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 一発、銃声が響いた。


 瞬間、ひじりは全ての思考を一旦切り捨て、クラブの中へと裏口から入る。
 銃声。まさか、あの子達がホームズの部屋から銃をくすねて来たとでも言うのか。もしかしたらその銃で脅しをかけたのかもしれない。モリアーティを出せとでも。
 だがここはロンドン。場馴れしていない日本人ならともかく、モランともあろう軍属の人間が、子供の握る銃にひるむはずもない。
 しかしそんなこと、彼らに分かるはずが、なかった。





□ ベイカー街の亡霊 9 □





 トランプクラブの中に入ると、やはり中は騒然としていた。
 秀樹と進也が逃げ惑う。コナンへと向かって来た男が突然の闖入者であるひじりに気づいて驚いた隙を突き、顎に掌底を叩き込み鳩尾に蹴りを入れて転がしておいた。ハンデのせいで体は重いが、何とか動ける。


「コナン、何へましたの?」

「オレじゃねぇ、あいつらだ!あいつら、銃を持って来てやがった!」


 やはりそうか。2人目の男の顔に靴底を叩き込みながらひじりは目を据わらせ、説教も後回しにしてひとまずここを切り抜けることを最優先とする。床に転がるホームズの銃を探している暇はない。


「この女っ…!」


 突っ込んで来た男の体を投げ飛ばすと、目の前には男が2人、後ろに1人。ハンデさえなければ倒すことも不可能ではないが、体が重い。さらに体力も少なくされ、既に軽く息が切れている。
 男が3人、タイミングを合わせて突っ込んできた。躱すか迎え撃つか。その一瞬の逡巡のせいで、隙ができる。


ひじりさんに触んじゃねー!!!」


 しかし、唐突に飛んで来た少年の飛び蹴りを、目の前の男の1人が食らって倒れた。それに他2人が驚いて動きを止め、その大きな隙を突いて快斗と背中合わせに立ったひじりは後ろの男の顔を蹴飛ばした。快斗も容赦なく男を蹴って転がす。


「大丈夫ですかひじりさん、怪我は!?」

「ない。…でも、このハンデは、ちょっときついね」


 重くて思うように体が動かず、さらに体力もなくて苛立ちが積もる。快斗も同じなのだろう、小さく頷いて苛立たしげに眉をひそめた。
 ひじりと快斗を取り巻くように男達が間合いを測る。その外で、コナンに迫った男を蘭が殴り飛ばし、さらに続いて元太達が加勢するぜ!と乗り込んできた。


「バッ…!オメーら、外にいろっつっただろ!?」

「こんなときに大人しくしてられっかよ!」


 快斗が怒鳴るが、元太がすぐに言い返し、歩美と光彦も頷いて3人で1人の男に飛びかかった。
 こんなときだからこそ大人しくしてほしかったと言うのに。さらに見回せば、蘭の傍に清一郎、そして酒の瓶を男に振り下ろした晃。


「くそっ、全員参加じゃねぇか…!」


 それは、ゲームオーバーの確率を上げてしまったということ。
 快斗がはっきりと舌打ちし、迫って来る男達を蹴り飛ばし殴り飛ばし、ひじりも的確に急所を突いて転がしていく。


「危ないコナン君!」


 ふいに清一郎の焦った声が響き、はっとして見れば、コナンの背後にイスを持って迫った男がいて、コナンを庇って振り下ろされたイスを清一郎が受けた。
 イスを振り下ろした男を、すかさずひじりの飛び蹴りが襲う。


「コナン、菊川君!」

「おい、しっかりしろ!」


 床に座り込んだ清一郎の体が、淡く虹色に発光している。自分の体を見下ろして自分のゲームオーバーを悟った清一郎は、やられちゃった、と苦笑した。


「どうしてコナンを」

「…借りを、返したくて」


 ひじりを見上げ、目を細めて笑う清一郎の頭に、ひじりは目を細めると手を置いて優しく撫でた。


「子供は、護られるものだよ」

「……はい。ごめんなさい」


 清一郎が小さく困ったように微笑むと、足元から光の輪が出現し、清一郎の体を消していく。その姿が完全に消え、手から何の感触もなくなると、ひじりは一層表情を無くした顔で立ち上がった。
 友人のゲームオーバーに、少年達が目を見開いていた。それを一瞥して一歩足を踏み出す。しかし、ふいにがくんとその体がくずおれる。


