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「今度は雪の日を想定した訓練だが…」

「あ…すみません、その日オレ、ちょっとどうしても外せない用事が」


 いつもの射術訓練の終わり頃、次の日時を赤井が言うと快斗が手を挙げて申し訳なさそうに眉を下げた。
 赤井は快斗の顔を見るとすぐに頷き、別の日を指定して確認を取る。ひじりは何の問題もない。快斗も分かりましたと頷いた。
 そのあと、使用した銃を分解掃除組立という行程を手早く行いながら何か用事があるのかと問えば、快斗は目を細めて小さく笑う。


「チャットのオフ会があるんです」





□ 奇術愛好家 1 □





 車の中で園子と蘭に挟まれながら、ひじりは園子の行うマジックを眺めていた。
 結び目を作った紐とひじりから借りた指輪を蘭の手に置き、白い布をかぶせて園子が手を入れて呪文を唱えると、


「あーら不思議!いつの間にか指輪が紐に通ってまーす!!」

「わぁー!」


 すごーい!と笑顔で褒める蘭に園子が得意そうな顔をして、ひじりにも「どうですか!?」と目を輝かせて訊いてくる。上手だったよと頭を撫でてやれば少し頬を赤く染めて嬉しそうに笑った。
 園子がやったマジックは簡単だ。指輪に結び目を押し込んで小さな輪を作り、そこに指を入れて引き抜いただけ。
 一切手を触れずにやってみせたのならひじりももう少し驚いただろうが、園子にそれを望むのは酷だろうと指輪を返してもらいながら思う。


「そういえばオフ会、本当にわたしとひじりお姉ちゃんもお邪魔していいの?」


 蘭の心配そうな問いに平気よと園子がすぐに返した。
 オフ会とは、インターネットを通じて知り合った者達が一堂に会する場。
 今回のオフ会は奇術愛好家連盟と呼ばれるマジックファンの中の数人でやるもののようで、園子はその常連である“土井塔どいとう 克樹かつき”という人物と巡り合ってチャットをするようになったらしい。
 それが実は快斗でしかも名前を並び替えれば怪盗キッドになるとは言わずにいたが。

 快斗も、まさか素顔の黒羽快斗としては現れないだろう。ちょっと気になることがあるので、と言っていたからただのオフ会でないことは明らかだ。

 今回のオフ会は山奥の別荘。
 車で行けるぎりぎりのところまで小五郎に送ってもらい、先に降りた蘭に続いてひじりが車から降りた。
 足を滑らせないようにと蘭と園子に言うと満面の笑みで2人に両手を取られたが、まぁいいだろう。荷物は小五郎が持ってくれているし。

 狭い橋を蘭を先頭にやや斜めにして歩いていると、園子が自分が男だと偽り「彼女を連れて行く」と言って蘭を連れて行くことにしたのだと話した。


「えーっ!じゃあひじりお姉ちゃんは!?」

ひじりお姉様もチャット仲間よ。と言っても、わたしがうまく30歳のオジサマを演じきれないときにフォローしてくれて、それでいっそ一緒にやりましょって誘ったから、始めたのはつい最近だけど」

「何で黙ってたのよ、ひじりお姉ちゃん!」

「園子に蘭を驚かせたいから黙っててほしいって言われたから」

「もう…」


 ごめん、と軽く小首を傾ける。もちろん計算してのものだがこれがうまくいき、蘭はすぐに怒りを引っ込めた。
 日々磨かれていく演技力に、後ろを歩きながらコナンが苦笑しているのが判る。

 園子は“魔法使いの弟子”、ひじりは“飛べない鳩”がハンドルネームだ。
 一応設定としては新一をモデルに小生意気な男子高校生ということにしているが、園子が「ひじりお姉様だって分かってても分からなくなりそうです!」と言われるくらい違和感はないようである。
 快斗にも、実は同じチャット仲間だと教えてオフ会に参加すること、そしてハンドルネームを教えればすごく驚かれた。
 ちなみに園子は設定上30歳の男性だが、あれではみんなにバレバレである。本人には言っていないが。


(……ん?)


 冬の澄んだ空気の中に、別の嫌な臭いが混じっているのを敏感に感じ取り、ひじりは目だけで見回した。
 微かだが、鼻をツンとさせる刺激臭。蘭と園子は気づいていない。コナンは風邪をひいて鼻が利かないから同じく。小五郎もどうやら気づいたようで小さく呟くが、気のせいかと思い直したようだ。


(この臭い……ガソリン?)


