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 例の大阪から来た高校生探偵、服部平次に正体がバレたらしい。
 しかしどうやら正体を隠すのには協力してくれるようで、成程新一に友達がまた1人増えたか、とひじりは無表情の下で喜ぶが、


「で、私はいつその服部平次君を殴れるの?」

「……オメー、あいつがオレに酒飲ませたことまだ根に持ってんのか」


 呆れた顔をするコナンに当たり前でしょうとひじりは即答した。





□ 漆黒の星 1 □





 デートしましょうという快斗の誘いにのり、ちょうど米花博物館で宝石の展覧会があるということで、2人は米花博物館へ来ていた。
 チケットを買って中に入ると、人は多くなく静かであるはずなのに少し物々しい雰囲気が漂っていて首を傾げる。


ひじりさん、どうかしました?」

「うん…何だかざわついてるなと思って」

「そう言われてみればそうですね」


 館内の宝石を見て回りながら、目に入る警備員をちらほら見ていると、ふいに気づく。
 そう、警備員の数が多いのだ。春休みだが平日なので客の入りは多くないはずなのに、あちこちに真剣な顔をした警備員が立っている。
 いったい何があったというのか。この博物館には名のある宝石ばかりとはいえ、こうも物々しいとせっかくの美術品達をゆっくり楽しむこともできない。


「あ、ひじりさん、次は漆黒の星ブラックスターですって。鈴木財閥が出品してる…」

「そういえば園子から家宝の宝石を出品するって聞いたことがある」


 警備員達が気になるが快斗の言葉にのって意識から外し、ケースに入ったきらりと光を反射して煌めく黒真珠を見下ろす。
 見事な黒真珠だが、確か園子の話では60年前に購入したものであったはず。となると、これほどまでの輝きを残しているはずがない。
 偽物か。ひと目で見抜く。


「へー、綺麗なもんだな」

「……そうだね」

「うん?君、快斗君じゃないか?」


 ふいに声がかけられ、振り返ればちょびヒゲの男性が軽く目を瞠って快斗を見ていた。
 歳の頃は小五郎と同じくらい。彼と知り合いなのかと快斗を振り返れば、快斗は少し驚いたような顔をして「こんにちは」と言葉を返す。


ひじりさん、この人は中森警部。ほら、前に会ったオレの幼馴染、青子の父親です」

「ああ。初めまして、工藤ひじりと申します。先日お嬢様にお会いしましたが、とても明るく気持ちの良い方でした」

「あっ、これはこれはご丁寧に、中森です。……失礼ですが“あのひじりさん”…ですかな?」

「あの、とは?」


 ことりと首を傾けて問うと、中森はちらりと快斗を一瞥してひじりを見た。


「快斗君の彼女さんで、とても綺麗な人だったと娘から聞いていましてね」

「んなっ!青子の奴…!」

「光栄ですね。確かに、今快斗君とお付き合いをさせていただいてます」

「いやぁ、話には聞いていましたが、快斗君がこんな綺麗なお嬢さんと付き合えていただなんて羨ましい限りですな」

「お上手ですね、中森警部」


 2人の会話は和やかだが、ひじりの表情はぴくりとも動いていない。だがやはり青子の父親らしく全く気にしていないようで、はっはっはと朗らかに笑いバシバシ快斗の背中を叩いた。


「快斗君、逃げられないようにするんだぞ!」

「むしろ私が逃がしてあげれないくらいで」

「何と!快斗君は愛されてるな!」

「ま、まぁ…」


 笑う中森と無表情のひじり、照れて頬に赤みを差している快斗と三者三様だ。
 何とか頬の赤みを元に戻した快斗は、それで、と口を開く。


「中森警部がここにいるってことは…もしかして、キッド絡みですか?」


 ─── キッド。
 瞬間、ひじりは一瞬だけ息を呑んだ。脳裏に白が翻る。そうだ、彼との約束も、果たさなければ。
 中森はまぁなと頷き、懐から1枚の白いカードを取り出すとそれを見せてくれた。


「快斗君は頭が良かったよな。この暗号の意味が分かるか?」

「暗号?」

「快斗、私にも見せて」


 カードには、以下の文が書かれていた。




April fool
月が2人を分かつ時
漆黒の星の名の下に
波にいざなわれて
我は参上する

    怪盗キッド




「……怪盗キッドからの予告状、ですか」

「April foolってことは、4月1日に来るってことですよね」

「そうなるな」


 ひじりが無言でじっと予告状を睨むように見て、ふいに中森の名を呼んだ。


「中森警部。もしこの予告状の謎を解いたら、私を現場に連れて行ってくれませんか」

ひじりさん?」

「な、何を言っとるんだね君は」

「お願いします。私は…キッドに、会わなければいけない」


 あの聖なる雪の日にした一方的な約束を、果たさなければならない。
 表情がないながらもその黒曜の瞳を真剣に煌めかせて中森を見上げるが、やはりひじりはただの一般人、しかし…と当然のように渋られる。


(……仕方がない)


