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ひじりさん、こんばんは!今日もまたお美しい!」

「……はあ。ありがとうございます」

「加藤!!お前はさっさとこっちに来んか!!!」

「あああ~~~!待っててくださいねひじりさん!怪盗キッドの首を片手にお迎えに上がります!!」

「いりません」

「ばっさり切り捨てるあなたも素敵だ!!!!」





□ 漆黒の星 7 □





 中森にずるずると引き摺られて行ったのを見送ることなく、ひじりは呆気に取られていた面々を振り返った。
 蘭、園子、小五郎、そしてコナン。コナン以外はぽかんと加藤に口を開けて呆然としていたが、コナンだけはむすっと睨みつけている。


「……何だありゃ」

「加藤刑事。この間ちょっとあって」

「ありゃー完全に惚れてますね。ひじりお姉様も罪な人!」


 小五郎の呆然とした呟きに淡々と返し、園子が頬を紅潮させてきゃっと楽しそうに笑う。
 そうは言ってもひじりは快斗以外に興味はない。照れることもなくさらりとそう言う。


「まぁ、あの加藤刑事より黒羽君の方がひじりお姉ちゃんにはお似合いよね」

「やっぱ彼も誘っときゃよかったか」


 ちぃっと舌を打ちながら園子が船へと先導する。
 鈴木財閥お嬢様とその連れということでほぼ一番乗りで乗船でき、スタッフから小さな箱を受け取ったひじりは、パーティが始まるまでの間、時間があったので船の中を見て回ることにした。

 クイーン・エリザベス号は大きい船だ。
 船内の所々に警察官が立っており、ひじりに気づくと先日のことを知っている人物から気遣われ、偶然会った加藤は満面の笑みで手を振り近づいて来たが中森の拳骨に沈んで引き摺られて行った。

 ひじりは加藤について何も訴えたりはしないことにしたが、警察内部ではそうもいかず、加藤は始末書に加え半年の減給と下っ端からのやり直しになったのだと中森に聞いた。
 それでもクビにならずに済んだのはひじりのお陰だと頭を下げられ、貴重な部下を失わずに済んだことにほっとしていた。


「おや、ひじり君」


 廊下を歩いていると、今度は会長の史郎と鉢合わせた。


「会長。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「いやいや、気にすることはないよ。娘が世話になっているようだし、当然のことだ。今日は楽しんでいっておくれ」

「はい」

「それとそのドレス、とてもよく似合っているよ」


 それでは、と史郎がひじりの横を通って会場へと向かう。するとふいに言葉にできない違和感が走り、史郎を振り返ったひじりはその背をじっと見つめ、しかし何も言うことなく反対方向へ歩き出した。

 ひじりが身に纏っているのは薄い若草色のパーティドレス。
 華やかさより静かに若草が萌える淑やかさを漂わせたそれは、足を覆うブーツとは少々不釣り合いだが、凛とした雰囲気を持つひじりによく似合っている。
 ちなみに園子はネックレスや髪飾りなどをつけて飾りつけたがったが、あくまで主役は鈴木家、それに四葉のクローバーのピアスとシンプルな指輪が十分に引き立てているからいいかと納得してもらった。

 時間を確かめ、会場へと戻りコナン達と合流する。
 未成年ではないのでスタッフからカクテルを渡され、既に檀上に立っていた史郎の演説に目を向けたひじりは、乾杯の音頭を取る前に園子の母、朋子に乗船の際にもらっていた小さな箱を開けるよう促されてグラスをテーブルに置き、言われるまま箱を開けた。


「それは愚かな盗賊へ向けた、私からの挑戦状…」

「……成程」


 箱の中には、“漆黒の星ブラックスター”の模造品が煌めいて鎮座している。
 模造品だが決して安物ではない。本当に乗船者全員に渡したのだとしたら鈴木財閥恐るべし。
 朋子は一族の中でもかなりのやり手だと園子から聞いていたが、本当になかなかやる、と感心する。


「さぁ皆さん、それを胸におつけください!そしてキッドに見せつけてやるのです!!盗れるものなら盗ってみなさいとね!!!


 ひじりは模造品の黒真珠を見下ろし、さて怪盗キッドはどう出るか、と内心で笑う。
 これだけの数の中から本物を見つけ出すのは至難の業だろうが、朋子の性格上、赤の他人には預けないだろう。本物を持つ者を自分しか知らないという言葉が本当なら尚更だ。宝石というのは案外扱いが難しい。
 となると、候補はかなり絞られる。宝石の価値を知り、且つ朋子の信頼に足る人物が本物を持っている。


「─── え?そこにパパいるの?」


 周囲の会話は耳に入れて流し聞きしながらつらつらと考えていたらふいに園子の声が意識を引き戻し、すぐに会場内を見渡して史郎の姿を捜すが、彼の姿はどこにもない。
 違和感の正体はこれだったか。ひじりですらもしかしたら見落としていた、一片の不揃いな気配。
 コナンが近くの人に史郎の居場所を聞いて駆け出す。ひじりもその後を追った。

 史郎はトイレに向かったらしい。男子トイレに入るのはいかがなものかと思ったのは一瞬で、どうせ個室なのだから構わないと遠慮なく続く。
 コナンが勢いよくトイレを開ければ、そこには史郎が着ていた服が丁寧にたたまれ、変装マスクも置かれていた。


