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 加藤を咎めることはなく、代わりに現場の出入りなどの便宜を計ってもらうことにしたと車に戻って告げたひじりは、見送りに出ていた中森と加藤を見ていたコナンに「甘い!甘すぎんだよオメー!」と予想通り怒鳴られてしまった。
 まあまあと博士が宥める。ひじり君が決めたんじゃからそれでいいじゃろう、と苦笑した。
 コナンはまだ不満そうであったが渋々納得してシートに深く体を沈みこませ、それで?と問うてくる。


「オメー、キッドと知り合いだったのかよ」


 やはり訊いてきたか。黙っていてもひじりが口を開かないと分かっていただろうから、いずれ訊かれるだろうとは思っていたが。
 博士はコナンから聞いていたようで驚きはしなかったがちらりと横目に見られ、話すか話さないか、少しだけ悩んだ後、ひじりは漸う口を開いた。





□ 漆黒の星 6 □





 長く追及されるのは面倒だし何より多大な心配をかけてしまったしということでひじりが話した内容は、しかし「監禁されているときに何回か会った」ということだけだった。中森に話した内容と同じだ。助けられそうになったが、できなかった。
 昨日暗号を解いて屋上へ行ったのは、もし解放されたらお礼を言いに会いに行くと約束したためで、じゃあキッドの言っていた問いってのは何だ、との質問には「それは私とキッドだけの秘密」と教えなかった。


「…オレはキッドを捕まえるぞ?」

「どうぞ。新一の邪魔はしないし、私はただ約束通り会いに行くだけ。こんな小娘がキッドの逃走を手伝おうとしても却って邪魔だろうから手出しはしないよ。ああ、捕まえたら素顔は見せてね」

「呑気だなオメー、キッドに狙われてる立場だって分かってんのか?」

「私快斗以外に目を向ける気ないし」

「惚気かよ」



 はいはいご馳走さん、とコナンが深くため息をつく。確かに惚気だが、事実を言っただけだ。
 ひじりはポケットを探って2枚のカードを取り出した。ホテルの屋上でもらったものと、ビルの屋上でもらったもの。それらをそれぞれ一瞥し、再びポケットに戻す。


「それより、次の予告日の4月19日は確か、鈴木財閥60周年記念船上パーティの日でもあったよね」

「ああ…だからその日にしたんだろ。どうやらあのキザな野郎、人に紛れるのは得意みたいだからな」


 にやり、コナンが不敵に笑う。
 警察はパーティを取りやめるべきだとも言うだろうが、キッドに恐れをなしたと思われては鈴木財閥の沽券に関わる。キッドもそのことはよく分かっている。パーティは予定通り行われるだろう。
 だが出航してから3時間は逃げる場のない洋上の監獄だ。盗めても逃げられなければ意味がない。そしてコナンはあそこまで挑発されて、逃がすつもりは毛頭ないのが見て取れる。
 厄介な探偵に目をつけられたなと内心で呟いたひじりに、そういえばとコナンが話題を変えた。


「そのパーティ、ひじりも呼ばれてるんだっけ」

「うん、園子に誘われたから。今となっては受けといてよかったかな」


 暫く前にもはや定期的になりつつあるお茶会で、「ひじりお姉様も是非参加してくださいね!」と満面の笑みで誘われていた。
 人混みが苦手というわけではないし人見知りもしない方であるから別に構わなかったが、ブーツがあり体力がそこそこ戻っていても、やはり慣れないことをするとすぐに疲れてしまう傾向にあって、あまり気乗りしなかった。
 もちろんそのあたりも園子は気遣ってくれたが、しゅんとした顔で「無理そうならいいんですけど…」と言われて断れるはずがない。最近あの子は分かってやってるんじゃないかと勘繰るが、どう見たって素なので末恐ろしい。
 押して押して押して押し切って最後に引く。妹特有のあざとさもあって、新一と蘭の姉代わりを長年務めていたひじりが陥落するのは早かった。


「ほんっと、園子に好かれてるよな」

「何を気に入ってくれてるのかは分からないけどね。懐いてくれるし可愛いよ、妹みたいで」

「オレにはただのわがままお嬢様にしか見えねーけどな」


 確かに同級生から見たらそうなのかもしれない。だが生意気とよく言われていた新一でさえひじりにとっては可愛い弟分なので、歳の差と贔屓目だろう。


「今度パーティ用のドレス借りに行くんだけど、どんなのが似合うと思う?」

ひじりなら何でも似合うだろ。てか、そういうのは黒羽に訊けよ」

「それもそうだね」


 特に服装などに興味もなく、“人形”である間は与えられていたものを適当に着ていたのもありそういったセンスは欠けた方なので、有希子が見繕ってくれた服もコーディネートを考えたことはなく無難に纏めていたが、快斗が阿笠邸に出入りするようになってからは、教えてもらいながら多少考えるようになった。
 よって、ひじりが選ぶより快斗に聞いて選んだ方が間違いはない。


