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新一が巻き込まれたという“事件”を聞き終わり、紅茶をひと口すすって喉を湿らせた
ひじりは、カップをソーサーに戻した。阿笠博士の気遣うような視線とコナンの鋭い目を交互に見る。
(さて、どんな説明なら納得するかな…)
何せ
ひじりには、語れない真実が多すぎるのだ。
□ これから 5 □
5年前、家族を殺して家に火を放ち、
ひじりを攫った若い男。
逃げていたはずの彼は1週間前、快斗と家の近くで別れた
ひじりの前に突然現れ、
ひじりが防犯ブザーを鳴らす前に素早くスタンガンで気絶させ攫った。
前回の誘拐事件で念のため仕込んでいた発信機のお陰で潜伏場所が判り、救出劇はスムーズだったものの、警察の気配に気づき犯人は逃亡。攫った理由は不明だが、目的はおそらく口封じ。
だが今回の件で
ひじりに手を出せばすぐに居場所を掴まれると知ったので暫くは安全だろう。それでも一応警護を兼ねて、
ひじりの居場所を隠して数週間病院に匿われていたのだと、
ひじりはざっくり嘘を交えて事情を説明した。これは快斗や赤井達と口裏を合わせたものなので、どこかでボロが出ることはない。
「じゃあ、何で目暮警部に訊いても何も教えてくんなかったんだよ?」
「子供の声だったからじゃない?」
「ちゃんと工藤新一の声で電話かけたっての!」
むすっと唇を尖らせるコナンに、そりゃあ助け出したのが日本警察ではないからねと心の中で反論し、
ひじりは用意していた台詞を口にした。
「今回私を助け出してくれたのは、前回誘拐先から連れ出してくれた人達。5年前に犯人を搾ることすらできなかった警察がまた犯人を取り逃がすだなんて無能ぶり、そう簡単に口にすると思う?助けられた私が言うのも何だけど」
「……いや、警察ってのは体裁を気にするもんだしな」
「どうも逃げ足が抜群に早い犯人でね、警察の人達も追えなくて困ってるみたい。大所帯で動くとすぐに勘付いて逃げる。ほんの3,4人の精鋭陣で追って、前回やっと拠点を掴んで私を見つけたくらいには用心深い」
「え?じゃあ犯人に目星はついてんのか?」
「ついてるけど、それを公表すればさらに奥深くに逃げられるから、トップシークレット扱い。だから私も、残念だけどあまり事件の詳しいことを周りに話すなって口止めされてる。それがたとえ新一でも」
ひじりはぺらぺらと真実でない話を淀みなく話すが、筋は通っている。以前新一と優作に話したこととも矛盾していない。話したことの方が少なかったので、矛盾も何もないが。
「……今回の誘拐事件も、なかったことにされる」
「は!?何だよそれ!」
「5年前の被害者がまた同じ犯人に誘拐されただなんて、公表できるわけがない。そうでしょ?」
「けど…!オメーはそれでいいのか!?犯人捕まってねぇんだし、また現れるかもしんねーだろ!」
「だったら余計に。へたに刺激しない方がいい。それに、今回手を出したらすぐに警察が出てきたことで警戒して、暫くは安全だろうし。ああ、でも蘭と小五郎さんにはちゃんと話しておかないとかな…」
今回の
ひじり誘拐事件は表に出ることなく消えるが、コナンの口振りだとまた泣かせてしまったのだろう。もう大丈夫だと言って安心させてあげなければ。
ひじりの淡々とした合理的な言葉に、しかしコナンは納得できないらしい。そりゃあ本当にそんなことになれば
ひじりも同じことを思うだろうが、真実は違うのだからどうしたって他人事のようになってしまう。
(あながち嘘でもないんだけど)
だがこのフェイクに気づけるだけの材料を、コナンは何も持っていない。だから
ひじり本人が構わないと言えば無理やり納得するしかなく、コナンは渋々イスに座り直した。
「……その警察の人間が誰なのかも教えらんねーのか?」
「無理。私はその人達の名前を知らないし、顔も隠してた。ちょっとだけ聞けたことによると、滅多に表に出ない人達みたいだけど」
「……」
苦い顔でコナンが思案する。おそらく公安かどこかの諜報機関かとでも考えているのだろう。だがツテの刑事を頼っても探り当てるのは不可能だ。何せ
ひじりの言う“警察の人間”はどこにも存在しないのだから。加えて、
ひじりはこのことを広めないよう口止めした。事件を知る人間が多くなると困ることになるという名目で。
ひじりのフェイクに気づくのが先か、道が交差するのが先か。どちらが早いかな、と
ひじりは自分の役者ぶりを褒めるために紅茶を飲んだ。
「……悪かった」
「?」
「……さっきオレ、いきなり怒鳴っただろ。オメーも大変だったのに」
「ああ…私は気にしてないから、新一も気にしないで。心配してくれてたんだよね、ありがとう」
腕を伸ばしてぽんぽんと叩きコナンの頭を撫でる。小さい位置にあるそれが少し懐かしい。もう抱き上げられなくなったなと思っていたのに、これではまた抱き上げることができるじゃないか。
コナンはちらりと
ひじりを見上げ、そっぽ向いた。あれだけ大声で言えば否定もできないだろう。
