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 シャーロック・ホームズについて蘭以上の知識を披露するコナンに、蘭が「よく知ってる」と感心したように言うと、コナンは新一によく聞かされたからと慌てて答えた。それに、蘭も納得したように笑みを見せ、「あのホームズオタクにしつっこく聞かされていたのが、今回役に立ったね」と言う。
 コナンは微妙な顔をするが、ひじりは蘭に同情する。好きな子とのせっかくのデートでも延々とホームズ話ってのはどうなの、新一。





□ ベイカー街の亡霊 8 □





 ふと視界の隅で元太が動いたのを認め、ひじりがそれを追うと、元太は机の引き出しを開けてその中に銃があるのを見ると手に取った。うっひょー、本物の銃だぜ!と目を輝かせる元太を、瞬時にコナンと快斗が叱りつける。


「戻すんだ元太!」

「何危ねぇもん持ってんだ、お前は!」



 2人に叱られ、さらに素早くひじりから奪い取られた元太は、たじろぎながらも「で、でもよ」と反論する。おっかない奴に会いに行くんだろ、と言うので護身のつもりか。だがひじりは元太の言い分に反応せず、さっさと引き出しに戻して閉めた。


「使い慣れてない武器は役に立たないし、争いの元だ」

「身に余る力は破滅を招くぞ。死にたくねぇなら、そんなものに手を出すな」


 ここがいくらゲームの世界とは言え、子供が握っていい類のものではない。
 コナンに快斗、それにひじりからの無言の厳しい目に、元太は慌てて頷く。それを見て、ひとつ息をついたコナンは資料に貼られた指輪の写真を取るとポケットに突っ込んだ。


「さぁ、遅くならないうちに行こう!」


 コナンが促し、子供達と蘭がそれに従って部屋を出て行く。
 快斗がちらりと引き出しを一瞥し、ひじりが快斗の傍に寄ると小声で話しかけられた。


「あれ、どうします」

「……やめておこう。コナンが言った通り争いの元になりかねないし、それに今、私達にはハンデがある」


 銃の扱いは、ひじりと快斗なら申し分ない。しかしノアズ・アークに課せられたハンデがどう影響するか分からない。
 人は、大きな力を持つと慢心する生き物だ。銃ひとつとは言え、それに過分に頼ることはままある。そういった人間達を、2人は今までに何人も見てきた。ひじりと快斗とてそうなる可能性があることを、十分に知っている。

 銃が入った引き出しに背を向けてひじりと快斗がコナン達の後を追い、その後ろに少年達が続く。
 ひじりがハドソン夫人にお茶をいただくことなく引き上げる旨を告げて家を出ると、一同は早速ダウンタウンへと歩き出した。その道中、ふとビッグ・ベンの時計が目について見上げてみれば、時刻は12時30分。あと30人しか残っていない。
 全員が時計を見て、歩美がぽつりと呟く。


「随分減っちゃったね…」

「ボク達の中からも、そろそろ脱落者が出る頃ですね」

「不吉なこと言うなよな」


 確かに。光彦の不穏な言葉に元太が冷や汗をにじませる。
 だが、光彦の言う通り、そろそろ脱落者が出たとしてもおかしくはない。今のところ誰1人欠けることなくここまで来たが、今から乗り込むのは悪党の巣と言ってもいい。
 できることなら、誰もゲームオーバーになってほしくはない。しかしハンデを課せられたひじりと快斗は、他人を護るだけの力はない。生き残るためならば、見捨てることも考えなければならない。そこに私情を挟めるほど、余裕などない。

 一同は、あまり時間をかけずトランプクラブに辿り着いた。
 まずは偵察。様子を見に行くためにコナンが他の全員を待たせ、先陣を切って裏口へと駆けて行った。子供1人なら大して怪しまれずに潜入することはできるだろう。新一のことだ、冷静に状況を見極めることもできる。