ひじり!?」

ひじりさん!」


 床と頭が対面する前に素早く快斗に抱きしめられるように支えられるも、足が震えて立てそうにない。思った以上にのしかかってくるハンデがひじりの体力を削っていた。
 ひじりは快斗に支えられたまま周囲に油断なく視線を巡らせる。歩美に襲い掛かる男を光彦が足払いをかけて転ばせたのはいいが、助かった後の安心で気を緩め、背後から酒の瓶を振りかぶった男に気づかず、攻撃を食らってしまった。


「歩美、光彦!」


 快斗が焦燥して2人の名前を呼ぶ。2人の体が先程の清一郎と同じように光り出し、光彦がいち早く自分達がゲームオーバーのようだと気づいた。
 ひじりを支える快斗の腕が強張る。2人は光に包まれ、ゲームオーバーとなりその場から消えた。


(…このままじゃ、全員ゲームオーバーになる…)


 冷静に状況を分析しながら、ひじりは快斗に礼を言ってゆっくりと立ち上がる。
 まだ室内には何人も男達が残っていて、しかも先程倒した者も再び起き上がっている。

 どうする、どうする。だが考えている暇もなく男達が襲い掛かってくる。それを迎撃ではなく避けながら、ひじりは目でホームズの銃を探した。せめて銃さえあれば、この状況を引っ繰り返せる可能性がある。
 果たして、銃は裏口近くに転がっているのを見つけたが、ひじりが取りに向かうより先に、モランが拾ってその銃口をコナンに向けた。


「コナン!危ねぇー!」

「避けなさい、コナン!」



 元太とひじりの声と同時に、銃声が響く。
 コナンを庇うように前へ出た元太が銃弾を食らってしまい、体が光り始めればゲームオーバーか、と悔しそうに笑った元太は、ジャック・ザ・リッパーを必ず捕まえてくれよなと言い残して消えた。


「お遊びは終わりだ!」


 元太が消え、モランがホームズの銃を構えて銃口をこちらに向ける。
 ホームズの銃は秀樹が勝手に持ち出したものだが、銃がホームズのものと知り、モランはひじり達がホームズの手先だと思ったようだった。

 どうする。絶体絶命。全員がゲームオーバーになりかねない状況で、室内を目だけで見渡していたひじりは、ふと、1人の男が大事そうにワインを抱えているのを視界に入れた。
 こんなときに─── いや、こんなときだからこそ。おそらくあれは、この状況を引っ繰り返すカギだ。


「快斗」


 ひじりの声掛けに素早く応え、視線を向けてくる快斗にひじりも目配せをしてワインを抱える男を示す。それを受けて、快斗は近くにいたコナンの肩を叩き、同じように小さく指で示した。
 コナンの目が見開かれる。瞬間、「行け」と快斗が呟くと同時、コナンが男に向かって走り出し、快斗がモランへと飛びかかった。


「なっ…!」


 続いてひじりも飛びかかる。しかし、相手は軍人で大佐。鍛えられているとは言え大きなハンデに苛まれているひじりと快斗を相手にいなすのは容易く、2人は振り払われて床に転がり銃口を向けられたが、コナンが男からワインを奪ったことでモランの気が逸れた。
 その隙を逃さず、2人は裏口のある方へと逃げ込んだ。すると衝立のような壁が邪魔をして、モランは2人を狙えなくなり舌を打つ。


「チッ……小僧!」


 ひじりと快斗からコナンへと照準を変えたモランが怒鳴る。その声を聞きながら、2人は壁に背をつけ、お互い寄りかかって深いため息をついた。






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