148





 暫くして、コナン達が戻ってきた。
 列車内にはジャック・ザ・リッパーは見当たらず、乗客に変装している可能性が高いようだ。そのため、一度乗客全員を一室に集める必要がある。既に車掌に頼んで手配してもらったとのこと。
 しかし、乗客に扮したジャック・ザ・リッパーを見つけ出すことはできるのか。そう問うた快斗に、コナンには淀みなく頷いた。


「2人共、動ける?」

「ああ、ゆっくり休ませてもらったからな」

「行こう。きっと、これが最後になる」


 不敵な笑みを見せる快斗に手を引かれてひじりが立ち上がる。しっかりと床を踏みしめて立つ2人を見上げ、コナンは真剣な顔で頷いた。





□ ベイカー街の亡霊 15 □





 ひじり達が、乗客達が集まった最後尾の広い部屋─── と言っても、十数人を詰め込めばさすがに狭いそこへ入ると、老若男女それぞれの視線が一斉に突き刺さった。
 ジャック・ザ・リッパーが忍び込んでいるという話は既に聞いていたのだろう。訝しげな視線、怯えた視線、困惑の視線。様々な思いを孕んだ視線を正面から受け、しかしひるむことなく佇むひじりは、ぐるりと室内を見渡した。


(…ダメだ、やっぱり感覚も鈍くなってる)


 ここでならジャック・ザ・リッパーの気配、もしくは殺気のひとつでも感じられるかと思ったが、第六感と言うべき感覚も愚鈍になっていて判然としない。それは快斗も同じようで、無言で眉をひそめていた。

 ドアの前に車掌とコナンが立ち、その右斜め後ろへひじり、快斗、蘭、秀樹が佇む。
 コナンは「車掌さん、あのね」と車掌を呼んで何やら耳打ちし、それを受けた車掌が乗客に手を挙げるよう指示した。凶器を持っていないかどうかを確かめさせてもらう、と言うが本当にそれだけの意図か。


(…そういえば、コナンはホームズの家にある資料から写真を取っていた…。確かあれは…指輪の写真?ジャック・ザ・リッパーの犯行現場に唯一残されていた、サイズの違う指輪…)


 ─── まさか。

 ひじりの脳裏に一条の光が走る。
 乗客全員が手を挙げるのをひとりひとりしっかりと見て、ある人物で目を止めると、浮かんだ可能性に濃い色がつく。それとほぼ同時に、するりと繋がれていた手が解けた。快斗が手を離したのだ。ひじりも引き止めなかった。快斗もひじり同様、ある可能性が浮かんだのだろう。そしてそれを確かめ、半ば確信し臨戦態勢に入るために手を離した。
 ひじりはゆっくりと呼吸をして息を整え、気づかれないよう注意を窺いながらコナンの推理を聞く。

 コナンはまず2番目の被害者、ハニー・チャールストンについて語り、彼女が殺された現場に残された遺留品─── サイズの違う指輪について、ホームズの資料から抜き取った写真を見せながら話す。
 大きなサイズの指輪はハニーのもの。しかし、小さいサイズの指輪はハニーのどの指にも合わなかった。
 つまり、もう片方の指輪は犯人、ジャック・ザ・リッパーのものであり、2つの指輪は2人の親子の絆のようなものであると。即ち、ハニーとジャック・ザ・リッパーが、親子であった可能性だ。だがそうなると、ジャック・ザ・リッパーは自分の母親を殺害したということになる。


「コナン、ジャック・ザ・リッパーが指輪を置いて行った理由は?」


 ひじりの問いに、コナンはハニーが殺された日、犯行現場のホワイトチャペル地区の教会では親子で作った物を持ち寄るバザーが開かれており、それを知っていたジャック・ザ・リッパーが、母親のハニーとバザーに参加したかったという気持ちをこめて指輪を置いて行ったのだろうと言う。


「…じゃあ、殺人の動機は自分を捨てた母親への恨み……でもそれは、愛情と背中合わせの殺意…」


 可哀相ね、と悲しそうに瞳を揺らして蘭が呟く。
 そうかもしれない、とひじりは思う。母親に捨てられ、浮浪児となりモリアーティに拾われたジャック・ザ・リッパーは、哀れな子供だった。けれど彼は、母親以外の人を殺した。1人目の女性は無関係な女性だった。警察の目を誤魔化すために、殺されてしまった。
 それだけではない。母親を殺した後も、さらに3人目4人目と次々殺人を犯した。モリアーティの英才教育によって異常性格犯罪者となってしまい、母親への恨みを晴らしたあとも、母親と同じような女性を次々と襲うようになってしまったからだ。
 哀れな、許されざる殺人鬼。出口のない闇の迷路へと迷い込んでしまった子供。だからといって、赦されることではないが。


