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「何!?ガキがいなくなった!?」


 鼓膜を揺るがす怒声に意識を無理やり引っ張られ、ぼんやりと目を開けて黒い服を着た女と白い仮面をつけた男を見る。
 意識はすぐに覚醒し、体を起こして小さくあくびをこぼした彼女は、伸びをして軽く体をほぐすとソファから下りた。
 キッチンを見れば確かにコナンの姿が消えている。怒り心頭と言った様子で暴れる男を一瞥して、お風呂に入りたい、と無表情に心の中で呟いた。





□ お芝居 3 □





 結局、忽然といなくなったコナンをバロンは探し出せなかったらしい。
 2階から飛び降りるのは不可能であるし扉には鍵がかかって3人がいたしで、おそらく家の中のどこかにいるのだろうが、時間が迫っていたため一旦中断した。
 文代が運転する車内で仮面を取り素顔をさらしている男は、後部座席で足を伸ばしながら流れる景色を見るアスカを振り返ってにやりと笑う。


「新一は来ると思うか、ひじり君?……いや、今はアスカだったな」

「来るんじゃないのー?あの子結構なおバカさんだし」

「すごいな。何も知らなかったら君がひじり君だとは気づかない」


 男の褒め言葉に、しかしアスカは何も聞こえなかったように長い茶色の髪をいじって無視した。
 車が米花ホテルに着き、駐車場に停めて男が仮面をかぶり車を降りる。億劫そうにアスカもそれに続いて文代も降りた。
 フロントへ行きアスカが301号室の鍵を受け取って2人と共に部屋へと向かう。仮面の男がいて悪目立ちするが仕方ない。
 部屋に着いてベッドに腰を下ろすと、ふいに文代がポケットから携帯電話を取り出してあらと声を上げる。


「ごめんなさい、電話だわ」

「えー、ママ行っちゃうの?」

「すぐ戻って来るわ。帰って来たら食事にしましょう」

「それは取り引きの後にしろ」

「死体の傍でご飯食べたくないわよ」


 アスカの言葉ももっともだ。バロンはそれ以上何も言わず、文代は苦笑すると部屋を出て行った。
 扉が閉まり、息をついたアスカは早速部屋に盗聴器の類がついていないかを探る。コナンが先にこの部屋に辿り着いている可能性は低いが、念には念を入れる。


「OK、何もない」

「そうか…じゃあ時間まで少しゆっくりするとしよう」

「お風呂入りたいです」

「もう少し待ってくれ。先に食事をルームサービスで頼むか?」


 さすがに疲れてアスカの顔と声のままひじりに戻った彼女に、仮面を外した優作がメニュー表を渡す。ひじりはそれを受け取って眺めるが、少し考えた後に首を振ってメニューを戻した。


「コナン…新一がこの部屋に忍び込むチャンスは、多い方がいい」

「じゃあネタばらしをした後だな」


 ひじりの意図を汲んで頷いた優作がメニュー表を机に戻す。
 時間がまだあるので優作も寛ぎはじめたのを見て、ひじりは声をかけた。


「優作さん、仕事の方はいいんですか?」

「ん?ああ、原稿放り出して誰にも言わずに日本に来たからな、問題ない」

「……新一のことだから、ネタばらしされたら逆切れしてチクるのに賭けます。大人しく素直に親の言うことを聞く子じゃないですよ、新一は」

「…………パソコンはどこにやったかな」

「博士に頼んでクロゼットの中に一式入れてます」

「流石ひじり君」


 優作がクロゼットを開け、パソコンその他一式が詰まったバッグを取り出して早速机に向かう。幼馴染であるひじりの言葉に、親である優作もありえると否定できなかったらしい。
 ひじりは冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出しキャップを開けて飲んだ。


ひじり君、ひとついいかな?」

「何でしょう」

「新一と一緒に、ひじり君も外国へ来ないか」

「お断りします」


 即答でバッサリ切り捨てると、優作は分かっていたとばかりに笑んだ。
 ひじりにはやらなければならないことがある。だから逃げるわけにはいかない。それに、何より外国へ行くのならば快斗と離れなければならない。そんなことできるはずがなかった。
 優作はそうかと言ったきり黙ってパソコンに向かい、ひじりはお茶を飲みながら暫しの時間を潰し、やがて予定時刻が迫ると優作はパソコンを閉じて仮面をつけ、ひじりはアスカとして退屈そうにベッドに転がった。


 コンココン


 不規則なノックがして、イスから立ち上がったバロンが扉を開ける。そこには帽子マスクサングラスと怪しさ満点の大男がいて、手にはアタッシュケースが持たれていた。
 遅かったな、とバロンが声をかけて部屋に招き入れる。大男と顔を合わせ、アスカは億劫そうに言った。


