53
コナンは
ひじりが自分より早くこの杯戸シティホテルの屋上にいたことには驚いたが、おそらく彼女も暗号を解いてここに来たのだろうと納得した。
泥棒に興味があるとは知らなかったが、自分とて今時予告状を送ってくるレトロな怪盗の顔を拝みたくて来たのだからひとのことは言えない。
そして現れた、白い怪盗。
だがその登場よりずっと驚いたのは、
ひじりと彼─── キッドが知り合いだったということだ。
キッドは
ひじりにお久しぶりですと言い、
ひじりは約束でしたからと返した。
ひじりが帰って来てから、キッドと
ひじりが出会う機会はなかったはず。あればすぐに自分の耳に入るはずだ。
(─── ということは、誘拐されている間か?)
2人が交わす言葉の全てを理解することはできなかったが、何となく関係を察することはできた。
ひじりがキッドにした問いというのが気にはなったが、おそらく
ひじりは教えないだろう。
ひじりには悪いが、捕まえさせてもらう。そう心の中で呟き、コナンは用意していた花火に火を点けた。
□ 漆黒の星 4 □
ひじりが、落ちた。
閃光弾の光が治まると同時にキッドが忽然と消えたことで警察の1人、中森の部下の加藤とかいう若者が
ひじりがキッドの仲間だと騒ぎ、痛みを訴えた
ひじりが拘束を容易く外したと思ったら、落ち着きかけていた加藤が再び激昂し、
ひじりを押さえつけようと体を押して屋上の端に追い詰め、囲いが低かったせいで突き落とされる形となってしまった。
必死に手を伸ばしたが子供の体で手が届くはずもなく、ただ落ちていく儚い体を見ながら名前を呼ぶことしかできなかった。
警官が「君も落ちてしまう!」と止めたせいもあった。あまり憶えていないが、放せ、
ひじりが、
ひじりが!と壊れたレコードのように同じことしか顔を真っ青にさせて言わなかったと思う。
せっかく帰って来たのに。やっと
ひじりが「ただいま」と言えるようになって、快斗とも仲良くやって、少し笑えるようになったのに。
終わるのか、こんなに呆気なく、こいつのせいで。睨み殺さんばかりに青を通り越し顔を白くした加藤を睨むが、
ひじりが戻って来るはずもない。
「
ひじりっ…!」
急いで下に、ダメだ間に合わない!ヘリで受け止めろ!無理だ!
中森達が大声で怒鳴り合う中、警官に押さえつけられながらまだ手を伸ばしていれば、ふいに横に人の気配を感じた。
「大丈夫、彼女は死なせない」
「え?」
安心させる声に思わず動きを止めて顔を上げる。帽子を深く被った1人の警官がコナンに微笑んで見せ、次の瞬間、躊躇いなく屋上から飛び降りた。
「なっ!?」
驚いたのはコナンだけでなく、騒いでいた者も全員で慌てて下を覗きこむ。コナンも緩んだ拘束から逃れて同じように顔を出した。
警官が
ひじりに追いついてその体を抱きしめたとほぼ同時、ばさりと青い制服が脱げ、闇を鮮やかな白が切り裂く。
「か…」
「怪盗キッド!?」
「あいつ、警官に化けてたのか!!」
中森達の驚愕の声をよそに、白い翼は
ひじりをのせて風に乗り飛んでいく。
ひじりが助かったことでようやく長い息を吐いたコナンは、ハハッと笑みをこぼした。
成程、キッドが警官を呼んだのは自分への当てつけではなく、あの閃光の中で素早く警官に紛れて姿を隠すためだったか。ハンググライダーで飛ぶように見せかけたのはただのフェイク。
「…………あ、キッドだ!キッドを追え!!」
ひじりが助かったことに一同安心してへたりこんでいたが、ふと我に返った中森が叫んだ。ヘリも慌ててキッドを追う。だが、もうキッドに追いつくことはできないだろう。
それより、とコナンは呆然としている加藤を睨み上げた。加藤は完全に血の気が引いた顔で、小刻みに震えている。
ひじりをキッドの仲間だと疑い、挙句突き落としてしまって後悔しているのは分かるが、到底庇う気になれなかった。こいつは、大事な家族のような存在を殺そうとしたのだ。
「お、俺…な、な、何て…こと…」
「加藤!何ぼーっとしてやがる!早く来い!」
「な、中森…警部……おれ、おれ…」
涙を浮かべて中森を振り返った加藤に、中森は一切の容赦がない強烈な拳骨を振り落とした。ゴヅッ、と痛々しい鈍い音が響く。思わず頭を押さえたコナンは、くずれ落ちた加藤と怒鳴る中森を見た。
「お前のことは後で考える!それより、
ひじり君の無事を確かめに行くぞ!お前が!ちゃんと確認するんだ!!」
「は…はい、はいっ」
よろよろと立ち上がりながら、慌てて屋上を出て行く加藤に中森が深いため息をつく。そしてコナンに気づくと膝をついて目線を合わせた。
「どうやら君は
ひじり君と親しいようだが…」
「
ひじり姉ちゃん、ボクの本当のお姉ちゃんみたいな人なんだ。だからよかった、キッドが助けてくれて」
「そうか…すまない、大切な人を怖い目に遭わせてしまった。言い訳はせんよ。キッドにも、今回ばかりは感謝しなければな。あいつがいなければ
