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「
ひじりさ~ん……つ、つかれ…た…」
「はいはいお疲れさまー」
「撫でてーちゅーもしてー」
「はいはいちゅー」
「元気そうだな黒羽?」
「ひぃっ!!!!」
□ これから 3 □
ひじりが赤井と取引を交わしたその日から快斗の鍛練は始まり、基礎ができていて呑み込みが早い快斗に教え甲斐を見出したのか、3日目から学校を休ませ1日中しごきまくっている赤井は毎日この上なく楽しそうだ。さらに、その凶悪な笑顔に快斗はぴんと背筋を伸ばしてすぐさま隙のない構えを取るのだから、赤井の笑みはますます深まるばかりである。
誰にも指導を受けずにほぼ独学で体術を学んでいたためか、やはり快斗には矯正の難しい癖が残り、赤井はそれを直すのではなく活かす方向にしたらしい。そのため、少々型破りのトリッキーなものになっているとのこと。
そして平均男子と比べると筋力はある方だが、未成熟な体にこれ以上の負荷は逆にダメージを与えかねないということで、躱すこと、受け流すことに重点を置き、小道具やマジックを用いてもいいから確実に相手を倒すことを心掛けさせた。
基本はまず体術からということで、
ひじりが退院を翌日に控えたこの日まで、昼夜問わずしごきにしごき抜かれた快斗は、文字通り死に物狂いで会得し及第点をもらえるまでになった。
本当にギリギリだがな、らしいが
ひじりから見てもかなりの達人である赤井にそう言わせるだけ、快斗はよくついていけたものだと感心する。
「ところで赤井さん、本当に髪切ったんですね。似合ってますよ」
「……そんなことより、お前は言われたことをこなしたんだろうな」
「この模擬爆弾の解体・組立はちょっと難しくて時間かかってしまいましたけど、問題はありません。暇だったので少しいじって理論上2倍の威力にしてみましたがどうでしょう」
「……末恐ろしい奴だ」
入院中は主に座学に取り組んでいた
ひじりは、数時間前にいじり終えた手の平サイズの黒いそれを振ってみせた。
鍛練の邪魔、そしてゲン担ぎも兼ねて
ひじりと同じくらい長かった髪をばっさり切り落とした赤井は、快斗づてで渡した難解の課題をあっさりこなした上に改良をしてみせた
ひじりにいっそ呆れたようなため息をついた。この約1週間で
ひじりの異能ぶりを見ていた快斗もさすがに頬を引き攣らせる。
「5年も時間があればまぁ、これくらい。私としては、快斗がどこで銃の撃ち方とかハッキングなんかを覚えたのかが気になるけど」
「
え!?あ、いやほらそれは、興味あったし、マジックで使うこともあったんで、それで」
加えて怪盗キッドとして経験積みましたから!などと言えるはずもなく、快斗は乾いた笑いで誤魔化した。
キッド=快斗という図式を知らない
ひじり相手にもポーカーフェイスができるようにしなければな、と2人を見ながら赤井が頭の中でメニューを組む。
射術は、
ひじりが退院してから一緒に鍛えることになっている。
随分触っていないからなまっている、と
ひじりは言うが、おそらくその精度は快斗より高いだろう。体術は現時点でも
ひじりの方が劣っているが、
ひじりは護身術という名の制圧術を身につけている。体力も力も欠けた彼女は、その分最低限の動きで確実に急所を狙ってくるので対峙すると厄介だ。
荒削りだが筋は悪くない快斗を直接現在進行形で鍛えている赤井にとって、快斗が
ひじりに敗けるのは面白くないのでさらにしごこうと考えた瞬間、快斗はぞくりと背筋を冷やした。
「黒羽、明日からは学校に行っていい。だが暫く放課後は俺と鍛練だ」
「マジっすか……分かりました」
「
ひじりに体力が人並みにつく頃には出来上がるだろう。女に敗けたくなければ死に物狂いでやるんだな」
「ガ、ガンバリマス」
