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 5人で和やかに飲み物を口にしながら談笑していると、ふいにガタイが良く、目つきの鋭い男が正装で控室に現れた。
 すわ不審者かと小百合を庇いながら声を荒げる蘭と園子の肩を叩いてひじりが落ち着かせる。


「あれ?蘭君じゃないか」


 するとひょこり男の後ろからもう1人男が顔を出して蘭の名前を呼び、蘭が目暮警部、と男の名前を呼ぶ。
 目暮警部。ということは、あの時計台のときに新一が迷惑をかけた警部というのは彼だろう。そしてガタイの良い男が警視、そして同時に小百合の父と紹介されて、ひじりは小百合が母親似でよかったと心から思ってしまった。





□ レモンティー 2 □





 松本警視が娘の小百合と話しているのを横目に、ひじりは目暮に歩み寄った。


「目暮警部、初めまして。私は工藤ひじりと申します、毛利蘭と工藤新一の幼馴染です。新一が随分とご迷惑とお世話をかけたようで…」

「おお、君が!いやぁ、世話になっておったのは我々警察の方で……工藤君は今行方を晦ませておるようだが」

「少々痛い目でも見たのではないでしょうか」


 しれっと嘯くひじりに目暮が苦笑し、早く帰ってきてほしいものだな、と言われて頷く。
 コナンがそんな迷惑も世話もかけてねぇよとでも言いたげなぶすくれた顔をしているのには気づいていて無視だ。


「目暮、彼女はもしかして」

「ああ……はい、例の5年前の事件の」

「そうか。噂には聞いている。無事に生きて帰って来て何よりだ」


 小百合との話は終えたようで、ひじりと向かい合う松本の顔は目暮ほどやわらかくなかった。
 それもそうだろう、あの事件にFBIが介入したことは公になっておらず、そのため捜査もろくにせず半ば無理やり終わらせたことに納得がいっていないだろうし、もしかしたら本当にひじりが一家を殺し火を放ったのだと思っていてもおかしくはない。
 そしてひじりもその考えを否定することはできない。だから僅かにひじりに対して浮かぶ疑惑の目に気づかないふりをした。
 疑惑の目は、同時に監視の目にもなる。ひじりに良からぬ連中が近づいたら即座に気づいてくれるだろう。

 ひじりと松本は簡単に名乗り合い、松本はひじりから興味を失くしたように背を向けると控室を出て行った。
 ふと気づけばコナンと蘭がすぐ傍にいて睨むように松本を見ていたから、おそらく良い目でひじりを見ていないことを察してしまったのだろう。
 何も言わずに蘭とコナンの頭を撫でたひじりは、目暮も去り入れ替わるように新たな男が入って来たのを見た。歳の頃は自分より下、蘭達よりひとつ上くらい。彼はその手に抱えた赤いバラの花束を小百合に差し出す。


「先生、ご結婚おめでとうございます」

「わーきれいなバラ!」

「でもひじりお姉様の方が早かむぐっ

「園子、水を差さない」


 園子の口を塞いだひじりが先程渡したバラは、机の上で静かに横になっている。
 流れるように小百合から花束を受け取ったひじりが机の上に恭しく置くと、蘭と園子の会話から、男が蘭のひとつ上の先輩で梅宮といい、小百合にぞっこんだったのだと知った。

 梅宮は小百合と少し会話をし、すぐに控室を出て行く。
 何やらキザな台詞を言っていたようだが快斗の方がさまになっているなと余計なところに思考が飛んだくらいで、気にも留めなかった。


「あーいっけなーい!ビデオの電池切れかかってる」


 蘭が画面を覗きこみながら言い、園子も「嘘ー」と同じように覗きこむ。どうやらバッテリーの充電を怠っていたらしい。


「確かこの辺に電気屋があったと思うけど、私買いに行こうか?」

「え、でも……」

「じゃあ一緒に行きましょう、ひじりお姉様!」

「そうよね。ひじりお姉ちゃん、この辺りの地理よく分からないでしょ?それに何かあったら大変だし!」


 あれ、とひじりが首を傾ける。蘭と園子が小百合と話せるようにとの申し出だったのだが、まさかの2人共ついて来る流れだ。
 だが蘭と園子の厚意を無碍にするのも気が引けるので、それじゃあ一緒に行こうかと小百合とコナンにひと声かけて控室を出た。


「あ、あなた……」


 控室の廊下を歩いているとふいに声がかかり、振り返れば先程レモンティーを届けてくれた一美がいて、声をかけたということは用事があるということなのだろうと、ひじりは先に行っててと言い蘭と園子を先に行かせた。
 素直に廊下を駆けて行った2人を見送り、一美に目を移す。一美は少し唇をもごつかせ、ちらりとひじりを上目遣いに見た。


「ねぇ、あなた小百合の初恋の人って、知ってる?」

「初恋の人…先生がレモンティーを飲んでる理由になった子のことですか?」


 知ってるのね、と一美はため息交じりに笑みをこぼした。
 まだ小百合が新任で、ひじりが合唱コンクールの伴奏の練習を放課後に一緒にしているとき、何となくそういう話になった。そう、何が好きかという他愛もない話で、レモンティーが好きなの、と言った小百合に、ひじりはどうして?と少女らしく興味津々で訊いたのだ。
 蘭達からこの話を聞いていないから、おそらく小百合がこのことを話した生徒はひじりだけで、ひじりもまた、内緒ねと言われたから今まで他人に話したことはなかった。
 当時のことを思い出しているうち、ふいに脳裏にある記憶が蘇る。


