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 この世界におけるお助けキャラがシャーロック・ホームズであるという可能性が浮上し、子供達はホームズがいれば百人力だと歓声を上げた。
 その様子を見ながら、ひじりと快斗はこっそり言葉を交わす。


「ホームズ、期待通り見つかればいいんですけど」

「…このゲームをノアズ・アークが支配しているということが、そう簡単には安心させてくれないね」


 期待することは悪いことではない。けれど気を抜いてはいけない。このゲームは、文字通り“命を賭けたゲーム”だ。油断は死を招く。
 しかし喜びに湧き上がる子供達に水を差すほど野暮でもなく、2人は何も言わず、一同はベイカーストリートへ向かって歩き出した。





□ ベイカー街の亡霊 6 □





 ロンドンの地理は詳しくないが、博士が言うにはここは確かホワイトチャペル地区。
 ベイカー街までは結構距離があったような。ひじりがそう思いながらも歩いていると景色が次々流れていき、成程流石ゲーム、と内心で呟いた。
 気づけば一同はベイカー街の近くまでやって来て、大きな時計─── ビッグ・ベンの前でふいに秀樹が足を止めた。


「おい、あの時計おかしくねーか?」

「え?」


 言われて見上げてみても、ビッグ・ベンは静かにその威厳を放っており、時計の針も12時50分を指していてどこもおかしくはない。しかし、すぐに針がひとつ戻ったことでそのおかしさに気づいた。子供達も当然気づき、元太が「針が戻ったぞ」と指差すと、またひとつ針が戻った。
 50分が49分に、そして48分へ。反対に回る時計だとしても、こんなに早く針が動くものか。
 ─── いや、これはまさか。


「そうか!あれはゲームに参加している、子供の数だ!」


 ひじりが理解するのと同時、コナンもはっとして声を上げる。
 2つ針が戻ったということは、別のステージで2人の子供がゲームオーバーになったということ。そうしている間に、また2つ、針が戻る。これは急がなければならない。


「…ひじりさん」

「分かってる」


 耳元でかかった小さな快斗の呼びかけに、ひじりも一瞥を向けて秀樹の背中へ些か厳しい目をやった。しかしそれはすぐに逸れ、再び快斗を向いて「様子を見よう」と呟きを返す。

 時計の針が子供達の人数を示しているとして─── なぜ、秀樹は針が戻っていない状態で時計が“おかしい”と気づいた?

 答えは簡単。知っていたからだ。あの時計の針が、残った子供の数だと。
 なぜ知っているのか。予想は容易い。このゲームを支配しているのはノアズ・アーク。ならば彼が、そうである可能性だ。秀樹の姿を借りているのか、それとも意識を乗っ取っているのかは分からないが。
 しかし、今のところ現実世界からの干渉切断とハンデを課す以外でノアズ・アークがこちらの不利になるようなことはしていない。
 秀樹のことは気になるが、ここで問い詰めたところで良い結果にはならないだろう。ゲームをクリアさえすればいいのだ。それまでは様子を見ておくことにしよう。


「…ひじりさん。オレ、ノアズ・アークが推定10歳だってことが少し引っかかるんですよね」

「自殺したヒロキ君と同じ歳のことが?」


 再び歩き出した一同の最後尾を少し離れて歩きながら、2人は小さな声で話す。


「ヒロキ君は天才少年だったっていう話ですけど、だからこそ、普通の友達と遊ぶようなことはできなかったんだと思うんです」

「…そうだね。ノアズ・アークはヒロキ君が生み出したもので、ヒロキ君の何らかの意志を汲み取っているのなら」


 友達と遊びたいと、思っていたのだとしたら。


「さっきも言いましたけど、ノアズ・アークはただの駄々っ子にしか思えないんですよ。人工知能だけど頭はそこら辺の子供よりずっと賢いだろうし、そうだったら、その考えが少しだけ捻じれてしまっているのかもしれない。オレ、よく子供相手にマジックしてたから、何となくそう思うんです」

