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 快斗が赤井のもとで鍛練を始めて暫く経つ。ひじりも合流してからはいっそう厳しくなり、しかも覚えることが多すぎて頭がパンクしそうだった。
 体術、射術、科学知識、その他諸々。バイクは運転できるが、いずれ車からヘリまでの操縦はひと通りマスターさせるらしい。

 組織の連中といつやり合うかは判らない。だから短期間で詰め込めるだけ詰め込むのだと、赤井もひじりも一切の容赦がなかった。

 つらくないと言えば嘘になる。何度も吐いたし痣はできるし夢の中まで鍛錬訓練で魘されたことだってある。
 だがそれでも、やめたいとは思わなかった。叩き込まれるまま必死に自分のものにして、血反吐を吐きながら食らいついた。
 護るべき時にひじりを護れるために。自分の身を護れなければ、ひじりは快斗を護ろうとしてしまうから。

 想いは単純だ。護りたい。奪われたくない。奪わせない。そのために強くなる。
 格闘術だけでなく、知識も技術もその全てが自分の力となるのなら、やめたいなどと思うはずがなかった。





□ 誕生日 1 □





 青く晴れ渡った空をぼんやり見ていた快斗は、ぐるぐると頭の中で拳銃の分解・掃除・組立の流れをひたすらに繰り返していた。
 冷たい金属の感触と重さ、油のにおいなど、それぞれを事細かに思い出しながら同時に別のことも考える。

 言葉通り血反吐を吐いてなお必死に食らいついていたお陰か、赤井は当初より快斗を見る目がやわらかくなった。冷ややかさは拭い取られ、自分の持つもの全てを叩きこむかのような厳しい講義は、期待の表れでもあると判ったのは最近のこと。

 ひじりと自分のための鍛練だったが、あの赤井に期待されているのなら応えようと思うほどには、快斗は赤井を慕っている。だから、普段あまり褒めない赤井にたまにぐしゃぐしゃと頭を掻き撫で回されるのは、照れはするが正直嬉しかったりする。
 師弟関係と言えばそうなのだろうか。快斗の承諾なくひじりが申し出たこととは言え、今では心の底から感謝していた。


(そういや…)


 赤井はふと、快斗を通じて違う何かを見ているときがあった。それに気づいて問いかければ、余計なことを滅多に口にしない赤井はぽつりと快斗と同い年の妹がいるのだと教えてくれた。
 その妹についてはそれ以上何も言わなかったが、赤井に妹がいたことに快斗は心底驚いた。赤井も人間なのだと初めて知った気がしたのだ。


「─── かーいーと!聞いてるー!?」

「うわっ!?」



 至近距離から耳に突き刺さった幼馴染の怒声に思考がぶち切られ、快斗は間抜けな声を上げたが何とかイスから転げ落ちることを免れた。
 やべぇ、赤井さんに知られたらまたゴム弾撃ちこまれる。あれ超痛いんだよ。驚いたことより赤井からの仕置きの方が恐ろしくてばくばく跳ねる心臓を何とかなだめ、思考にはまり幼馴染の気配に気づけなかった自分にまだまだ要修業のスタンプを押した快斗は、腕を組み顔をムスッとさせた幼馴染を億劫そうな顔で見上げた。


「ったく、びっくりさせんなよ青子」

「青子、さっきから何度も呼んでましたー!……もう、最近の快斗変だよ?春休み前くらいから素っ気ないし、いきなり1週間学校休むし、学校来てもずーっと寝てて魘されてたり!」

「オレが変だからって青子にゃ関係ねーだろ?」


 頭の後ろで両手を組む。平日昼間は基本的にただのマジック好きな高校生なので、組織関連だと言えるはずがない。
 快斗の言葉にムッとさらに眉間のしわを深くした青子だったが、ふと目を瞬かせるとにんまりと目を細めた。からかうように吊り上がった口角に嫌な予感がする。


「はっは~ん?分かった、快斗好きな人がいるんでしょ!」

「んな!?」

「だ~って、同じくらいから付き合い悪いし、全然セクハラしなくなったじゃん!前まではスカートの中覗いたり更衣室の鍵壊して覗いたりしてたくせに!あと授業もちゃんと受けるようになった!みんなはやっと快斗が真面目になったって言うけど、本当は好きな人ができたからなんでしょ!」


