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はいできた、と言われて鏡の中を見れば記憶の中にある自分の顔とは全く違う、無表情ながらどこか高飛車なイメージを彷彿させる少女の顔がそこにあった。
「可愛いわよ、アスカちゃん」
「当たり前でしょ、ママ」
江戸川文代の顔をして笑う彼女に、
ひじりもまた江戸川アスカとしてにっこりと笑った。
□ お芝居 2 □
「ちょっとママ、逃げられちゃったわよ」
「まったく、誰に似たのかしら」
コナンを母と姉として迎えに行き、車に乗せたまではよかったが、黒い服を纏う2人の姿と文代の言葉から黒ずくめの仲間かと疑ったコナンが隙を突いて逃げ出してしまった。
子供特有のすばしっこさと車の往来が災いして追い切れず、コナンの後ろ姿を見送ったアスカはため息をつく。
「アスカちゃん、あの人に電話かけてくれる?」
「はーい」
文代から携帯電話を受け取り、迷惑をかけた人々に子供が悪戯をしてしまって、と頭を下げる母の姿を横目に目的の人物に電話をかけた。
ツーコールで相手が出る。どうした、と冷淡な声にアスカは唇を尖らせて後部座席で膝を伸ばす。
「ちょっとバロンー?あのボウヤ逃げちゃったんだけど、どうすんの?」
『何?逃げられたのか』
「だーれに似たんだかねぇ。ま、あたしもママも迂闊だったわ」
車に戻って来た文代が発進させ流れていく景色を見ながら、アスカは呑気にあくびをした。
敬語もなく敬意すら感じられない態度のアスカだが、電話の相手は気にした様子もなく笑みをこぼすと『そうか』と返す。
「でも、お陰であのボウヤが工藤新一だって確信した。バカよねー、あんなカマに簡単に引っ掛かるなんてさ」
『まさか本当に小さくなっていたとはな…』
「そんで?これからどうすんの?」
『捜せ!もたもたして警察にでも行かれたら面倒だ!』
予想通りと言えば予想通りの命令に、アスカはうげっと盛大に嫌そうな顔をした。面倒くさー…とその顔が言っている。アスカはコナンのことをよく知りはしないから、あてがないのである。まさか毛利探偵事務所に帰るほど馬鹿ではないだろう。
「簡単に言うけど、どこ捜せってのよ?」
『心配するな…奴の次の行き場所はおそらくあそこだ』
次いで言われた場所に、成程と頷いたアスカは電話を切って文代に顔を向けた。
「ママ、あのボウヤは阿笠博士の家に向かうだろうってさ」
「そうかい。ならちょっと急ぎましょう。アスカちゃん、しっかり掴まってて」
言うが早いか、文代は勢いよくアクセルを踏みこむと車のスピードを上げた。カーブを曲がるたびにかかるGに、相変わらず運転が荒い、と内心ぼやく。だがお陰で先回りができたようで、適当なところに車を停めてくると言う文代を置いてアスカは車を降りた。
阿笠邸の門には鍵がかかっていて家主の不在を知らせ、同時に同居人の
ひじりの不在も明らかだ。
アスカは周りを見渡して博士が帰って来たのがすぐに分かる場所の見当をいくつかつけ、そこを見張るように角の陰に隠れた。携帯をいじるふりをしてただの少女に擬態しながらコナンが来るのを待つ。
「アスカちゃん、ボウヤは?」
「まだ。ママはあっち見張ってて。たぶんこことそっちのどっちかに来ると思うから」
合流した文代に指示を出せば、文代は頷いて言われた通りのポイントに身を潜める。すると言い忘れていたことを思い出し、携帯電話で文代に電話をかけた。
「ママ、ひとつ忘れてた。ボウヤが来てもすぐに捕まえようとしちゃダメだよ」
『あら、どうして?』
「待ってる間は見つからないように気を張ってるから、すぐに気づかれちゃう。でも博士の姿を見たらきっと安心して気を緩ませるから、狙うならそのとき」
『分かったわ。ありがとうアスカちゃん』
電話を切り、それから少し経つと、思った通りコナンが現れた。
隠れた場所は文代が見張るポイント。アスカは少し考え、阿笠博士が姿を見せるのを待った。
暫し待ち、遠くから阿笠博士の姿が見えた頃、アスカは薄い笑みを見せて通りに姿を見せた。
まだコナンは気づいていない。博士を見て少し気が緩んだと同時、アスカが博士の姿を遮るようにコナンの目の前に立つ。
「お、お前…!」
「お姉ちゃん捜しちゃったよ、コナン君?」
驚愕に目を瞠るコナンに薄く笑ったまま見下ろす。
そのとき、無意識か後退ったコナンの口を、後ろから迫った文代がハンカチで塞いだ。
「うぐ…」
小さな呻きを残してコナンが倒れる。博士は気づかない。
「ゆっくりおやすみ、ボウヤ」
文代が既に意識のないコナンに笑み、アスカはコナンの小さな体を背負った。これで、周囲には眠る弟をおんぶしている姉とそれを微笑ましく見つめる母という構図ができ不自然に思われない。
アスカは文代が車を停めた場所までコナンを運び、後部座席に優しく寝かせると毛布をかけた。
「少し予定が狂ったけど問題ないわね」
「予定は未定。物事にイレギュラーはつきものだよ、ママ」
眠るコナンの頭を撫でながら言うと、それもそうねと文代が笑う。そして車を発進させ、予定通りの場所へと向かった。
都市郊外に残された、古びた2階建ての廃屋。