「見ろよひじり…どうやら怪盗キッドは会長に変装して乗りこんでたみたいだぜ」

「敢えて証拠品を残したってことは、警察かもしくはコナンに向けた挑戦状かな?たぶん調べても何も出てこないだろうね」

「フ…感謝するぜ。あの不敵な仮面を剥ぎ取るチャンスをくれたんだからな」


 にやりとコナンが不敵な笑みを浮かべる。
 ひじりは園子や朋子に説明することをコナンに頼み、中森を呼んで証拠品を回収させた。


ひじりさん、俺の傍を離れないでくださいね!相手は怪盗キッド!何があるか分かりませんから!」

「やかましい!お前は黙ってこれを鑑識に届けろ!!」


 拳を握って熱い眼差しでひじりを見つめていた加藤は、容赦のない中森の拳骨を食らい渋々言われた通り運んで行った。
 ため息をついた中森と共に会場へ戻る。既に他の誰かに変装しているかもしれないと周囲に視線を走らせた中森は、ふいに小五郎へとなぜか近づいて行き怒鳴った。


「奴の名前は怪盗キッドだ!!ややこしいから間違えんでください!!」


 ああ、そういえば小五郎は怪盗1412号としてしか知らないのだった。
 鈴木家に届いた予告状は史郎の手によって破られ、キッドの名前が消えていたことを思い出す。
 怪盗1412号─── かつて優作が走り書きされたその数字を見てKID、つまりキッドと呼んだことから今の通称が広まった。
 彼を長年追い続けている中森にとって、キッドは番号で呼ばれるべき存在ではないのだろう。


「あれ、そういえば蘭は?園子」

「蘭なら急に出て行ったひじりお姉様と、このガキんちょを捜しに行きましたよ」

「それは、迷惑かけちゃったな」

「大丈夫、すぐ帰ってきますよ」


 からからと笑いながら園子が手を振り、そうだねと頷きを返す。だが彼女は方向音痴でもあるし、この広い船の中で迷ってなければいいが。
 蘭を捜しに行ってもいいが、方向音痴というのは思いがけない所へ行ってしまうもので、逆に入れ違う可能性もある。それでなくとも蘭は昔からかくれんぼが上手かったのだから、大人しくここで待っていた方が無難だろう。


「あれ、そういえばひじりお姉様、黒真珠つけてないんですか?」

「ああ、そうだね忘れてた。……あれ、どこに置いたっけ」

「失くしたんですか!?」

「ううん、確かそこら辺のテーブルに……あ、あった」


 キッドを追うために近くのテーブルに一旦置いたことを思い出して探すと、確かに記憶通りの場所にそれはあった。
 箱を開けて中身を見る。蛍光灯の光に反射してきらりと煌めくそれを、素手で胸元につけた。


「ありました?」

「うん。……あ、蘭」

ひじりお姉ちゃん!もう、捜したんだよ?」

「ごめんね」


 可愛らしく頬を膨らませる蘭の頭を撫で、照れながらも嬉しそうに笑う蘭に捜してくれてありがとうと言って軽く叩く。
 外の様子を園子が訊き、蘭が刑事さんでごった返してたと答えていると、壇上に上がった見慣れない刑事─── 茶木が軽く自己紹介をして話し出した。その声を聞いて、先日キッドが真似をした茶木の声とほぼ同じであることに気づく。

 キッドが船に侵入していることを知らせた茶木は、キッドが変装の達人であること、顔声性格などを完全に模写する悪才の持ち主であるため、既にこの会場内の人に化けている可能性があると続けた。
 警察としては本来ならひとりひとり入念に調べ上げたいところだが、会場内の人間は皆有名な著名人ばかり。加えて今日は記念パーティということで無粋な真似は避けることにしたらしい。


「合言葉です!傍にいる方とペアを組んで、2人だけの合言葉を決めてください!」

ひじりお姉様!わたしと組みましょ!」

「うん、いいよ」


 合言葉を決めておけば次々と変装することはできないというわけか。さすがにこの人数分、少なくとも250組全ての合言葉を網羅することはいかなキッドでも難しいだろう。
 ひじりは園子の誘いに快く頷いた。


「えーっと、合言葉は何にしましょう?」

「そうだね……ああ、じゃあ初めて園子に会ったとき、私があげたものにしようか」

ひじりお姉様からもらったもの…?……あっ、ハンカチ!」

「そう。園子がそう言ったら、私はこう答えるよ。『その華のように可愛らしい顔に怪我がなくてよかった』って」

ひじりお姉様…!」


 合言葉にしては少々異質だが、だからこそ真価を発することがある。
 頬を上気させて両手を組み見上げてくる園子の頭を撫で、ふと傍でペアを組んだ蘭とコナンを見た。


「じゃあボクが『ホームズ』って言ったら」

「わたしは『ルパン』ね」

「……」


 ひじりの感情の窺えない目が2人を見つめる。正確には蘭を射抜くその黒曜の目が、到底幼馴染の少女に向けるものではないことに、誰も気づかない。
 フッと突然落ちた照明に紛れて、ひじりは薄い笑みを貼りつけた。






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