 目敏い。流石幼馴染と言うべきか、あっさりと見抜かれている。
 セクハラしなくなったのも授業を真面目に受けるようにしたのも、我ながら単純だがひじりに堂々と会うためだった。
 快斗は口を開閉するが青子の言葉を否定する言葉は出ず、好きな人じゃなくて彼女なんだけどな、と心の中でぽつりと呟いた瞬間、ひじりがやわらかく笑ったことを思い出して顔を真っ赤にした。
 ああそうだ、絶対手に入らないだろうと諦めかけていたあの人は、これからは他の誰でもない、自分の隣にいてくれるのだ。


「……っ」

「……あれ?まさか本当に本当?」

「……悪いかよ。あと、好きな人は好きな人だけど今はかかかか彼女だからな!」


 見事当ててみせた青子にどもりながらも肯定して赤い顔をそらせば、青子はこぼれ落ちるかと思うくらい大きく目を見開いた。


「ええええええ────!!?」


 教室中を揺るがす絶叫がダイレクトに耳に入る前に手で塞ぎ、「うっせーよ!」と怒鳴ると、青子は快斗の胸倉を掴んで勢いよく前後に揺さぶった。


「誰!?誰誰誰!?どんな子!?他校の子!?同い年!?」


 がっくんがっくん揺さぶられてはまともに答えることもできないのに、そのことに気づかず目を輝かせて青子はさらに問うてくる。


「いつ会ったの!?青子も知ってる!?ねぇ快斗ってば!」

「……青子、黒羽君に彼女できてショックじゃないの?」


 青子の絶叫から視線を集めたせいか、青子のヒートぶりに彼女の友人─── 恵子が恐る恐る青子に訊くが、当の青子は快斗を揺さぶるのをやめて「全然!!」とどきっぱり否定して恵子を振り返った。


「青子はもっと年上がタイプなの!」

「そーいやオメー、最近話題の毛利小五郎がタイプだっつってたな」

「快斗!それ秘密って言ったじゃない!」


 青子の手が緩んだ隙に抜け出し、またヒートしても逃げれるよう距離を取って快斗が言うと、笑顔から一転して青子が怒った声を上げた。へいへいそーでした、と気のない返事をする。

 快斗と青子は確かに幼馴染だがあくまで大事な幼馴染止まりで、その間に恋愛感情はない。
 ただ青子のオジサマ好きを隠すのに快斗が付き合っていただけだ。だがそれも、快斗に彼女ができたことでなくなるが。
 青子は快斗にオジサマ好きをバラされて不満そうだったが、すぐに快斗に彼女がいることを思い出してまたにんまりと笑った。


「それで、快斗の彼女ってどんな子?」

「……別にどんなんでもいーだろ」

「えーっ!青子の趣味バラしたんだから教えなさいよー!」

「今まで隠すの付き合ってやっただろ!それに、教えたら今度は会わせろっつーんだろオメー!だから嫌だね!」

「いいじゃない減るもんじゃなし!」

「減る!何か減る気がする!!」


 いつものようにバタバタと教室内を走り回る2人に、クラスメイト達は呆れたように笑う。
 快斗に彼女がいると分かった今、痴話喧嘩かーと煽ることもできそうになかったが、2人はいつも通りに仲が良さそうなので、きっとあれが彼らの距離感なのだろう。

 暫く会わせろ会わせないと追いかけっこをしていた2人だが、ロッカーにのぼった快斗を見上げていた青子は、ふいに先程快斗に用事があって声をかけたことを思い出して動きを止めた。


「あっ…じゃあ快斗、今年は誕生日会できないね」

「バーロ、もうンな歳じゃ……は?誕生日?」

「もうすぐ誕生日じゃない。彼女さんと過ごすんでしょ?」


 誕生日。誰の。オレの?
 ロッカーの上で青子を見下ろして、快斗はポケットから携帯電話を取り出すと今日の日付を確かめた。


「ああ───っ!!?!?」


 今度は快斗の絶叫が教室を揺るがし、「快斗うるさい!」と青子は耳を塞いで怒鳴った。しかしそんなことはどうでもよく、快斗は真っ青になって日付を表示するディスプレイを見つめる。
 今月に入ってからはやっと一段落ついて頻度はだいぶ減ったが、赤井やひじりとの鍛練鍛練訓練鍛練訓練な日々で、すっかり自分の誕生日がもうすぐなことを忘れていた。
 いや、自分が自分の誕生日を忘れていたことはいいのだ。それは構わない。
 おそらく今の自分を見たら赤井は無言で全弾撃ってくるだろう。むしろ撃ってほしい。
 ポーカーフェイスを忘れるな、という父の言葉さえ忘れて、快斗は悲痛な声で叫んだ。


ひじりさんに誕生日教えてないっ!!!!」






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