40





 さて、解放されたひじりは20歳を迎え、成人となった。
 大学に通うことも考えはしたが、今更学びたいこともないし馴染めるとも思えないのでとりあえず保留とし、ならば国民の義務として労働に従事せねばならず、つまるところ就職活動中である。
 遺産は指輪を買ったとしてもまだまだ残っているので当分生活には困らないが、かといって食い潰すままというのは嫌だ。
 しかし、自分が果たして一般企業に溶け込めるはずもないと冷静に自己分析し、専門ではないが様々な知識が多分にあるので、フリーランスで何でも屋もどきでも始めるかと思いはじめた頃、阿笠博士によりひとつの提案がされた。
 曰く、


「ワシの助手というのはどうかの?」


 助手兼家政婦。研究の手伝いや家事などをしてくれるなら相応の給料を出そう。
 住み込みで食費も光熱費も必要なく、勤務時間は特に定めていない代わりにかなり自由で融通は利かせてくれるという博士の魅力的な誘いに、ひじりは一もなくのった。





□ お芝居 1 □





 博士の正式な助手になったからと言って、特に変わったことはない。
 研究の手伝いのようなことは今までもやっていたし、家事はひじりの仕事でもあった。それが給料制になっただけで、博士のツテでエンジニア関係にも手を出せばたまに依頼が舞い込むようになり、訳あって表に出れないということで博士を挟んでやり取りしているが、口コミで凄腕のプログラマーがいると広がっているらしい。快斗にももちろん職に就いたことは言っている。

 快斗は誕生日に渡した指輪も半分払うと言ってくれたが、残念なことに高校生が払える金額ではないので却下した。それでも食い下がるので出世払いということにしたが、受け取るつもりがひじりにないのは明らかだ。


ひじりくーん、ちょっといいかのー?」

「ちょっと待ってー」


 自室兼仕事部屋で依頼されたプログラムの修正を行っていたひじりは、博士の呼びかけに応えてイスを立ち部屋を出た。
 階段を下りてリビングに顔を出す。すると、そこには見知った顔が博士ともうふたつ。


「優作さん、有希子さん」

「久しぶり、ひじり君」

「この間ぶりね。新ちゃんから聞いたわよ~?彼氏できたんですって?」


 優しく笑う優作と、声を弾ませて抱きついてくる有希子を順に見て、お久しぶりです、と返す。阿笠邸に住まいを移してから電話で話したきりだが、どうやら先程インターホンを鳴らした客はこの2人だったらしい。
 有希子は嬉しそうにきゃいきゃいとはしゃいでおめでとうとひじりを抱きしめる腕の力を強めた。ありがとうございます、とひじりが返すと、優作もひじりの頭を撫でて微笑んだ。


「警察の方から事情は聞いた。大変だったみたいだが、悪いことばかりじゃなかったようだな」

「……そうですね。色々踏ん切りがつきましたし」

「髪はすごく短くなっちゃったけど、とても似合ってるわ。ピアスも指輪も、ね」


 体を離して綺麗にウインクする有希子はやはり目敏い。だが自分のことのように嬉しそうに笑うのだから、悪い気がするはずもなかった。


「おかえり、ひじり君」

「おかえりなさい」

「……ただいま。たくさん心配かけさせてすみません」


 頭を下げるひじりに、いいのよと有希子が笑う。ひじりちゃんがかえってきてくれたから、それでいいのと。
 ひじりは有希子を見て、今度はありがとうございますと礼を言った。どういたしましてと有希子が頭を撫でる。
 聡い2人もまた、気づいていて何も言わず迎え入れてくれる。それがとてもありがたかった。


「そうそう、今度その黒羽快斗君に会わせてもらえるかい?」

「快斗に?」

「ああ。色々お礼をしなければならないからね」


 にっこりと朗らかに笑う優作だが、その目はあまり優しくない。新一が快斗と火花を散らしていたときとそっくりの目に、ひじりは内心で快斗に手を合わせた。まぁ悪いようにはしないだろうと楽観的に頷く。


