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(……どうしよう)


 快斗は悩んでいた。非常に悩んでいた。
 自分の誕生日をひじりに教えることを、すっかり忘れていたのだ。





□ 誕生日 2 □





 明日に迫った自分の誕生日は平日で、ひじりと会う予定はない。
 彼女との鍛練を始めてから、そして快斗と付き合いだして初めてのデートは今度の休み。そのときに言うとしたらもう過ぎてしまっているし、では言わないままでいた方がいいだろうかと思うが、自分がひじりの誕生日を教えてもらえず知らないうちに過ぎていては悲しいので、やはりどうやってか伝えた方がいいだろうか。


(工藤からさりげなく言ってもらうにしても、あいつ今いねーし…)


 トロピカルランドでひじりとデートをしたその日、新一も何か事件に巻き込まれて姿を消したとひじりづてに聞いた。
 危険が及ぶ可能性があるいうことでひじりが住まいを移した阿笠邸に赤井が送って行ったその日、なぜか新一本人から「オレが知らねーのにオレより早くひじりと会ってたってどういうことだ!」と怒りのメールをもらい、いくら探偵を名乗りひじりの幼馴染兼同居人と言えどFBIに協力することにしましたと言えるはずもなく、「ひじりさんの護衛をしてた人をたまたま助けた関係で特別に」と誤魔化した。嘘ではない。

 FBIが日本にいることやひじりが“餌”であることも当然だが、何より快斗自身が関わっていることをひじりと赤井は隠し通すと決めた。だから快斗が関わったのも護衛人を助けたところまでとされ、以降は“何も知らないひじりの彼氏”という設定だ。
 なので、ひじりから新一が組織絡みの事件に関わったことは聞いているがそれを詳しく聞くことはできないまま、居場所が特定されないよう解約したのだろう、急にメールも電話もできず完全な音信不通となったせいで頼むことはできそうにない。
 残るは寺井や赤井から言ってもらうという手はあるが、できることなら他人からではなく自分から言いたい。しかしその方法を考えているうちに誕生日を明日に控え、良い案が浮かばないまま放課後になってしまった。


「快斗ー、その“ひじりさん”って人に誕生日言えた?」

「言えたらこんな顔してねーよ」


 絶叫したためクラスメイト全員にバレてしまったひじりの名前を出す青子を半眼で見上げ、癖毛をぐしゃぐしゃと掻き回す。
 やっぱり「オレすっかり忘れてましたーははは」で通すか。しかしひじりに嘘をつくのは大変心苦しい上に、たぶん見抜かれる。
 深いため息をついた快斗に、青子は少し悩んだ素振りをすると眉を寄せた。


「忙しくて忘れてたって正直に言えば?」

「やっぱそれしかねーよなぁ」


 はあと重いため息を吐く。あれこれ手を考えるより正直に言った方がいいことは分かっている。
 それか今年は諦めるか。だがせっかく付き合っているのに何ももらえないのは悲しい。
 あとはひじりが実は知っていたパターンだが、それなら事前に欲しいものはないかくらい訊いてくるだろう。


「その、ひじりさんって人」

「ん?」


 悶々と思考の渦に入っていればふと横から声がして、振り向けば長い髪を揺らして紅子が立っていた。にこりと笑う顔は整っていて大人びているが、やっぱ髪短くてもひじりさんの方が綺麗だよなーなどと思う。


「黒羽君の誕生日を知らなかったからって、騒ぐような人なのかしら?」

「……いや、それはねーな」


 今更言おうが後で知ろうが、たぶんほぼ無表情であまり反応は変わらないだろう。
 快斗は愛されている自覚はあるが、だからといってひじりが一般的な女性のような反応を見せるわけではないと知っている。
 言っても言わなくても大して変わらない。けどもし何かしらプレゼントがもらえるのなら、おそらく消しゴムひとつでも後生大事にする。
 やっぱり今更でも言おう。快斗がそう決めると、紅子はくすりときれいな笑みを浮かべた。


「時計台前」

「は?」

「予言…いいえ、わたしの占いでは、黒羽君の彼女は時計台前にいるわね」


 時計台って、駅前の?青子が首を傾げると同時に、快斗は勢いよく立ち上がると走って教室を出て行った。それを見送った紅子は、にやりとひとつ意地の悪い笑みを浮かべると青子の方を向いて悪戯っぽく笑う。


「ねえ中森さん。追ってみない?」





■   ■   ■






 駅前の時計台。この間キッドとして現れ、手強い助っ人に苦汁を舐めた場所。
 全速力で走って来たというのにあまり息を荒らしていない自分の身体能力に感謝しつつ、人ごみの中を見回して目的の人物を捜す。
 紅子の予言─── 占いを本気で信じたわけじゃない。けれどどうせ伝えると決めたのなら直接言いたくて、気づけば駆け出していた。

 快斗は時計台を見上げ、ゆっくり息を吐いた。
 あの日、ひじりはここに来たのだろうか。自分に─── キッドに、会いに来たのだろうか。
 思って、首を振る。ひじりはあのとき、まだ解放されておらず“人形”のままだった。ならば会いになど来れるはずがない。
 早く会いに来てほしい。そうしたら、あの雪の日の答えを言えるのに。そうだ、鍛練が落ち着いてきたのだから、そろそろ予告状を出そう。会いに来てもらって、答えを言わなければ。


「……ひじりさん!」


 見つけた。快斗は人ごみに紛れる短い黒髪を捉えてそちらへ駆け寄れば、呼んだ通りの彼女が振り返った。その顔は無表情だが、ぱちりと瞬かせた目が少しだけ不思議そうだ。なぜここに、とでも思っているのだろう。