「その後は俺と実戦を想定した訓練に入る。6月に入る頃に暇を作れないようなら死ぬと思え」
「容赦ねぇ……あの、GWなんかは」
「あると思っているのか?」
「ナイデスヨネ」
ぽんぽんと弾む師弟の会話を聞いて、青い顔を引き攣らせながらも応えようとする快斗に
ひじりはやわらかく目を細めた。退院するまでの間、事後承諾で快斗に専属で赤井をつけたのだが、どうやら間違っていなかったようだ。
赤井が快斗と
ひじりに教えるのは主に体術と射術。それ以外の多様な知識と技術は主に
ひじりが担当する。
厳しく容赦のない赤井の教えにしっかり食らいついてくる快斗を見ると、嬉しくも誇らしくもなる。
そして、自分が教えてもちゃんとついてきてくれるだろうかという期待。快斗はまだ知らないが、実は同じくらい
ひじりの教え方も容赦がないスパルタ方式だったりする。
赤井はぐしゃぐしゃと快斗の癖毛を撫で回すと、じゃあなと2人に声をかけて病室を出て行った。明日の退院時に
ひじりを迎えに来て、阿笠邸に送ってくれる手筈になっている。
ドアが閉まって気配が遠のき完全に消えると、快斗は深々とため息を吐きながら
ひじりのベッドに顔をうずめた。
「はぁあ~~~気持ち良いくらい容赦ねぇよあの人~~~」
「良い師匠みたいで安心したけど」
「すっげぇ強くてオレ、全く相手になんないですよ。化け物ですか」
「一応人間のはずだけどね」
もそもそと体勢を動かして
ひじりの膝に頭をのせる快斗の癖毛を撫でながら答えると、快斗はまたひとつため息をついた。
快斗が赤井に抱くのは、尊敬と畏怖。敵わない絶対的な強者でありながら、確かに自分を強くしてくれている人間が赤井だ。
勝てるはずがない。けれど、あの涼しい顔を驚愕させてやりたい、なんて負けず嫌いな自分が日々むくむくと膨れ上がっている。
無意識に頬も膨らませていたようで、
ひじりに頬を突かれてぷすーと間抜けな息を吐いた快斗は、シーツ越しに頭をこすりつけた。
「ってか、
ひじりさんもオレよりすごいし…」
「引いた?」
「それはないです」
きっぱりと否定し、一見すると無表情だがやわらかく目を細めている
ひじりに、快斗もへらりと笑みを返す。
ひじりが5年の間に培ったものに、多少の話を聞いていたはずの快斗は仰天した。数多くの知識や技術は快斗の想像よりもずっと深く精錬されており、本当に図書館で高校の勉強をしていた
ひじりかと疑ったほどだ。
だが、思い出せば
ひじりは躓いても一度教えればそれ以上訊くことはなかったし、基礎以上に応用ができていた。あまりに偏りすぎていたくらいで、だからこそ高校の勉強をしていたのだろう。ひとのことを言えないが。
「あ、そうだ」
ふいに思い出し、快斗は小首を傾げる
ひじりを可愛いなと思いながら何とか平静を装って部屋の隅に置いていたバッグに手を伸ばす。
朝に荷物を置きに来てそのまま赤井に引きずられて行ったきりだったため、渡す機会がなかった。
バッグの中から目的のものを取り出して、はい、と
ひじりに小さな箱を手渡した。
「開けてみてください。この間のペリドットを加工し直したものです」
「もうできたの?」
「石はだいぶ小さくなっちゃいましたけど」
ひじりの指が指輪ケースにも似た箱をぱかりと開けると、そこには小さな四葉のクローバーが二輪、静かに咲いていた。
手に取ってみればそれはピアスで、髪飾りのときよりも半分以上小さくなったペリドットが夕陽を浴びてちかりと光る。
「クローバー……嬉しい、ありがとう快斗。あ、でも私ピアスホールない」
「本当はネックレスかブレスレットにでもしようかと思ったんですけど、こっちの方がいいかなって。いつかピアスホールを開けたときにでも、使ってください」