「それで、2人はどうして日本に?」

「あら、ひじりちゃんに会いに来たのよ?」

「それだけじゃないですよね」


 きっぱりとひじりが断言すると、優作と有希子、そして博士は顔を見合わせて笑った。


「実はの、ひじり君にも手伝ってもらおうと思ってのう」

「何を?」

「ちょっとしたお芝居をしようと思ってね」


 優作が悪戯っぽく笑う。何か企みを含んだ笑みだが、自分に向かってはいないので無言で先を促す。ひとつ咳払いをして、優作は語り出した。
 ひと芝居打ち、幼児化してしまった新一が関わってしまった組織がいかに危ないか、その身をもって危険だと知らせたい。あわよくば外国へ逃げ出し、安全な地で元に戻る方法を優作のツテを使い探して手に入れる。
 要約すればそんなところで、3人はひじりにその手伝いをしてもらいたいらしい。


「分かりました」


 新一が組織と関わらなくなるのなら、ひじりとしても願ったりなところだ。
 できれば優作も関わらないでいてほしいところだが、そこまで望むのは過ぎたものだろう。
 ひじりもまた組織と関わりがあるのだとは、いくら世話になっている彼らといえど話せるものではない。


「─── それで、私は何をすれば?」


 “お芝居”の内容をあらかた聞いて問う。
 どうやら優作の組んだ芝居の登場人物の1人にされるらしい。


「私が江戸川文代として江戸川コナンの母親を騙るから、ひじりちゃんはそうね…コナンの姉役の“アスカ”ちゃんにでもしようかしら。14歳で、性格は高飛車でプライドの高いお嬢様ってところね。ツンデレな感じで!」

「何かそんなアニメありましたね」

「あんまり時間ないから、演技指導みーっちり仕込むからね!」


 決行は明後日なので今から演技指導となるとかなりのスパルタになるだろうが、ある程度は昔からお遊びの一環で有希子に基礎を叩きこまれていたひじりにとって大した苦ではない。
 どうせやるなら基本無表情なところが共通したもう片方でもいいんじゃないかと思うが、それじゃ面白くないでしょ!とすぐさま却下された。


「いいじゃない、バリエーションは豊富な方が人生楽しいわよ!快斗君にもツンデレやってみたら喜ぶんじゃない?」

「……現状でも散々振り回している自覚があるんですが、さらに振り回せと」

「男は手玉にとって転がしてなんぼよ♡」


 ぐいぐいひじりの腕を引きながら小悪魔の笑みを浮かべる有希子に、いっそ感嘆の息を吐く。
 ひじりの自室へ向かう2人を生暖かく見守る男2人を振り返り、ひらひらと手を振った。

 ひじりはまだ満面の笑みというのを浮かべることも感情を多彩に表に出すこともできていないが、演技となれば違う。
 表情筋が死滅しているわけではないので、顔の筋肉を思い通りにただ動かして表情を作ることは、心からのものでなければ比較的容易だ。
 問題は声の方だ。声は表情ほど簡単には偽れない。さらにひじりが演じる少女はひじりと真逆な感じなので難しい。
 うまくできるだろうかと不安に思っていれば、それを見透かしたように有希子は自信満々に笑って見せた。


「だーいじょうぶ!何てったって、あの大女優の藤峰有希子がマンツーマンで指導するんだから!」

「よろしくお願いします」

「任せて!」


 ひじりよりずっと経験豊富な有希子が言うのだからと素直に受け取り、短い芝居だができる限り全力で頑張るかと腹を括る。
 与えられるもの、得たものは決して無駄にならない。これもまたいつか何かの役に立つだろう。
 ひとつ頷いたひじりは、さぁ始めるわよ!と気合い入れる有希子と向かい合い、もう一度よろしくお願いしますと頭を下げた。
 それから暫く、


「違うわ!もっと言葉通り相手を馬鹿にする感じで!」

「あんたバカァ!?」

「高飛車な態度も忘れずに!」

「あんたバカァ!?」

「いい感じね!次はツン8割デレ2割な感じでこの台詞!」

「べっ、別にアンタのためにしたことじゃないから!」





「……何やら楽しそうじゃのう」

「いいことです」


 リビングにまで届くふたつの声に、男2人は揃って笑った。






 top