ひじり君は死んでいた」
「うん…ねぇ中森警部、ボクも
ひじり姉ちゃん迎えに行っていい?」
「ああ、もちろんだ」
行くぞ、と背を向けた中森に続き、屋上を出てホテル前に停めたパトカーの後部座席に乗りこんだコナンは、キッドと
ひじりが降り立った地点が割り出せたとの連絡が中森に無線で入り、「本当!?怪我は!?」と思わず声を上げた。
「大丈夫、見たところ掠り傷ひとつないみたいだ。すまん、急いで向かってくれ」
「はい」
加藤は別行動で先に向かったのだろう、中森の指示に運転席にいた警官は頷くとすぐに発進させた。
その場所に着くのには然程時間がかからず、10分ほどで着いたビルの屋上へ中森と共に向かう。先に屋上の鍵を開けて待ってた加藤が気づいて振り返り、深々と頭を下げた。
「
ひじり!」
「ああ、コナン」
「無事か!?怪我はねぇな!?」
「大丈夫、掠り傷ひとつないよ。心配かけさせてごめん」
死にかけたというのにけろりと何でもないような顔をして、塀に背中をつけて座りこんだ
ひじりがぽんぽんと安心させるように頭を撫でてくる。
それにようやく自分が小さく震えていたのだと気づき、長く深い息を吐き出して震えを止める。
するとタイミングを計った中森が傍に寄り、膝をついて
ひじりに深く頭を下げた。
「
ひじり君、謝って済む問題ではないと分かっているが、本当に申し訳なかった」
「まぁ、キッドのお陰で助かりましたし、その話はまた後日。それよりこれ、中森警部に」
はい、と
ひじりが手に持っていたカードを中森に渡す。受け取った中森がそれを見ると、次の予告状と分かって大きく目を見開いた。
「こ、これは!!」
「キッドが残したカードです。その日、また現れるかと」
「ボクにも見せて!」
「ああ、ほら」
中森が腕を下げてコナンにも見えるようにしてくれ、それを見たコナンは薄らと不敵な笑みを浮かべた。
─── 今回はあっさり逃げられてしまいそうになったが、今度はそうはいかないぜ?
ひじりを助けてくれたことには感謝するが、それとこれとは話が別である。
「……ん?これ、裏にも何か書いてあるよ?」
「え?」
食い入るようにまた中森が予告状を見つめるとカードがコナンの目線より上がり、コナンが裏に書かれた文字に気づく。
慌てて中森がカードをひっくり返す。
ひじりも気づいていなかったようで、同じようにひょいと覗いてきた。
Dear Sleeping Beauty.
あなたは私の大切な眠り姫
その黒曜石に心奪われた
愚かな怪盗が、
あなたの美しく輝くふたつの宝玉を
いただきに参ります
怪盗キッド
|
「……何のこっちゃ」
「黒曜石とふたつの宝玉はイコール、ってことは、たぶん
ひじり姉ちゃんの目のこと。いただくってのは盗るってことで、言い換えると奪う。つまり、怪盗キッドが
ひじり姉ちゃんの視線を奪いにくるってことだよ。……まったく、自分だけを見てほしいってか?」
「相変わらずキザな野郎だな…」
カードの裏に書かれていた文章に、コナンと中森が揃ってため息をつく。しかもよく見てみれば2枚のカードが1枚になっていて、呆れたような顔をした中森は
ひじり宛のカードを剥がして渡した。
いいんですか?と
ひじりが首を傾げる。どうせ鑑識に回したところで何も出ないだろうし、
ひじりへのラブレターのようなものだと分かれば何だか手が痒くなると中森は頷いた。
「中森警部、救急車が到着しました!」
「おう、分かった!」
「何で救急車?」
「一応念のため、ひと晩入院してもらって検査を受けた方がいいだろう。大変な目に遭ったしな」
「そうしなよ、
ひじり姉ちゃん」
「……そう?コナンがそう言うなら」
ひじりの様子からトラウマになったようには見えないが、明日急に発症するかもしれないし、中森の言う通り念のためひと通り検査を受けた方がいいだろう。
コナンが同意すれば気乗りしないようだが頷き、屋上に上がって来た救急隊員に連れられて行く。人の注目を避けてか、
ひじりを乗せた救急車はサイレンを鳴らさず静かに夜道を走って行った。
「コナン君も家に送ろう。もうだいぶ遅いからな」
「あ、うん。ありがとう、中森警部」
「加藤!いつまでも突っ立ってんじゃねぇ!責任持ってこの子を家まで送り届けるんだぞ!」
「はいっ!」
屋上の入口から3人を見ていた加藤が、中森の怒声にびくりと身を竦ませて大きく頷く。
ひじりの無事が分かって顔色はだいぶ戻ったが、白から青に戻っただけでまだまだ顔色は悪い。
(ったく、そんなになるくらいだったら、最初から
ひじりにあんな剣幕で掴みかかるんじゃねぇよ)
無言でコナンをパトカーまで案内する加藤を見上げながら内心で悪態をつき、後頭部で両手を組んだ。
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