ペリドットの欠片にはひびが大きく入っていたため、研磨してみるとどうしても予想以上に小さくなってしまった。ネックレスやブレスレットに加工することはできたが、それは首輪や手錠を快斗に連想させて、どうしてもダメだった。
綺麗な体に穴をあけるのは躊躇われるが、いつかあけてもいいと
ひじりが思ったときに使ってくれたらと、そう思って渡したのだが、
ひじりは快斗からピアスに視線を戻し、うんとひとつ頷く。
「快斗、私今すぐあける」
「えっ」
「針でぶすっとやればいける?」
「待って待って待って!それはダメです!」
さらっと恐ろしいことを言って今すぐ実行しかける
ひじりを快斗は慌てて止めた。
「……あけてくれるんですか?」
「もちろん。快斗がせっかくくれたのにつけない理由がない。穴がないならあければいい」
「でも、自分であけると痛いですよ?ちゃんと病院であけた方が」
「じゃあ快斗」
快斗の言葉を遮り、
ひじりはがっしりと快斗の肩を掴んだ。
真剣に光る黒曜石が快斗を見据える。それを真正面から見てうっかりときめいた快斗は、近くにある顔にドキドキしつつ、顔が赤くならないよう必死に素数を数えていた。
「快斗があけてくれる?」
「是非あけさせてください!」
真剣な顔が少し不安そうにくもって小首を傾げられ、快斗は食い気味に頷いた。
ひじりが可愛い顔(快斗ビジョン)で直接頼んできて断れない男が果たしていようか。いやいまい。
いたらオレがぶっ飛ばす。
本気で物騒なことを思い、すぐさまメールで寺井にピアッサーを頼んだ快斗が
ひじりに向き直ると、
ひじりはまじまじとピアスを見て口を開いた。
「これ、今度は何もついてないんだ。髪飾りには発信機とGPSついてたのに」
「
え゛っ!!バレてたんですか!?」
「うん。でもそのお陰で助かったから別にいい」
「でも、その…すみませんでした…」
誰だってもらったものに発信機が取り付けられていたら嫌だろう。
気づかれているかもしれないと思ってはいたが壊れるまで取れることはなく、結果
ひじりの言う通り助けられはしたが、それでも発信機が取り付けられていたというのは気持ちのいいものではない。
できれば知らずにいてほしかったと思いながら俯く快斗に、
ひじりは不思議そうに首を傾げた。
「何となく分かってたけど、快斗だからいいかなって放ってたんだし落ち込まなくていいのに」
「……は?」
「と言うかそもそも、快斗以外からの贈りものなんか受け取らなかっただろうし」
「え」
「快斗があのとき『喜んで』って私の願いを聞いてくれたから、あの髪飾りつけたままでいたんだよ」
「えっ」
「追って来てくれたら、一緒に死ねるかなって思ってたから」
あのとき、ジンが
ひじりを殺して、その場に快斗が発信機を追って来ていれば快斗も十中八九殺されていただろう。試すような予防線を快斗が越えて来てくれたのなら、
ひじりは共に逝こうと思っていた。
けれど
ひじりは生きていて、快斗は赤井達と助けに来てくれて、そして今ここにいる。
運命とは残酷なもので、もしかすると出会ったことを後悔するほどこの先また凄惨な目に遭うのかもしれないが、快斗が
ひじりの勝手な道連れ計画に顔を青褪めさせるのではなく真っ赤にするから、それに幸せだなと思うから、
ひじりは別にいいかと思う。
「……オレって、愛されてたんですね」
ひじりの「死んでほしい」はイコール「愛してる」。
物騒だがこれ以上ない熱烈なラブコールに真っ赤にした顔を手で隠す快斗に、
ひじりは小さな笑みをこぼした。
手の中の小さなクローバーは、また
ひじりに幸せを運んでくれるだろう。4枚の葉それぞれの意味に準じて生きながら、期待する。
髪に咲いた四葉は散ってしまった。
けれど数時間後、白い耳たぶに新たな四葉が咲き、ちかりと沈みゆく夕陽を反射していた。
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