コナンをキッチンに閉じこめたアスカは小さな穴の開いたドアに身を凭れさせ、向かい合う文代とバロンと呼ぶ男とを見て口を開いた。
「バロン、さっきぶりー。顔を合わせたのはどれくらいかな?」
「お前は相変わらずだなアスカ。この俺様にそんな口を利けるのはお前くらいだ」
「だってそれがあたしだしー?」
「それで、あのボウズは殺したんだろうな?」
白塗りの仮面の奥に光る目に射抜かれながら、アスカは小さく笑うと首を振った。それに、アスカの不遜な態度ですら受け流していたバロンが声を荒げる。
「何!?まだ殺してないだと!?」
「無理をお言いでないよ!それが上からの命令なんだから…。何でも薬の副作用の特例として、組織に連れ帰り調べるそうよ」
慌てて文代がなだめるが、バロンは鼻を鳴らして不満げだ。
「わざわざ俺様が出向いたというのに…」
「上からの命令だもん、あたしだって納得してないけど、反したらこっちが殺されるわよ?」
アスカの言葉にバロンはやはり不満げに鼻を鳴らしてアスカを振り返り、ふと扉に近づいて穴を覗きこんだ。ひょいとアスカも横から顔を出してキッチンの様子を探る。中の様子は変わらない。コナンが横になっていた。
「あのボウヤ、起きたのかい?」
「いや……まだ薬が効いているようだ。ぐっすり眠っている」
「騒がれても面倒だから、あたしとしてはずーっと眠っててほしいけどね」
「しかし、あれが本当に高校生探偵の工藤新一なのか?俺にはただのガキにしか見えんが」
確かに、見た目は完全に子供の姿なのであれが工藤新一なのだと言われてもにわかには信じられないだろう。文代もまだ自分も信じられないけど、と言いながらコナンがイコール新一である根拠を口にする。
工藤新一が行方不明になった日と江戸川コナンが毛利探偵事務所に現れた時期が一致し、コナンの周りで起きた事件はすんなり解決。そして昼間、文代の車から逃げた手際の良さ。少なくともただの小学生ではないことは明らかだ。
「口封じのために組織が飲ませたっていう毒薬で小さくなってしまった、って考えるのが妥当よね」
「……アスカがそう言うのならそうなんだろうな」
「そうそ。あたしの考えはいつだって正しいんだから」
「だが、あれは死体から毒が検出されない毒薬だったはずだが…」
「毒が検出されない特性が何らかの作用を起こして幼児化させてしまったのよ、きっと」
「わたしもまだ信じられないけど、アスカちゃんがこう言うんだもの」
立ち上がって尻の埃を払い、ソファにどっかりと我が物顔で腰かけたアスカは、だからママ好きよと笑顔を浮かべた。
だがまだバロンは信じきれないようで、それじゃあ試してみるか、と言いながら懐からカプセルケースを取り出した。
「俺も持っているんだよ…組織が新開発した例の毒薬を。こいつを他の人間に飲ませれば、本当にこれで人間が小さくなるか分かるはずだ」
「でも誰に飲ませるんだい?」
「フフフ……明日、我々が取引する例の男だ。組織は取引が終わり次第その男を始末しろと言っている。この薬を試すにはちょうどいい」
2人の会話を流し聞きながら、ソファに寝そべったアスカは半眼であくびをした。誰を殺そうがコナンを始末しようが、アスカにとってはどうでもいいことだ。
文代がその薬で小さくなることが分かったらどうするつもりなのかとバロンに問い、バロンは冷酷な笑みで取引相手を殺し、そしてコナンの息の根を止めると断言した。
だが文代はそれは上からの命令に反するとバロンをたしなめるが、バロンはそれを冷たく振り払う。
組織の秘密を知った以上は生かしておけない。どうせ解剖するのだから死体でも構わない、上には逃げられそうになったからやむなく撃ち殺したということにしておけと言い切るが、文代は上からの命令に反することに納得がいかず食い下がる。しかし、それはバロンが文代に向けた銃口によって遮られた。
「くどいな!これが俺のやり方だ…つべこべぬかすと、死体がもう一体増えることになる」
「わ、分かったよ…」
「……アスカ、銃を下ろせ」
「ママを撃ったら、さすがのバロンでも殺すわよ?」
寝転びながら銃口はしっかりバロンに向けるアスカに、バロンはため息をついて先に銃を下ろした。銃を懐に戻したのを見てアスカも銃を腰のホルスターに戻し、2人に背を向ける。
バロンはアスカの背中を一瞥して文代に顔を戻した。
「それより、明日会う男に取引場所をちゃんと教えたんだろうな…?」
「ええ…いつもの呼び出し方法で」
「取引は13時だ!それまでたっぷり寝ておけ!」
バロンが自分も休もうとソファに体を向けるが、そこには陣取ってどきそうにもないアスカが背を向けたままだ。
アスカはちらりとバロンを見上げ、暫し睨み合うように目を合わせて文代がおろおろしだすと、ようやく体を起こして半分あけた。
すかさずそこにバロンが腰を下ろす。アスカは文代が持ってきた毛布を笑顔で受け取り、バロンに投げるように渡した。扱いの差が歴然である。
「それじゃあママ、おやすみ」
「ええ、おやすみなさいアスカちゃん」
笑顔で文代に声をかけて肘掛けに頭をのせ、毛布にくるまったアスカは、キッチンに続く扉を一瞥し、小さく鼻を鳴らすと目を閉じた。
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