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 哀が小学校へ行くのを見送り、博士の研究の手伝いをして個人の仕事を片付けたひじりは、夕方の下校時刻になっても帰って来ないことに訝りはしたものの、どうせ元太歩美光彦による“少年探偵団”に引き入れられたのだろうと特に心配はしていなかった。


「哀、今日新一に話すのかな?」

「哀君はそう言っておったがのー」


 ならばコナンはきっと阿笠邸に来るだろう。
 哀は意地悪なところもあるので、コナンをからかうかもしれない。機嫌直しにデザートでも作ろうかな、とひじりは材料が足りるか確かめた。





□ シェリー 4 □





 目暮から電話があり、聞くところによると、どうやらコナン達は事件に巻き込まれたらしい。
 近くまで送ってくれたようなのですぐに帰って来るだろうと判断し、今のうちに済ませておこうかと博士に声をかけて風呂に入ることにした。

 体と髪を洗いゆっくり湯船につかって長い息を吐けば、リビングの方からコナンの怒声が微かに聞こえた。
 やはり来たか。湯船から上がって水気をタオルで拭い、薄手のパジャマを着て風呂から出る。リビングに顔を出すとすぐにコナンが気づいた。


ひじり!」

「ああ、いらっしゃい新一。哀もおかえり」

「ただいま。またドライヤーかけてあげましょうか?」

「今日はいいよ、ありがとう」

「なに仲良くしてんだ!こいつは黒ずくめの仲間だぞ!?」

「元、ね」


 怒鳴るコナンを振り返って訂正し、自分でドライヤーをかけはじめるひじりをコナンが睨む。
 ひとつため息をついてひじりが振り返った。


「大丈夫。この子は危険じゃないから。新一もまさか追い出したりはしないでしょ?」

「……ああ。嫌でも小学生しててもらうことにした」


 むすっとして言われた言葉に、哀と顔を見合わせてほらねと視線を交わす。
 ひじりが全く警戒していない様子に、コナンもとりあえず矛を収めて深いため息をつく。
 コナンは自分がひじりに大切に思われていることを分かっている。哀を警戒する様子がなくむしろ仲良さそうにしているので、警戒するだけ無駄だと思ったのだろう。
 それでも、哀が不審な行動を取らないかどうか目を光らせる。哀は組織にいたのだからそれは仕方のないことだ。


ひじり、オレ達は例の薬のデータが入ったフロッピーを取りに行くけど、お前はどうする?」

「またいきなり話が飛んだね。どういうこと?」


 さすがに情報が少なすぎて推測しづらいのでコナンに問うと、どうやら以前、哀が間違えてデータの入ったフロッピーを姉に送ってしまい、それが大学の教授のもとに紛れて返されたらしく、それを取りに行くのだという。


「残念だけどもうお風呂入ったから、私はやめておくよ」

「それもそうだな。まぁ取りに行くだけだし、ここで待っててくれよ」

「そうする。今から行くの?」

「ああ」


 頷くコナンに少し待ってもらうように言い、ひじりはドライヤーのスイッチを切るとキッチンへと移動した。夕食である肉じゃがをあたため直す。その間にコナンが蘭に電話をし、タッパーを3つ戸棚から取り出したひじりはそれぞれに肉じゃがを詰めた。箸は割り箸でいいだろう。
 教授の家は静岡にあるらしいので、3時間はかかる。帰って来てからご飯を食べるのでは遅すぎる時間だ。


「はい新一、哀、博士」

「ん?これ…」

「あら、ありがとう」

「車の中ででも食べて」


 それぞれに渡し、家を出て行く3人を見送って、ひじりはリビングのソファに腰を下ろした。
 どうやら哀は本当にひじりがジンの“人形”であったことを話していないようで、少し安心した。


(それにしても、広田 正巳…)


 今から会いに行くという教授の名前を胸中で呟き、赤井から話を聞いて調べた事件を思い出す。
 10億円強奪事件。犯人の3人はそれぞれ死亡。仲間割れを起こし、最後に犯人の1人が罪に耐えかね拳銃で自殺したとされた。
 自殺をした女性の名前が、広田 雅美。本名、宮野 明美。組織─── ジンに消された哀の姉。赤井の護れなかった人。

 この事件はひじりが退院してすぐのときに起こった事件であったため、全く関与していない。
 だから分からなかった。だが事件に関与していたとしても、広田雅美が哀の姉だとは気づけないままだっただろう。
 哀は姉の死を知り、どう思っただろう。組織に殺され、理由も教えられず、彼女の心には深い傷が残ったままだ。
 唯一の肉親を喪い、哀は家族をすべて失ってひとりになった。ひじりもまたひとり残された者だが、今隣には快斗がいる。


 哀には─── 誰がいるだろう。


 それを、これから見つけてほしいと思う。
 赤井に頼まれたこともあるし、ひとりの空虚さも知っているからできるだけのそのサポートはするつもりだ。
 哀はそんなに強くない。ひじりより年下の、今はだいぶ幼くなってしまったか弱い少女。
 隣にいることはできない。けれどあなたはひとりではないと、背中合わせでいることくらいはできるだろうか。
 ひじりが哀にできることといったら、それくらいしかないのだ。






 日付が変わって暫くすると、ようやく3人は帰って来た。
 リビングに持ち込んだノートパソコンで仕事をこなしながら待っていたひじりは、おかえりと声をかけ、博士の背中で既に眠っている哀にそっと近づく。


「泣き疲れて眠っちまったよ」


 コナンが声を潜めて言い、確かに目許が少し赤くなっているのが分かった。


「オメー、前に10億円強奪事件があったの、知ってるか?」

「うん」

「その犯人の1人が、こいつの姉さんだったんだ。…オレは…こいつの姉さんを、助けられなかった」

「新一のせいじゃないよ」

「けどよ…」


 眉を寄せ苦しそうな顔で俯くコナンの頭をそっと撫でる。
 コナンは─── 新一は、ただの人間だ。探偵で、今は小さくなってしまった小学生。できないことは当然ある。神ではないから、助けられないものもどうしたって出てくる。仕方のないことだ。
 けれどそう簡単に割り切れないのも分かっているから、ひじりはただ優しく撫で続けた。


「フロッピーは、返してもらえた?」

「いや…ちょっと事件があって、警察に持ってかれちまった。今度返してはくれるみてーだけど」

「じゃあそれまでお預けだね。お疲れさま」


 ぽんぽんと最後に優しく叩き、博士の背中から眠る哀を起こさないよう受け取る。小さく軽い体は簡単に腕で支えられた。


「私、哀を運んだら寝るね。新一も一緒に寝る?」

ばっ…! ……いーよ、オレは博士んとこで寝るから」

「そっか。じゃあ新一、博士、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

「遅くまで待ってもらってすまんかったの」


 気にしないでと博士にひらひらと手を取って自室へ戻る。
 無意識か哀が身じろぎして顔を胸にこすりつけ、おねえちゃん、と小さく呟いた。それを見て、哀のベッドに下ろそうとしたのをやめてひじりのベッドの方へゆっくり下ろす。前髪を払って頭を静かに撫で、電気を消して同じベッドにもぐりこんだ。


「……おやすみ、哀」


 ウェーブのかかった髪を梳く。
 返事はなかったけれど、目を閉じたひじりはゆっくりと意識を微睡ませていった。



 シェリー編 end.



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