「それで、どいつだ?」

「…子供の頃から、同じサイズの指輪をはめ続けていたら…その指はどうなると思う?」


 乗客を見回して問う秀樹に、コナンは不敵な笑みを浮かべる。そして、すっとその鋭い目を乗客の中の1人へと投じた。


「─── たぶん、10本の指の中で、その指だけ細いはずだよ」


 それは先程、ひじりも快斗も確認したことだ。十数人の乗客の中、その条件に当てはまる人間はただ1人。
 慌てて乗客の殆どが自分の指を見下ろし他者へ向けて自分は違うと示す中、その人間だけは動かずに静かな笑みを浮かべたままだ。


「ジャック・ザ・リッパーは───

 お前だ!!」


 コナンが指差した先で微笑む─── 赤毛の女。
 蘭と秀樹が驚き、蘭が「あの人は女性よ!?」と声を上げるが、当の本人はどこか凄惨さを滲ませた笑みで右手を広げて掲げた。5本の指の中で、薬指だけが細い。
 ゆらりと女が立ち上がり、乗客が怯えて距離を取る中、気にせず自分の衣服に手をかける。その鋭い爪でドレスを裂いて出てきたのは、男の体だった。目つきも変わり鋭さを増す。常日頃から鍛えられた体だと見て判った。


(…こちらは丸腰。あっちはナイフのひとつは持っているだろうから、どう戦う?乗客も邪魔)


 口紅を拭って殺気と共に鋭い視線を向けてくるジャック・ザ・リッパーに、乗客達が悲鳴を上げてこちら側へと逃げて来る。
 ひじりが無言で思案していると、その波に逆らうように、小さく気合いの息を吐いた蘭が「任せて!」と彼へと駆けて行った。


「今度こそ、ひじりお姉ちゃんはわたしが護るんだから!!」

「ダメだ蘭姉ちゃん!」

「蘭、戻りなさい!!」

「蘭ちゃん!」


 コナン、ひじり、快斗がそれぞれ声をかけるが蘭は足を止めなかった。
 行くべきか行かざるべきか。その逡巡のせいで動きが遅れ、ジャック・ザ・リッパーが煙幕を放ち姿が見えなくなってしまった。視界が遮られて奴と蘭の姿を見失う。コナンが窓を開けるよう指示する前に、ひじりと快斗は素早く窓を開けた。

 窓を開けると、勢いよく白煙が外へと流れていく。
 ジャック・ザ・リッパーの気配を探りながら襲来に備えて身構えていたがそれは杞憂に終わった。しかし、白煙が晴れる頃になって素早く辺りを見渡すと、ジャック・ザ・リッパーも蘭もその姿を消してしまっていた。


「…いったい、どこへ」

ひじりさん!乗客がいません!」

「「「!!!」」」



 訝るひじりへ、焦燥に満ちた快斗の声が飛び、はっとして振り返る。確かに先程までいたはずの乗客の姿は1人としていなくなっていた。
 ドアを通って出て行ったのか。否、ドアが開く音さえしなかったから、あの赤いジャケットの男のように音もなく消えたのだろう。


「…乗客のことはひとまず置いといて、ジャック・ザ・リッパーと一緒に消えた蘭を捜そう」


 乗客がいなくなったところでさしたる問題はない。むしろ邪魔にならないだけありがたくもある。
 4人は急いで列車内を走って見て回るが、蘭どころか人っ子1人見かけることはなかった。


「…おい待て。乗客全員、車掌すら消えたってことは、運転士は?」


 ふいに快斗がそう呟き、血相を変えた一同は再び前方へと戻って今度は機関車の方へと駆け出した。前方の機関車を屋根に上がって見てみると、やはり嫌な予想通り、運転士までもが消えている。


「とにかく列車を止めるぞ!」

「コナンと諸星君はここにいて」


 子供2人をその場に置き、ひじりと快斗は機関車へと飛び降りた。
 火室の扉は開かれたままで、その熱が肌を焼く。その傍にあるブレーキは壊されていた。さらに最悪なことに石炭はほぼ満杯に詰められていて、取り出そうにもスコップはない。
 列車はどんどん加速していく。とても止められそうにはなかった。


「ダメだ、列車を切り離すしか手はねぇ」

「なぁ!その前に、あの姉ちゃんを捜した方がいいんじゃねぇのか!?」


 難しい顔を見合わせるひじりと快斗に、上から秀樹の声が降りかかる。
 確かに、ジャック・ザ・リッパーと一緒に消えた蘭を捜す必要はある。車両同士の連結を切り離すにしても、ハンデを課せられた2人と子供では難しい。


「でも、蘭はいったいどこに…」

「─── いた!屋根の上だ!」


 ひじりが呟くと、後ろを振り返ったコナンが鋭く叫んだ。我を忘れて駆け出して行くコナンを快斗が「待て!」と呼び止めるが構わずコナンは走って行ってしまい、それに秀樹も続く。
 2人は急いで梯子を伝って屋根へと上り、コナンが向かう先にいる人物達を視界に入れると、鋭く目を細めた。






 top