殺されたことにより忘れてしまっていたが、湧き上がる不安を顔を見て払拭したい。
 だが、コナンは「え?」と目を見開くと期待とは逆の反応を示した。


ひじり姉ちゃん、みんなと一緒じゃなかったの?」

「ええっ!?何言ってるの!ひじりお姉ちゃん、ずっとコナン君の傍にいたのよ?風邪がうつったかもって、少し休むって言ってたのに」

「……部屋に、いなかったよ?」


 コナンの低い呟きに、ぞくりと背筋が凍る。
 蘭と園子の驚く声すら耳に入れず、土井塔は思わず駆け出していた。コナンもその後ろに続く。突然血相を変えて走り出した土井塔とコナンに荒達が驚くが気にしていられない。
 階段を駆け上がってコナンが寝かされていた部屋に行けば、やはりそこに彼女の姿はどこにもなかった。


「いったいどうしたんだ?」

「いないんだ…」

「え?」

「いないんだよ!ひじり姉ちゃんが!!!」


 荒達が何事かと声をかけ、焦燥にまみれた声でコナンが叫び、くそっと舌打ちして部屋を出て行く。それに続いて各部屋を覗くが、やはりどこにもいない。


「蘭姉ちゃん、園子姉ちゃん!ひじり姉ちゃんがどこにもいないんだ、捜すの手伝って!!」

「ええ!?」

「ちょっと、それ本当!?」

「すみません、他の皆さんも捜すのを手伝ってください!」

「え、ええ…」

「分かった…」


 コナンと土井塔の必死の剣幕に荒達が頷く。
 蘭と園子も慌てて捜しはじめ、他の全員で一緒に捜すが、広いとは言え8人で捜して見つからないのはどう考えてもおかしい。


「ねぇ、ひじりお姉様どこにもいないわよ?まさか“影法師”に…」

「やめてよ園子!そんな…そんなはず、あるわけない…」


 顔を青褪めさせる蘭と園子をよそに、下駄箱を開いて見たコナンと土井塔はそこにひじりのブーツが残されているのを確認し、自らいなくなったわけではないことに最悪の事態を想定して舌を打つ。
 ロッジにはいない。ならばもう外しか残されていないが、いったいどこに。


「……まさか、彼女が“影法師”じゃないわよね」


 まだ捜し続けているらしい田中を除いた全員が玄関に集まり、見つからないひじりに黒田が嫌な発想をする。


「“飛べない鳩”で違和感なく高校生の男の子を演じ切れてた彼女だもの。……“影法師”と一人二役も何の問題なくできるはずだわ」

「そんな!ひじりお姉ちゃんが“影法師”なわけない!」


 悲鳴のような声で蘭が否定するのを聞きながら、コナンと土井塔は目を合わせて頷くと一緒に外に出た。
 浜野の死体が裏庭に置かれていたのだから、ひじりを攫ったのも同じ犯人だとしたら、ひじりもまた裏庭のどこかにいる可能性が高い。
 裏庭をぐるりと見ていないことを確認し林へと走って行くと、すぐに田中がこちらへ向かって来ているのが見えた。


「あ…2人共!ちょうど呼びに行こうと思ってたのよ!」

「─── ひじり姉ちゃん!」

「!!」



 田中の少し先に、短い黒髪を散らして横たわる女がいた。
 コナンが叫んで駆け寄るより先に辿り着き、顔を青褪めさせた土井塔は完全に気を失っている彼女をすぐさま抱き起こすと脈を取るのも忘れて揺さぶった。


ひじりさん!ひじりさん、起きてください!ひじりさん!!」

ひじり姉ちゃん!…くそっ、何があったってんだよ…!」


 瞼は固く閉じられたまま開かない。指輪のはまった左手は力なく投げ出され、肌は死人のように白くて嫌な予感が止まらなかった。


ひじりさん!ひじりさん、ひじりさん目を開けて…─── ひじり!!!」


 土井塔が叫ぶように名前を呼ぶ。瞬間、ぴくりとひじりの指が動いた。睫毛が震え、ゆるゆるとゆっくり瞼が半分ほど押し開かれる。覗いた深い黒曜の色に余裕のない顔をした自分が映った。