「……髪、切ったのか?」
「そう、イメチェンで」
「黒羽が泣くぜ?」
「似合うって言ってくれたけど」
「はぁ!?あいつと会ったのかよ!!」
「うん」
「いつ!」
「入院中」
「マジかよふざけ…ってオメー、ピアスもしてんじゃねーか!いったいいつの間に!もしかしてそれも黒羽か!?」
「髪飾りなくしたって言ったら代わりにくれた」
「あの野郎…!」
コナンのもはや怒鳴り声と化した問いに淡々と答えれば、腹立たしげにぐしゃりと前髪を握り潰すとすぐさま携帯電話でメール画面を開いた。
オレを差し置いて先に会いやがってだの許可なく
ひじりの耳に穴あけさせやがってだの恨み言のようなコナンのぼやきをスルーし、マイペースに紅茶をすすった
ひじりは博士にお代わりを要求した。相変わらずじゃのう2人共、と苦笑されたが何のことだか。
「つか何でオレはダメで黒羽は会えたんだよ!?」
「さあ。起きたらいたから分からない」
ぶつぶつ言いながらメールを送った後に一番引っかかることを訊いてくるが、
ひじりは知らぬ存ぜぬを通して快斗に任せることにした。
へたなことを言うより快斗へ丸投げした方がいい。聡明な彼のことだ、事情を悟ってうまく言ってくれるだろう。
そういえば、快斗は新一が姿を消したことを知っているのだろうか。というか、新一の体が縮んだことは言っておいた方がいいのか。
少しだけ考えて、新一のことはそれこそ知らぬ存ぜぬで通そうと決めた。新一が消えたことに気づいていれば今のメールでそのことを訊くだろうし、今は知らなくてもいずれ気づいてどの道メールしてくるだろう。体が縮んだことは、自分からバラすかバレるかまで黙っておこう。
(けど言っておいた方が何かと便利だと思うけど、どうだろう)
新一と快斗の顔はそっくりなので、万が一他人にバレそうになったとき頼めば代わりをしてくれるかもしれない。
だが、新一は周りを巻き込みたくないと思ってる。実は結構深くに食い込んでいるとも知らないで、バラせば快斗を巻き込んでしまうときっと躊躇するから、やはりそのあたりは新一に任せよう。
「
ひじり君、黒羽君というのは?」
「本名黒羽快斗。新一にそっくり。私の彼氏」
「何────!?!?」
「新一うるさい」
今の今までまだぶつぶつ言っていたはずなのに、
ひじりのさらっとした告白に素早く反応して絶叫したコナンにさすがの
ひじりも小さく眉をひそめて耳を塞いだ。
しかしヒートアップしてるらしいコナンの猛攻は止まらず、テーブルに乗り上げると
ひじりの胸倉を掴んで揺らす。
「オメー、いつの間にそんなことになってんだ!まだ会って数ヶ月だろ!?物事にはもっと順序ってもんがだなぁ!!」
「時間なんて関係ないよ探偵君。あと順序はちゃんと踏んでて告白されたし受け入れたし、まだA止まりでBもCもまだまだ」
「古ぃ!!」
「それに有希子さんが背中押して崖から突き落としたんだよ。まさしく
Fall in love」
「
誰がうまいことを言えっつったよ!つーかオメー性格変わってねーか!?」
「恋はひとを変えるんだよ」
「変わりすぎだ!!!」
「落ち着かんか新一!」
がっくんがっくん揺さぶられながらうまいことを言ってさらに怒鳴られた
ひじりは、そこまで取り乱すこともないだろうにと内心で呟きながら博士に羽交い絞めにされたコナンを見て首を傾げた。
乱れた服を整える。やわらかな薄桃色のカットソーに白いスキニーパンツ。せっかくの快斗のコーディネートが。
「あ、そうだ新一」
「あァ゛!?」
振り返れば小さな鬼がいた。
しかし
ひじりは気にすることなく博士に羽交い絞めにされたままのコナンに近づき、その小さな頭をぽんぽんと叩くと目を合わせ、頬を緩める。
「ただいま」
帰って来て初めて見た
ひじりの小さな笑顔に、思わず動きを止めたコナンは、いや、とすぐに思い直した。
父親に連れて工藤家へやって来たときも、そのあとも、
ひじりは決して「ただいま」と口にすることはなかった。
けれど今、確かに
ひじりは言った。ただいま、かえってきたよ。ふわりとした、笑顔と共に。
「─── 遅っせぇんだよ、帰ってくんのが…!」
絞り出した声は涙に濡れていなかっただろうか。泣くな、泣くな。
ひじりはもうどこにも行かない。目を離せばふらりと消えそうな雰囲気はどこにもなく、確かにここに存在している。
何が
ひじりを変えたのか。それこそまさか黒羽の野郎が。
心の中で唸るが、たぶんこの勘は外れていない。だから尚更腹立たしい。ずっと傍にいた自分じゃできなかったことを、すんなりやってのけた同じ顔の少年が少しだけ、憎らしい。
けれどそれ以上に、
ひじりがちゃんと帰って来たのだと分かって、嬉しかった。
ああ、黒羽。もしお前が
ひじりをこんなふうにしてくれたのなら。感謝しよう。心から礼を言う。
真実
ひじりを助け出したのは、見知らぬ警察ではなくて、おそらく自分と同じ顔をした彼なのだから。
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