「蘭のドレス姿、楽しみだね新一」

「はぁ!?なっ、何言ってやがる!べべべ別に楽しみなんかじゃねぇよ!!」

「写メいる?」

「………………いる

「分かった」


 聞き逃しそうなほど小さな声を逃さず了承すれば、博士がはははと笑う。
 顔を真っ赤にしてぶすくれながらシートに座りこむコナンを振り返り、ぽんぽんと小さな頭を叩くとべしりと手を払われた。
 まったく、素直じゃない。





■   ■   ■






 警察署から走り去ったビートルを見送り、署前にある花壇に腰を下ろしていた快斗は深く帽子をかぶり直した。
 ビートルが見えなくなるまで頭を下げていた中森が加藤の背中にバシッと強烈な平手を入れて中に入って行く。
 出勤したときは今にも自殺しそうなほど青褪めていた顔は光を取り戻していて、ひじりさんも甘いなぁと呟きポケットの中で加藤に仕掛けていた盗聴器のスイッチを切った。


(……本当に、心臓が冷えた)


 “怪盗キッド”として再会して、約束通り会いに来てくれたことが飛び上がるほど嬉しくて、本当はすぐにでも問いの答えを返したかったが、コナンや警察がいてはゆっくり話もできないと後に引き伸ばした。
 狙い通り中森をはじめとした警察官が集まってその中に紛れ込んだはいいが、あの熱血警官、よりにもよってひじりを屋上から突き落としたのだ。
 考える暇はなかった。助けなければ死ぬ。心臓が一瞬動きを止め、なくすかもしれない恐怖に背筋が凍った。
 だから、自分にも言い聞かせるように悲痛な声でひじりを呼ぶコナンに安心させるように言い、躊躇いなく屋上から飛び降りた。

 月に手を翳した彼女は、快斗、と自分の名前を呼んだのだろうか。声は風に紛れて聞こえなかったが、伸ばした手は確かに届いた。
 もう彼女は、白い手を振り払いはしない。

 それに、自分のわがままだが、ひじりは約束を果たすためにまた会いに来てくれる。
 ひじりの方からキッドを追いかけてくれるという事実がどうにも嬉しく、同時に“快斗”ではない自分を追っていることにどうしようもなく嫉妬してしまう。


「……いつかは、言わなくちゃだよな…」


 快斗は怪盗キッドでもある。
 本当はすぐにでも言うべきだったのだろうが、言うか言うまいか、悩んでいる間に時は過ぎ、言い出せるタイミングを逃してしまった。

 快斗がキッドでもあると言えば、こちらの事情に巻きこむことになる。
 だが、快斗はひじりの巻きこみたくないという意志を蹴り、喜んで自らひじりの事情に巻きこまれた。なのに自分の事情にはできれば巻きこみたくないと思って言えないままだなんて、フェアじゃない。
 けれど話してしまえば、きっとひじりは約束を果たしてもキッドのもとへ来る。そうしたら、スネイク達の目にも留まってしまうかもしれない。
 ひじりが強いことは知っている。それでも、できることなら余計な危険から遠ざけたかった。


(……わがままだな、オレ)


 言わないままでいて、いずれひじりが知ってしまったら、きっと怒る。もしかしたら失望されるかもしれない。やわらかな黒曜の目がいつだったか見た目のように冷たい光を宿して向けられるのが、すごく怖い。
 言わなければ。キッドはオレで、“快斗”として出会う前から2人は出会っていて、再会して、運命ですねって、笑う。


 ─── ひじりさんは、どんな顔を、するだろう。


 結局そこなのだ。余計な危険から遠ざけたいと思ったのが始まりでも、今はただ、今更正体を明かすことが怖いだけ。
 愛されている自覚はある。だからこそ、黒曜の目がどう変化するのかがとても怖くて仕方ない。


「あー……だめだ、赤井さんにしごいてもらおう」


 まさか相談もできるはずはないが、聡い彼はきっと気づくだろう。気づかなくとも、何も言われずとも、叩きのめしてほしかった。ぐずぐずと悩む馬鹿な自分を。
 いっそ話してしまえばいいと人は簡単に言うかもしれないが、話すためにどれだけの勇気がいるか分からないだろう。


ひじりさんから気づいてほしいってのは…卑怯、だよな」


 今はもう姿の見えないビートルが去って行った道を振り返る。
 気づいてほしい。気づいてほしくない。話したい。話せない。
 ぐるぐると正反対な思いが渦巻いて、深々とため息を吐いた快斗はやっぱりしごいてもらおう、と携帯電話を取り出した。






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