「おっそいわよ!このあたしをどんだけ待たせる気?例の物はちゃんと持って来たんでしょーね!」


 大男が頷いてケースを掲げて見せる。アスカは鼻を鳴らして髪を掻き上げた。
 扉を閉めようとしたバロンは、ちょうど戻って来た文代も部屋に入れて扉を閉める。


「ママ、遅いー!」

「ごめんなさいね、アスカちゃん」


 アスカと文代が会話する横で、バロンと大男が取り引きを交わす。大男は気になるようにアスカを見たが、バロンが気にするなと有無を言わせぬ口調で切り捨てた。

 それから少ししてふいに部屋の扉がノックされ、文代が出るとホテルのボーイがワゴンを押していた。ルームサービスのようだ。しかし文代は頼んでないと戸惑うが、バロンのちょうど腹も減っていたし中へ運んでもらえという言葉でボーイを部屋に入れた。ベッドに腰掛けていたアスカがそれを見て顔を輝かせる。


「ご飯!?ママ、あたしのために頼んでくれたんだ!」

「え、ええ…」


 やったね!と飛び跳ねて喜ぶアスカに文代も笑みをこぼし、異様な面々に怯えるボーイをさっさとバロンが追い出した。
 バロンが戻って来ると、クロゼットの方を見ていたアスカがバロンを一瞥して一瞬目を合わせる。乾杯といくかい、という文代の言葉にアスカは腰から、バロンは懐から銃を取り出した。


「待ってママ!その前にもう1人、招かれざる客を紹介しなきゃ」

「も、もう1人の……」

「客人?」


 明るいが抜き身の刃のような笑顔を浮かべるアスカに、文代と大男がアスカの台詞を繰り返す。
 文代ははっとすると「まさか、あのボウヤが!?」とワゴンを覆う白い布をめくった。しかし、そこに思った姿はない。だがアスカとバロンは動揺することなく、アスカが銃を構え、バロンはクロゼットの取っ手に手をかけた。


「本当はこの……クロゼットの、中だ!!


 勢いよく開け放たれたそこに、いなくなっていたはずのコナンはいた。


「どこに行ってたの、コナン君?捜したんだよ?」


 驚愕と恐怖で顔を引き攣らせるコナンに、アスカはさらに助長するようににっこりと銃をちらつかせながら笑う。
 コナンがルームサービスを頼み、自分達がボーイと話している隙に鍵穴にガムを押し込み自動ロックを不能にさせ、ワゴンに気を取られている隙に部屋に忍びこんでクロゼットに隠れたのだろうが、詰めが甘い。
 バロンは鍵穴のガムにすぐに気づいたし、アスカは忍びこむだろうと分かって唯一の隠れ場所となるクロゼットとバスルームにさりげなく目を光らせていた。
 警察に相談するでもなく単身乗り込むとは、無謀としか言いようがない。

 コナンが腕時計型麻酔銃を作動させようとするが、残念なことにそれはコナンを閉じこめた際、アスカがいじって動かないようにしていた。
 まるで打つ手がなくなったコナンに、アスカとバロンは冷酷な笑みを浮かべる。バロンの持つ銃がコナンの額に向けられた。


「俺様を甘く見たことをあの世で後悔するんだな……そうだろ?高校生探偵……

 工藤新一!!!


 ドン!!










 ピタ



 大きな音と共に発射された、吸盤のついた矢のおもちゃがコナンの額に貼りつく。


「ぷっ」

「へ?」


 呆気に取られたコナンが自分の額についたおもちゃを取り、耐えきれずにバロンが喉を鳴らし、その間抜け面に大男も文代もバロンも声を上げて笑った。アスカは笑わず、すっと表情を消して肩をすくめる。
 バロンはカツラ付の帽子と仮面を取り、息子に素顔を晒して名乗った。


「まだ分からんのか?俺だよ俺…世界屈指の推理小説家─── 工藤優作だ」

「と、父さん……」


 呆然と目を見開くコナンが、じゃああのおばさんはまさか、と文代に顔を向ける。
 うふふ、と笑いながら女は自分の髪に手をかけ、勢いよくマスクを剥がした。


「ごめんね新ちゃん…」

「母さん!」

「でも、我が子に気づかれないなんて、まだまだ私も女優としてやっていけるわね」

「……てことはその大男と女は…」


 コナンが大男と表情を消したアスカを見る。
 大男の腹部が内側から開き、中から出てきたのは阿笠博士で、女はアスカのマスクを剥がしながらコナンに歩み寄って手に持った銃を顔に向けて撃った。


 ポン!


「うわっ、ひじり!?」


 銃口から出てきたのは一輪の赤いバラ。それを引き抜いてコナンの胸元に差し、変声機も外したひじりは悪戯っぽく目を細めた。


「新一、アウトー」

「んなっ!」

「それじゃあ私、お風呂入って来ますね」

「ええ、お疲れさま。ゆっくりしなさい」


 物言いたげなコナンを置いて、ひじりはさっさと3人に声をかけると博士のケースから着替えを取り出してバスルームに引っこんだ。
 バスルームの扉を閉め、ため息をつく。さて、新一は両親の外国に行こうという誘いにのるだろうか。
 悩む間もなく、答えはすぐに出た。のらないだろうな。黒い服を脱いで、ひじりは小さくため息をついた。



 お芝居編 end.



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