39
一緒に死んでほしいと言った。
同じくらい生きてほしいとも言った。
死ぬまで共に生きると、言われた。
だから私は、これを選んだ。
□ 誕生日 4 □
快斗はぽかんと口を開けたまま固まっていた。
目の前には真顔で両手に指輪ケースを開いて持つ
ひじり。ケースの中にはふたつの銀色に煌めく指輪があって、ああプラチナだな、と頭の冷静な部分が鑑定結果を弾き出した。
見る限りサイズはぴったりそうだ。いつ測ったのだろう。いや、
ひじりなら触るだけで判りそうだ。
どこか現実逃避にも似た思考をしていると、聞き取れなかったのだろうかと首を傾げた
ひじりがもう一度言った。
「私と結婚してほしい」
「待って待って待ってください。嫌じゃないです、すっごくびっくりしましたけど嫌じゃないんですけどあの、ひとつだけ」
「どうぞ」
「逆じゃないですか」
「最近は逆もありだと聞いたけど」
そうだけど!だけど普通は男から言うものでしょう!いつかはオレが言うはずだったのに!
ひじりさん男前すぎる!!
心の中でひと通り叫び、今更ながらぐわっと熱が集まる顔を手の平で押さえる。熱い。ものすごく熱い。
快斗が俯いて顔を押さえながらも耳や首が真っ赤なのを見て取って、言葉通り嫌ではないらしいと悟った
ひじりは、一旦指輪を膝の上に戻した。
「私は快斗に死んでほしいと言った。そして生きてもほしいとも。快斗はそれを受け入れて、死ぬまで共に生きると言ってくれたよね」
「…はい」
「けど、私達はいつ死ぬか分からない。それこそ明日にでもかもしれない。そう思ったとき、私達はいくら恋人同士でも死ねばそれで関係は終わりなんだって気づいた」
淡々とした、だが僅かに切なそうな声音の変化に気づいた快斗は赤みの残った顔を上げて
ひじりを見た。
ひじりもまた、快斗を見つめている。静かな黒曜の瞳と目を合わせた快斗は、
ひじりの言いたいことを悟った。
「快斗、私はあなたと共に生きて、共に死んでほしい。そしてその先も共にいてほしい。私達が共にいたのだという証を公的に残したい。私達は一緒に生きていたんだと」
「……だから、結婚、ですか?」
「そう。我ながら重いなって思ったけど、私が快斗にあげれるものなんて、そんなに多くない。けど取り戻した私の未来なら、あげれる」
死ぬまで共に生きようと、その証をあげると
ひじりは指輪にのせて言う。
それは確かに、17歳になったばかりの高校生にとっては重いものだろう。だが快斗は、
ひじりの言葉が理解できるのだ。理解できてしまう。
明日も知れぬ身の上で、誰に切り裂かれたのだとしても、確かに2人は共に生きていたのだという証を己の未来と共にくれるという愛する人の言葉を、どうして否定できよう。
「私と一緒の墓に入って、快斗」
それはあまりに斬新なプロポーズで、
ひじりらしいとも言えた。
快斗は笑った。嬉しいのだ。これほどまでに愛されていると分かって、嬉しくないわけがない。
重いとは思わない。死んでほしいという告白を受け入れ共に生きる覚悟も死ぬ覚悟も勝手に決めた自分の方が、余程重い自覚がある。
「いいんですね」
だから快斗は、逆にそう問うた。
ひじりの手からケースを取り、
ひじりの左手を恭しく取って上目遣いに見上げる。
「オレがこれを受け取ったら、あなたを死んだって逃がしてやれない」
重いのは、
ひじりではなく自分だと快斗は静かな笑みで言う。
晴れ渡った青空のような目の奥で、深淵を覗いたせいで宿った、狂気にも似た光が煌めく。それを確かに目にした
ひじりは、しかしやわらかく目を細めて頷いた。
「……望むところだよ」
ひじりの手が伸びて指輪をひとつ手に取り、快斗の指にはめる。
左手の薬指にはまったシンプルなそれはやはりサイズぴったりで、まるでそこにあるのが当然とでも言うように違和感なく馴染む。
快斗ももうひとつを手に取り
ひじりの左手薬指にはめた。そして、誓いの口付けのように唇を落とす。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命尽き、またこの命果てようと、永久に真心を尽くすことを誓います」
厳かな誓いがゴンドラ内に響く。
快斗が顔を上げると
ひじりは伏せていた目を開けて真っ直ぐに見つめ、お返しと言わんばかりに快斗の左手を取って薬指の指輪に唇を落とした。
「死してなお、共に」
「はい」
ひじりの短く簡潔な誓いに、快斗は微笑みながら頷いた。すると
ひじりが小さく微笑み、するりと頬を優しく撫でて引き寄せられる。
近づく顔に頬を赤くしながら、年上らしく
ひじりにリードされていることが少しだけ悔しいと思う。だが
ひじりから触れられているのだと思えば嬉しさの方が勝って、快斗は悔しさを誤魔化すように
ひじりの髪を梳いた。
キスは触れるだけ。快斗としてはもう少し先に進んでもみたいところだが、我慢している。
だが本当はそのやわらかな唇を貪って、薄い布の下にある白い体を暴いてやりたいという欲求も無論ある。
ジンという男が
ひじりをどう思っているのか、あの夥しい鬱血痕を思い出せば男の直感もあって容易に想像できて、ふとしたときに思い出してしまうから、そのたびにジリリと強烈に胸を焦がす嫉妬心と独占欲に耐えねばならなかった。