「おい、オレ達も行こうぜ」

「ああ」


 ふいに秀樹と進也がそう言い、ひじりが止める間もなくコナンについて行ってしまう。オレが行きましょうか、と快斗が訊いてきたが、ひじりは軽く首を振ると私が行くと言って彼らの後を追うことにした。
 表でも何が起こるか分からない。蘭もいることだし、蘭と快斗の2人で待機させていた方が子供達も安全だろう。
 快斗は分かりましたと素直に引き下がり、しかし気をつけてくださいねと言葉をかけ、ひじりも真剣に頷くと背を向けた。
 出遅れたため、既に少年達は中に入っている。ひじりも裏口のドアノブに手をかけ、なるべく音を立てずに開けようとした、そのときだ。


「よぉ、また会ったな」

「!」


 唐突に左横からかかった声に、瞬時に構えを取って間合いを取る。しかし体が重くその動きは隙ができていて、だが気配無く壁に背中をつけてそこに佇む男はくつくつと喉を鳴らして笑っただけだ。
 薄暗いが、その赤いジャケットがやはり目を引く。ジッポのライターを取り出し、男は煙草に火を点けた。
 快斗を呼ぶか。だが、やはり男からは敵意や害意を感じない。隙はないが、手を出してくることはないだろうことだけは確信できた。
 数秒ライターの火に照らされた顔は、やはり見たことのない顔だった。とっくに成人した、30~40代頃の男。黒髪であったが日本人ではない。


「そう警戒すんなよ」

「…あなたは、誰ですか」

「言ったろ?お前さんの関係者の関係者」

「……」

「信用してねぇって顔だな」


 何がおかしいのか、ひじりに睨まれてもくつくつと笑うだけで、男は飄々とした雰囲気を崩さない。


「ま、今はそれでいいさ。むしろ簡単に信用されちゃぁ興醒めだぜ」

「……」

「けど、ひとつだけ言っておくぜ」


 壁から背を離し、ひじりに広い背中を向けて真剣味の増した声を響かせる。男が肩越しに振り返り、その鋭い目を真っ直ぐにひじりへと向けた。


「気ィつけな、ここはあくまでゲームだが、同時に現実リアルでもある」

「……」

「だが、夢は覚めるもんだ。そうだろ?…お前さんは、二度目の・・・・夢の中で・・・・今度は・・・どんな結末を・・・・・・迎えるん・・・・だろうな・・・・?」

「!!」


 何を─── 知っている。
 ひじりがかつてドールと呼ばれ、“夢”の中で快斗と出会い、そして死を選んだことを、この男は知っている。そうでなければ、今の言葉が出てくるはずがない。
 一気に警戒心を増すひじりにひらひらと手を振り、男はその場から消えた。ワープでもしたかのように、何の前触れもなく男は光の残滓を残して跡形もなく消えたのだ。
 さすがに驚愕して目を見開いたひじりは、暫く呆然と男がいたところを見つめていた。


(あれは…誰だ)


 何を知っている。何を考えている。
 敵意なく、害意もなく、忠告とも思える意味深な言葉を残して、けれど明確なことは何も言わないまま。ノアズ・アークに支配されたゲームの中で、好きに行動できるあれは、誰だ。


(二度目の、結末───)


 男の言葉が脳裏に響く。
 夢。以前見ていた、“人形”が見た夢。
 その一度目の結末として、ひじりは死を選んだ。“人形”として殺されることを。
 けれど、二度目は。このゲームでは、どんな結末を迎えるのだろう。
 今は分からないが、ひとつだけ言えることがある。


(私は、死なない)


 まだ、目的を果たしていない。ここで終わるわけにはいかない。
 快斗と共に、まだもう少し生きると決めた。だから、死を選ぶことはない。
 そして、そのために犠牲にしなければならないものがあるのなら。
 ひじりは、快斗以外のものを切り捨てることさえ厭わないだろう。






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