ひじり、さん…」

「…………なんて、かお、して…」


 ひじりが左手を動かそうとして、途中で力尽きてまた雪に沈む。
 意識が戻ったことに安心して長く深い息をつき、今更冷静に確かめれば浅いが息はしているし脈もちゃんとある。体温は多少低くなっているものの、生きた人間のものだ。
 ひじりはコナンも一瞥すると再び固く目を閉ざした。だが2人はもう慌てることはなく、土井塔は意識を失った体を抱き上げる。
 振り返れば蘭と園子が駆け寄って来ているのが見え、2人はひじりが土井塔に抱えられているのを見て、異口同音に名前を呼んだ。






 ひじりをベッドに寝かせて毛布をかけた土井塔は、彼女が靴を履いていなかったことと、自分が持って来ていた薬の中から睡眠薬がなくなっていることを告げ、おそらく犯人に眠らされたのだろうと見解を述べた。
 なぜかは分からない。ひじりは田中のターゲット外であるはずだが、もしかすると何か田中にとって不都合なものを知った可能性がある。


ひじりさんを一番に見つけたのは田中さんですよね?」

「ええ…ひと通りロッジを捜してもいないから、外のワイン蔵とか見に行こうと思って、裏庭の林の前を通ったら彼女が倒れているのが見えたのよ。いくら女性でも気を失っていたら運ぶのも難しくて……それであなた達を呼ぼうと思ったときにちょうど来てくれたってわけ」

「成程…。……彼女の周りに足跡とかは?」

「ごめんなさい…慌てて駆け寄ったから、確認しなかったわ」

「いえ、僕も気にする暇はありませんでしたから」


 浜野のときは自分がみんなを止めたくせにな、と苦笑して眠るひじりに視線を落とす。
 ─── 生きていてくれて、本当によかった。


「……さて、外傷がないか調べたいので…蘭さん、手伝ってもらえますか?」

「え、わたし?」

「男の僕が調べるわけにはいかないでしょう?」

「ボクがやるよ!」

「君も男だろ」


 勢いよく立候補するコナンを苦笑して却下し、蘭以外を部屋から追い出す。医大生という設定にしておいて本当によかった。
 園子の目からはトゲはだいぶ抜けたがそれでも「手ぇ出しちゃダメですからね!」としっかり釘を打たれ、はいはいと頷いてドアを閉める。

 ひじりを見つけたときは変装していることも忘れてしかもうっかり名前を呼び捨てにしてしまったが、声だけはそのままでいれた自分を褒めたい。赤井やひじりと変装術を磨く訓練で文字通り血反吐を吐いた甲斐があるものだ。あまり思い出したくないが。


「それで、わたしは何をしたら?」

「ああ。服で見えないところに怪我や気になる点がないか見てほしいんだ。あとは頭かな。打ってたりしたら大変だから」

「分かりました」


 しっかり頷いて蘭がひじりの体をチェックしはじめる。もちろんその間土井塔は後ろを向いたままだ。
 衣擦れの音によからぬ妄想をしてしまいそうになりドキドキするが、今はそんな場合ではないと己を戒める。
 平常心、平常心。ポーカーフェイスを忘れるな。


(あー、けどコナンには怪しまれてそーだな)


 ひじりに気安く触りやがって何だこいつ、くらいで済めばいいが、おそらく自分の名前がアナグラムで怪盗キッドになることくらいは気づく。
 本当に何者なんだか、あの子供は。漆黒の星ブラックスターのときも思ったが、どう考えてもただの子供ではない。ひじりは何だか知ってそうだが教えてくれないだろう。
 蘭にバレないよう、こっそりため息をついた。






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