しかし、
ひじりは快斗を選んだ。だから焦ることはないのだと自分に言い聞かせ、自分はあいつと違うのだと自制して思考をそらすように口を開く。
「来年、オレが18歳になった日に、籍を入れませんか」
快斗はまだ17歳。日本の法律では男子は18歳から婚姻可能となるので、来年まで待つ必要がある。当然
ひじりもそれを分かっていて、ありがとうと頷く。だがその顔が何だかあまり嬉しくなさそうで、快斗は首を傾げた。
嬉しくなさそう、と言うかどこか不満げな、そんな感じだろうか。はたから見るとただの無表情だが、これくらいは読み取れる。
「
ひじりさん?」
ひじりからプロポーズしたのだから嬉しくないわけではないだろうに、どうしてそんな顔をするのだろう。
快斗が頭に疑問符を浮かべていると、ふいに
ひじりは小さくため息をついて快斗の両頬を己の手で包んだ。ずいと顔を寄せられて思わず背筋を伸ばす。キスするような甘いものではなく、問い詰めるような気迫すらあってさらに混乱した。
「あのね、快斗」
「は、はい」
ゴンドラが地上に近づく。小さく揺れたゴンドラ内で、しかし
ひじりは真っ直ぐに快斗を見つめたまま言葉を続けた。
「私は快斗にプロポーズした。快斗はそれを受け入れてくれた。けれど快斗はまだ結婚できる年齢ではなく、つまり私達は今婚約状態というわけで」
「はい」
そうですね、そうなりますねと内心で頷いた快斗は、
ひじりが何を言いたいのかが正確に分からないでいた。その様子に
ひじりがもうひとつため息をつく。嘆くようなものでも馬鹿にするものでもない、理解の遅い子供にじれったさを感じているようなものだ。
ひじりの頬に僅かながら赤みが差す。それを見て快斗の脳裏にひとつの可能性がよぎり、いやまさか、いやでも、と黙って続きを待った。
「……我慢はしなくていいよ」
ガチャン
小さな呟きと同時に手と顔が離れ、それって、と快斗が言葉の意味を理解すると同時、鈍い音がしてゴンドラの扉が開いた。
係員が外へと促す。
ひじりは快斗を見ずに外に出てさっさと歩き出し、慌てて快斗が後を追った。
「
ひじりさん、ちょ、待って!」
まさか、バレていたのか。
ひじりが言った先程の言葉は、快斗の劣情を正確に見抜いていたからこその言葉だろう。
ああそういえば、
ひじりは自分と同じかそれ以上に他人の感情の機微に聡いのだ。ならば快斗が
ひじりの無表情の小さな変化を読み取れるように、
ひじりが快斗の心情を読み取っていたのだとしてもおかしくはない。
それに、快斗はまだまだ若い少年で、そういった欲ももちろん人並みにあることを
ひじりは分かっているのだろう。なのに触れるだけのキスだけでそれ以上先に進もうとしないから、
ひじりの方から手を打った。
逆プロポーズで言った言葉は嘘じゃないが、そんな意図もあったのだろう。
「快斗の鈍ちん。私はそんなにか弱そうに見える?」
追いつくが何となく隣に並べずにいればそんな言葉がかかって、快斗はゆるく首を振った。
ただ、
ひじりを大切にしたかっただけで。負担をかけたくなくて、あいつと同じになりたくなかっただけだ。
しかしそんなことも、
ひじりはお見通しなのだろう。足を止めて快斗を振り返った
ひじりは腕を伸ばして頭にチョップを入れてきた。
「いだっ」
「ちゃんと分かってるから。でも、私が欲しいなら欲しいと言って。残念なことにうぶな生娘ではないけど」
「そんなこと!」
「分かってる。それでも綺麗だと快斗は言うんでしょう?だから、我慢しないでほしい」
快斗、と
ひじりが呼ぶ。髪を揺らし、形の良い耳に四葉を一輪ずつ咲かせた
ひじりが先を促すから、快斗は深いため息をついて視線をそらし、唸るように欲求を口にした。
「
ひじりさんが欲しい……手を繋ぐだけじゃなくて、触れるだけのキスじゃなくて、もっと……全部、ほしい」
抱きたいのだとは、さすがに言えなかった。それでも
ひじりには通じただろう、彼女は満足そうに頷いてよくできましたと頭を撫でてくる。
平日の閉園時間近くということで人の少ない中とは言え、とんでもないことを言わされたことに今更気づいて顔を真っ赤にする。
だが本音を吐露できてすっきりもしていた。我慢しないでいいのだ。きっと
ひじりは応えてくれる。
「快斗、帰ろう」
快斗に恥ずかしいことを言わせて満足した
ひじりが振り返ってほらと手を伸ばしてくる。
日に日に表情を表に出し始めている整った顔。短い髪。形の良い耳には四葉のピアス。その首には首輪はなく、白い手首にも手錠はない。僅かな光を反射する指輪が少し眩しかった。
「……
ひじりさん。オレ、今まで生きてた中で、今日が最高の誕生日です」
「それはよかった。でも私も同じ。最高の誕生日をありがとう、快斗」
2人手を繋ぎ、足取り軽く遊園地のゲートを目指す。
悲しくはない。苦しくもない。
ひじりはここにいて、これからも隣にい続けてくれる。
今度は
ひじりから手を伸ばしてくれることが、たまらなく嬉しかった。
誕生日編 end.
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