「……だとしたら、とんだ悪ガキだけどね。説教のひとつでもしてあげないと」

「コンピュータ相手でも、ですか?」

「コンピュータだろうと何だろうと、悪いことは悪いとインプットさせないといけない」


 果たして人工知能は人間なのか。それについて議論するつもりはない。
 それに、これらは全て憶測に過ぎない。ノアズ・アークは本当に、ただ二世三世を消してしまおうとしているかもしれない。
 いずれにせよ、全てはゲームをクリアしてからだ。拳骨を落とすことはできないだろうが、相手も言葉を持つのだから言葉で諭してやらねば。

 コナンの先導に従い、路地を通ってベイカー街へ向かう。
 ふいにコナンが手で動きを制したため一同が動きを止めて窺うと、どうやら警官達が何やら話しているようだ。警官に捕まってもゲームオーバーらしいので、余程のことがない限り警官と鉢合わせることはしない方がいい。


「警官相手にこそこそするたぁ、あんたら泥棒かい?」


「「!」」


 唐突に後ろからかかった声にはっとしてひじりと快斗が振り返る。いつの間にいたのか、建物の壁に背を預けた男が1人、暗がりの中に立っていた。
 光が届かず、男の顔は判然としない。けれどその身に纏う赤いジャケットが、いやに目を引いた。声からして男だとは判るが低すぎるというわけもなく、体格はどちらかと言うと細身で、しかし手をポケットに突っ込んでいるというのに隙がどこにもなかった。


「…あなたは、誰ですか」

「そうだなぁ。お前さんの関係者の関係者…ってところか?」


 ひじりの低い問いに、男は笑み混じりに飄々とかわす。
 しかし今の言葉で、ひとつだけ判ったことがある。男はゲーム世界の人間ではない。ひじり同様、現実世界からこのゲームに入った人間だ。
 しかし、どうやって。男はどう見ても子供ではない。いったいどうやって、ノアズ・アークに支配されたゲームに入って来れたのだ。


ひじり姉ちゃん、快斗兄ちゃん!どうしたの!?」


 突然後ろからコナンの呼ぶ声がかかり、ほんの一瞬、2人は揃って意識をコナンに向け、再び前へ戻したときには、先程の男の姿はどこにもなかった。


「…え」


 ぱちぱちと快斗が目を瞬かせる。あの一瞬では路地を駆け抜けることはできないし、上を向いても影も形もない。
 ありえない。目くらましの煙幕を張ったわけでもないのに、本当に一瞬で人間が消えた。
 ひじりも警戒したまま路地の向こうと空を見上げるが、どこにも男の姿はなく、また気配も無い。
 いったいどこへ消えたのか。気になったが、男から殺意はもちろん、害意や敵意も全く感じなかったことから、心に留めつつも今は気にしないことにして軽く首を振った。


「…何でもないよコナン。ちょっと人の気配がしただけ」


 まぁ、気のせいだったみたいだけど。そう言って誤魔化すひじりにコナンは眉をひそめたものの何も言わず、「行こう」と2人を促した。
 2人はコナンに従って路地を出てメインストリートへ出る。少し離れたところからアコーディオンのような音が聴こえた。


「あ、ひじりお姉ちゃん。さっきね、変な人がいて…」

「変な人?」


 追いついたひじりの傍に寄って蘭が不安そうにひじりの服の裾を掴む。蘭はひじりと快斗がいない間にすれ違った人のことを話してくれた。


「ジャック・ザ・リッパーに気をつけろって…出遭ってしまったら、お前も血まみれになるこったって、歌ってたの…」

「それはまた、確かに変な人だね」


 よりによってこんなときに不穏な歌を残していくとは。
 しかし、その歌はどういう意味があるのだろう。血まみれになるこった、とはいったい。「殺られる前に殺れ」とでも言いたいのか。
 だがこんなところで考えていても分かるはずもなく、とにかく先へ行こうとコナンに促されて歩き出す。
 ベイカー街へはすぐに着き、さらに221番地のBを目指して行くと、扉にそう刻まれた家を見つけることができた。

 子供達を置いてひじりがノッカーに手をかける。
 2回鳴らして反応を待っている間、元太が「ここにあのシャーロック・ホームズが住んでるのか?」と訊いてきて、それに蘭が「ワトスン博士と一緒に借りてる下宿よ」と答えていた。

 さて、今ホームズは在宅してくれているのだろうか。






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