 約束はいずれ必ず果たすつもりではあった。けれどどうしてもキッドとの接点は今までになく、この機会を逃すわけにはいかなかった。
 ひじりは細く息を吸って吐き、できるだけ淡々と感情をこめないように言う。


「中森警部。5年前、ある一家が殺され少女が誘拐された事件、憶えてますか?」

「あ、ああ、憶えておるよ。確か最近生きて戻って来たと…」

「その少女が、私です。私は誘拐されている間に、キッドと会ったことがある」

「何ぃ!?」


 驚愕と共に大声を上げ、何事かと警備員や客達の視線が集まる。中森は慌てて口を手で塞ぎ、ひらひらと手を振って何でもないと示すと声を潜めた。


「キッドと会ったことがあるって…本当か!」

「……はい。彼は…私を助けてくれようとしたんです。結局できませんでしたけど、私が今ここにいる切っ掛けにはなってくれました。だから、そのお礼をしなければなりません」

「しかしだな…だとしたら、君がキッドを逃がすことも」

「それはありません」


 中森の懸念をばっさりと切り捨て、ついと鋭い光を宿した目を細める。どうしてだか中森には、それが不敵に笑っているように見えた。


「むしろ協力しますよ。あの白き衣を剥いで、その素顔を月光の下に晒して礼を言うことが、私の目的ですから」

「……もしかして、キッドは君に何かしたのかね?」

「キッドのお陰で、危うく私も彼も殺されるところでした。その罰、でしょうか」

「成程な」


 中森が暫し考えこみ、じっとひじりの真意を探るように見つめてくる。ひじりもそれから目をそらすことなく見つめ返した。
 深い深い黒曜の目。あまりに長く覗きこめば深淵に取り込まれそうな感覚にぞくりと背筋を凍らせ、ため息をつくのと同時に目をそらした中森は渋々頷いた。


「分かった。実はな、君のことは松本警視から少し聞いておってな」

「松本警視から?」

「以前、娘さんが世話になったそうじゃないか。もし君に会うことがあって、『工藤ひじりが困っていたら協力してやってくれ』と言われておる」

「ああ……そういえばそんなこともありましたね」


 娘が世話になった、というのは松本小百合の結婚式での一件だろう。
 あれから松本に会うことはなかったが、結果的に小百合が毒を飲むこともなく事件にもならず落着したと聞いたが、どうやらひじりに対する態度を少し軟化させてくれているようだ。
 確か園子から聞くには、俊彦は高杉家で跡取りとしてきちんと修業に明け暮れているんだとか。


「君がその工藤ひじりだとは思わなかったが……まったく、快斗君はとんでもない人を彼女にしとるなぁ」

「ははは、それがひじりさんの魅力ですから」


 今まですっかり蚊帳の外だった快斗が笑い、ひじりはその横顔を見つめるとすぐに外して中森を見上げる。
 中森はひじりと目を合わせ、ただし!とひとつ条件を突きつけていた。


「ワシが協力できるのは、この予告状を見せてやることだけだ!この謎が解けたのなら君がワシらの邪魔をせん限り見ないふりをしてやろう」

「ありがとうございます」


 予告状の暗号文をメモ帳に書き写し、それを閉じて中森の腕を引く。
 うん?と胡乱げに目を細める中森にひじりは唇に指を立てて黙らせ、快斗にちょっとごめんと言い残すと人気のない隅の方へと中森を連れて行った。


「工藤君、いったい何を」

「名前で構いませんよ。苗字は呼ばれ慣れていないもので。それより中森警部、合言葉を決めませんか」

「合言葉ぁ?」

「現場に現れた私がキッドでないという証明のための合言葉です」

「……成程」


 2人はホール内に背を向けてこそこそと言葉を交わす。
 少しして、2人は同時に頷くと快斗のもとへと戻った。


「ごめん、お待たせ快斗」

「いえ……それじゃあ中森警部、オレ達はこれで」

「ああ、デートの途中だったな。楽しんでくるんだぞ」

「失礼します」


 ひじりは快斗と手を繋ぎ、中森に軽く頭を下げてその場から離れた。


ひじりさん、キッドと知り合いだったんだ?」

「…知り合いってほどじゃないかな。気になる?」

「少しだけ。オレじゃなくてキッドに会いに行くだなんて言うから、嫉妬しますよ」


 苦く笑い繋いだ手に力をこめられる。
 そう言われればそうだ。彼氏兼婚約者の前で巷で有名な悪党に会いに行くとはっきり言われては良い気はしないだろう。
 ひじりは辺りを見渡して死角となる陰に引っ張りこむと、快斗の頬にキスをした。ぎょっと目を剥いた快斗が顔を真っ赤にする。ふ、と微笑んで赤い頬を両手で挟んだ。


「大丈夫、心を盗まれたりはしないよ。それはもう快斗に盗まれちゃったから」

「……オレ、泥棒じゃないんですけど」

「分かってるよ、王子様」


 冗談めかして額にもキスひとつ。
 さらに顔を真っ赤にさせた快斗が、顔を手で隠すと蹲った。






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