「…先生、たまに誰もいないところで悲しそうに笑ってるのを見たことがあります。まだ、初恋の人を捜しているんでしょうか」

「……違うわ。見つかったから、きっと悲しそうに笑ってたのよ」


 一美の静かな否定に、記憶の中の小百合から一美へと意識を戻す。
 見つかったから、あんなに悲しそうだったのか。だからその悲しみを宿した目に、同時に愛しさと切なさをはらんでいたのか。見つけた初恋の人に彼女がいたからという理由だけでは、あんな複雑な目はできない。
 一美は新婦控室の隣、新郎控室を睨むように見ると悲しげな笑みを浮かべた。


「実はね、小百合の結婚相手がその初恋の人なの」

「それは素晴らしい、まるで運命ですね」

「運命……なら、こんな残酷なことってあるかしら。新郎は小百合のことに気づいてないし……それに新郎の母親は、小百合のお父さんに」

「松本警視に?」

「─── 殺された、ようなものだから」


 悲しそうに紡がれた物騒な言葉が、華やかな場所で不釣り合いに小さく響く。幸い誰も気づいていない。
 ひじりは、だからあんな目をして笑っていたのかと理解した。成程─── これが運命なら、残酷だ。
 まったく、どうして運命とはこうも残酷なのか。内心で自嘲したひじりが言えたのは、「そうですか」という淡々とした言葉だった。

 なぜ一美が先程出会ったばかりの女にこんなことを話したのかは分からない。だが察するにおそらく、小百合の初恋の人が新郎であると知っているのは小百合と一美の2人だけ。
 そして小百合はそのことを新郎に言っていない。言えないのだろう、罪悪感から。


「……ごめんなさい、急に変なことを話してしまって」

「いえ。……貴重なお話、ありがとうございました」

「どうしてかしらね…あなたならあのバカみたいな2人をどうにかしてくれるだなんて、そんなことを思ったの」


 一美が苦笑し、ひじりが何も言えずじっと見つめる。


「あ、ひじりお姉ちゃ~ん!」

「お姉様、ただいま帰りましたー!」


 ふいに明るい声がかかり、振り返ればそこには急いで帰って来たらしい蘭と園子が手を振っていて、ひじりも手を振り返すと「本当にごめんなさいね」と入れ替わるように一美が去って行った。
 一美の背を見送り、目の前までやって来た蘭と園子が首を傾げるのにちょっとした世間話と誤魔化す。
 控室に戻った3人が扉を開ければそこには新郎の衣装を纏った男がいて、彼を目にした瞬間、園子が「あーっ!」と大声を上げて指を差した。


「あなたは高杉グループの跡取り息子!」

「き、君は鈴木財閥の…」


 どうやら園子が知っているらしい彼は高杉グループの御曹司の高杉俊彦で、優柔不断で頼りのない人物ともっぱらの噂らしい。
 成程、とひじりが小百合と俊彦を見れば、何と突然小百合から俊彦へキスをした。優柔不断で頼りないが、あの小百合がついていれば大丈夫だろうと言う蘭と園子をよそに、ひじりの底の見えない黒い目が小百合と俊彦を射抜く。


「……」

ひじり?どうした?」


 コナンの問いかけに小さく首を振って答えず、先程の一美との会話を思い出し、切なげに目を細めた。
 一美の気持ちが少し分かった。分かっていて敢えて黙っていなければならない第三者というのはつらいものがある。

 そして何より─── 感じる、小さな殺意。

 ひじりは他人の感情の機微に鋭く、そして何よりも殺意に敏感だ。長く鋭い殺気に覆われて生きていたから、感じ取ることは容易い。それは叩き込まれたものではなく、5年の間に無意識に培われてしまったものだ。
 中でも憎しみのこもった殺意は一番分かりやすい。どんなに隠そうとしても、憎んでいるからこそ隠しきれない。


「……」

「お2人さん、そろそろですよー」


 現れた式場スタッフの言葉に、俊彦が振り返って頷いた。


「あ、はい」

「先に行ってていいわよ、俊彦さん」

「え?」

「心配しないで、すぐ行くから」

「あ、ああ…」


 ひじりは2人を見て、目を閉じた。深く細く息を吐く。
 ぞろぞろと小百合を残して控室を出る中、ひじりだけ動かずに留まり、最後に俊彦が出ようとしたそのとき、勢いよく腕を引っ掴んで控室へ押し戻した。
 俊彦の目が驚きに見開かれる。控室を出ていた蘭や園子達も同様で、しかしその様子を目に入れることなく、控室の扉を閉めて鍵をかけると俊彦の腕を掴んだまま大股で小百合に歩み寄り、その手に持たれた缶を奪い取った。


「く、工藤さん…?」

「飲んでください」


 戸惑う小百合を無視し、缶を俊彦に差し出して感情の一切がこもらない声で言う。何を、と俊彦は掠れた声で言うが、その目は大きく見開いていてひと筋の汗を流した。


「このレモンティー、飲んでみてください。それだけでいい。あなたが真実小百合さんを愛しているのなら、飲んでみせてください」

「……っ」

「飲めないだなんて言いませんよね?これは市販のもので、何も毒なんか入ってるはずがない」

「っ!」


 ひゅっと俊彦が息を呑んで顔を青褪めさせる。ああ、当たってほしくないことが当たってしまった。
 できれば、感じた殺意は単なる勘違いであってほしかった。少なくとも今この場で事を起こそうとするものではなくてほしかった。
 ぎちりと缶を握る手に力をこめながら、その黒曜の瞳を鋭くさせたひじりは、さあ、と俯く俊彦をもう一度だけ促した。






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