 なぜ、こんなところに。
 吊り橋を渡り終えて顔を橋へと向ける。まさか─── 考えすぎか。
 静かな黒曜に鋭さを宿すと、ふいに蘭と園子に手を引かれた。


「ねぇひじりお姉様、ひじりお姉様は何かマジックできます?」

「…そうだね…」


 一応オフ会用にネタは用意してあるが、今ここで、となると簡単なものしかできない。だが蘭と園子が2人揃って子供のような顔を期待に輝かせて見上げてくる。その顔にはどうにも弱い。
 ひじりは一度両手を離すと園子から先程使った布を貸してもらい、手の中に何もないことを確かめさせて布を左手にかぶせた。スリー、ツー、ワン、とカウントしぱちんと指を鳴らして布を取れば、そこには5個の小さな飴玉があった。


「はい、どうぞ」

「「わーい♪」」

「コナンと小五郎さんも」

「ありがとうひじり姉ちゃん」

「ありがとよ」


 それぞれに渡して口の中に飴を放りこむ。コナン以外のみんなも飴を口に入れた。
 盛り上がりはないがリクエスト通りマジックをしたひじりに上機嫌になった蘭と園子にまた手を取られて引かれながら歩く。
 ロッジに着いてノックすれば、中から玄関のドアが開いて男が出てきた。


「ああ…“魔法使いの弟子”さんですね?」

「は、はい…」


 みんなを驚かせる、と意気込んでた園子があっさり“魔法使いの弟子”とバレ、戸惑う園子に男が笑ってネタばらしをする。とは言っても、チャットの発言から女の子と判っていたという単純な答えだったが。
 男が「ねぇ皆さん?」と振り返ると20代後半と前半の男が1人ずつ、20代半ばと後半の女が1人ずつ立って笑っていた。
 目の前の男が“無口な腹話術師”ことあら 義則よしのり、“消えるバニー”こと浜野はまの 利也としや、“イカサマ童子”の田中 貴久恵きくえ、 “イリュージョン”の黒田くろだ 直子なおこ、 そしてアルバイトの須鎌すがま 清日呂きよひろ
 園子が“レッドへリング”こと土井塔克樹はまだ来ていないのかと問うと、ちょうどそのとき2階から小太りの男が降りてきた。


「あれ?もしかして“魔法使いの弟子”さん?僕ですよ、土井塔克樹!」


 何やってるの快斗。喉まで出かかった言葉を素早く呑み込み、キッドの変装術は流石だと感心する。架空の人物であるから、あらかじめ言われてなければ気づかなかっただろう。
 園子はチャットの発言からもっと爽やかイケメンを予想していたようで、目の前の土井塔の顔にショックを受けていた。


「ところであなた方は?」

「彼女に誘われて1泊することになった、毛利蘭です」

「その見送りに来た父です」


 荒の問いに蘭と小五郎が答え、目を向けられたひじりはそういえば名乗ってなかったことを思い出した。
 ガリ、と飴を口の中で半分に噛み砕いて口を開く。


「最近お邪魔してます、“飛べない鳩”の工藤ひじりです。初めまして」

「え…ええっ!?あなたがあの“飛べない鳩”さん!?」

「嘘、てっきり高校生くらいの男の子かと…」

「うわっ、マジ?」

「わぁ!こんな綺麗な人だったなんて感激ー!」

「やった!ひじりお姉様、みんなびっくりしてますよ!」


 多少は驚かれるかなとは思ったが、予想以上の驚きで全員がひじりを見つめる。土井塔には満面の笑みで手を握られた。すぐに園子がべりっと引き剥がしたが。
 園子と土井塔が2人共笑顔でばしりと火花を散らす。何やってるんだかと思いながらも無視だ。


「ま、まぁ話は中に入ってから…」


 驚きを残しつつも促されロッジに入る。
 コナンが泊まりたそうに小五郎に言うが、風邪をひいていることもあって却下された。


「じゃあ娘達をよろしくお願いしますよ!!」


 コナンの首根っこを掴んだ小五郎がロッジを去り、ドアを閉めたひじりはいつの間にか睨み合いに発展している園子と土井塔に呆れた目をすると2人の間に割り込んだ。


「ほら、行くよ園子」

「はーい、ひじりお姉様!」


 園子の手を引くひじりの腕に抱きついて甘え、土井塔を見てべっと舌を出す。素敵な人から敵へとランクダウンしてしまったようだ。


ひじりお姉様、土井塔さんには気をつけてくださいね!男はみんな狼なんですから!」

「その忠告園子で4人目…」


 そんなに自分がか弱そうに見えるのだろうか。
 ちなみに同じ忠告をしたのは新一と蘭と快斗である。
 むしろ快斗はそろそろ狼になったっていいと思うんだけどな、とひじりは内心で呟いた。






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