「会いたいって、思ってたんです。だからよかった、会えて」

「……ありがとう」


 湧き上がる笑みをそのままにして言えば、ひじりはやわらかく目を細めると腕を伸ばして乱れた髪を整えてくれた。とは言っても元が癖毛なのであまり変わらないが、何度か優しく梳いてひじりは満足げに頷く。
 指が離れる際に頬を撫でて、走ったときとは違う意味で心臓が跳ねて痛いくらいだ。
 隣に並んでするりと指を絡める。ひじりは何も言わず、きゅっとゆるく力をこめて握り返してくれた。


「あの、ひじりさん、どうしてここに?」

「何となく、時計台が少しだけ気になって」


 どぎまぎする内心を必死に隠しながら問うと、そんな答えが返ってきた。
 そうなんですかと頷いた快斗は時計台を見上げるひじりを見た。その横顔からは何を考えているのかは分からないが、キッドのことならいいなと思う。
 そして、自分がひじりに会いに来た理由を言おうと口を開いた、その瞬間。


「あーっ!その人が快斗の彼女さん!?」

「!?」


 後ろから聞き慣れた声がして、反射的にひじりを庇うようにして快斗は声の主を振り返った。そこには思った通り青子が目をきらきらと輝かせていて、その後ろで紅子がにやにや笑っている。
 はめられた。紅子は嘘を言わなかったが、教えたくなかった人間に知られてしまった。


「お前、何でここにっ」

「だーって、快斗の彼女さん見たかったんだもん!ねぇ紅子ちゃん!」

「ええ」


 全く悪びれた様子もなくにこにこと笑う青子は、快斗の後ろから僅かに顔を出して窺ってくるひじりと目を合わせると「うわぁ」と歓声を上げた。


「キレーな人!快斗にはもったいない!」


 うるせぇよ、余計なお世話だ。内心で口悪く言うが、ひじりの手前苦く顔を歪めただけだった。
 ひじりは快斗と青子を交互に見、その後ろにいる紅子も一瞥して頭を下げた。


「初めまして、工藤ひじりです」

「あっ、初めまして!快斗の幼馴染の中森青子です!こっちは小泉紅子ちゃん!」

「初めまして」


 互いに自己紹介をし、ひじりは無表情だが青子はそんなこと全く気にしていないようで、にこにこ笑いながらひじりと握手を交わした。
 何度か幼馴染がいるという話はしていたからすぐにひじりは思い当たったようで、あなたが、と納得したように頷いた。
 ひじりを快斗がさん付けしていたことと本人を見て年上だと気づいたのだろう、さすがにいくつですかという問いはしなかったが、“年上の綺麗なお姉さん”と憧れるような輝く目でひじりを見上げている。


「いいなー快斗、こんな綺麗なお姉さんと誕生日一緒に過ごせるなんて」

「あっ、馬鹿!」

「え?まさか快斗、明日が誕生日だってまだ言ってなかったの!?」


 目を見開いて言外に「馬鹿じゃないの!?」と言われるが、今まさに言おうとしたところを邪魔したのはどこのどいつだと青筋を浮かべる。
 だがすぐに慌ててひじりを見た。ひじりは無表情に快斗を睨む青子を見ていて、絡めた指をさらに強く握り締めた。まさか怒ったのかと思ったが、ひじりの口から発されたのは思ってもなかった言葉だった。


「知ってますよ」

「え?」

「寺井さんから聞いていましたから」

「なぁんだ、そうなんですか。よかったね快斗!」

「あ、ああ…」


 何だろう、悩みが解消されたというか取り越し苦労なはずなのに、青子のように素直に喜べない。淡々とした声音はどこか棘が生えているようで、変わらない無表情はむっつりしているような。
 気のせいだろうか。ちらちらとひじりを見ていると、まさか空気を読んだわけでもないだろうに、彼女さんにも会えたから帰るね!と青子は紅子と共にさっさと姿を消した。台風一過、とそんな言葉が頭に浮かぶ。


「……あの、ひじりさん。オレの誕生日」

「知らなかった」


 快斗の言葉にふいと顔をそらし、早口で言われた先程とは反対の言葉がまるで拗ねているようで、間違っていなかったことを知る。
 ひじりは眉間に小さなしわを刻み、でも、と続ける。


「あそこで知らないと答えるのは、何だか癪だったので」

「……えっと、それって」

「嫉妬に近いというか、ほぼ嫉妬。大体快斗が教えてくれてなかったのが悪い」


 顔を覗きこめばふいと反対方向にそらされる。そちらを覗きこめばまたそらされる。
 何度かそれを繰り返し、可愛い嫉妬をして快斗の誕生日を教えてもらえてなかったことに拗ねているのだとようやく実感し、快斗は笑みを浮かべそうになるのを慌てて戻した。それでも口角が吊り上がりそうになるのは止められない。


「……すみません」

「顔、笑ってる」

「すみません、ひじりさん」


 まさか嫉妬してくれるだなんて思わずにやけたままの顔でひじりを見ると、ひじりはじとりとした目で快斗を睨んだ。


「教えてくれなかった罰として、次のデート中止」

「ええっ!?」


 確かに教えていなかったのは悪いが、デート中止なのはむごい。
 がくりと肩を落として悲愴な顔をしていれば、ひじりが小さくため息をついてするりと絡めていて指を解いた。
 あ、と声がもれる。もしかしてこれも罰か。さらに肩を落としかけた快斗の耳に、ひじりの努めて感情を消した声が淡々と入った。


「明日19時、トロピカルランドの観覧車」


 それって。がばりと顔を上げると、ひじりは快斗にひらりと手を振って人ごみに紛れていった。
 ぽかんと口を開けて微動だにせず見送り、頭の中で先程の言葉を繰り返す。
 明日19時、トロピカルランドの観覧車。何があっても絶対に行こうと心に決めた。






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