137





 ノアズ・アークの言葉はまだ続く。
 全員がゲームオーバーになったときは、脳に特殊な電磁波を流して破壊しちゃうからね、とやわらかく言われても、軽い恐慌状態に陥った場ではさらに恐怖を煽るだけだ。


『つまり、日本のリセットを賭けた勝負というわけさ』


 ああ、成程。今この場にいる子供達の殆どは日本の未来を担うことになる。二世三世を消せば負の連鎖を断ち切ることができる。しかしそれは、あまりに極端な話だ。
 まるで子供の考えのようだと、ひじりは小さなため息を呑み込んだ。





□ ベイカー街の亡霊 4 □





 現実の世界の声はこちらには聞こえない。だから何を言われたのかは判らないが、ノアズ・アークは唐突に声を低め、威圧感をもってこう言った。


『ないよね。ヒロキ君の命をもてあそぶ権利が、大人になかったように』

「…ヒロキ君…ノアズ・アーク…」

「……まさか、2年前の…?」


 ぽつり、快斗が呟く。ひじりが顔を向けると、目を合わせた快斗は記憶を手繰るように宙を見た。
 2年前、DNA探査プログラムという画期的なプログラムを開発した、僅か10歳の少年がいた。その子の名前が、ヒロキ。
 両親が離婚し、共にアメリカに渡った母親と死別して天涯孤独となったヒロキを引き取ったのが、今回のゲーム─── コクーンの共同開発者、トマス・シンドラー。
 そしてノアズ・アークは、そのヒロキが作り出した人工知能。1年で5年分の知能を会得すると言われ、つまりノアズ・アークは当時のヒロキと同じ年齢。
 ヒロキは自殺で死去していたはず。だが今の発言では、まるで大人が、彼を殺したようではないか。


「…これは復讐、なのかな」

「…どうでしょう。それもあるかもしれませんが、何となくですけど、オレにはとんだ駄々っ子にしか思えません」


 恐ろしい力を持ってしまった、その使い方を間違った子供。
 苦笑する快斗に「まぁオレ達がいれば何とかなりますって」と言われ、ひじりはそれもそうだと頷く。
 ゲームの難易度が上がろうと、これは子供でもクリアできる可能性があるゲーム。ならば日頃赤井に鍛えられているひじりと快斗が力を合わせれば、ゲームクリアも不可能ではない。頑張ろう、と2人は拳を軽く触れ合わせた。


『さて、子供達がお待ちかねだから、そろそろゲームを始めよう』


 ノアズ・アークの言葉が終わると、空中にデモ映像が浮かび上がった。
 まず1つ目のステージは、ヴァイキング。7つの海に繰り出し、数々の冒険に挑戦する。
 2つ目は、パリ・ダカール・ラリー。世界の名ドライバーに交じって参加し、過酷なレースで優勝を目指す。
 3つ目は、コロセウム。優れた武具を手に入れ、ローマ帝国での腕試しを行う。
 4つ目は、ソロモンの秘宝。トレジャーハンターとなり、世界各地に隠されたソロモンの秘宝を探し出す。
 そして5つ目は、オールド・タイム・ロンドン。100年以上前の殺人鬼、ジャック・ザ・リッパーを捕まえる。


「…快斗的には、ソロモンの秘宝がいいんじゃない?」

「まぁ、確かにそうですけど。…生き残りを懸けて、となるとよく考えた方がよさそうだ」


 なるべく危険が少ないものを。コナンは間違いなく5つ目を選ぶだろう。そしてコナンがそちらへ行くなら、蘭も同じものを選ぶ。子供達も同様だ。
 さて、どうするか。ノアズ・アークが一旦消え、2人が考えていると、恐慌状態に陥った子供達が現状に嘆き泣き言を言い始める。
 選ばれた子供達。命を賭けたゲームに選ばれてしまった、子供達。それに少しばかり同情する。
 泣き出す子供もいる中、蘭が子供達を落ち着かせるように声をかけた。


「みんな、元気を出して。勝負する前から負けちゃダメ!」

「そうだよ!たった1人でもゴールに辿り着ければいいんだから」

『ああそうだ、ひとつ忘れていたよ』

「!」


 蘭に続けてコナンが励ますと、それを切り裂くように再びノアズ・アークが現れた。はっとして誰もが頭上を仰ぐ。ひじりと快斗も見上げると、突然2人にだけ光の柱が降りてきた。


ひじり姉ちゃん、快斗兄ちゃん!」

『君達は強すぎる。だから、ハンデをつけさせてもらうよ』

「…ハンデ…?」

『大丈夫、少し体が重いだけさ』


 そう言い終わると同時に光が消え、2人はがくりとその場に膝をついた。
 ひじりは喉の奥で小さく唸った。体が重い。両手両足に鉄の枷がはめられているようで、とても「少し」では済まされないレベルだ。快斗も同じだった。呼吸をするだけで全身に負担がかかる。ああ、これではとてもクリアできる自信がない。
 それでも何とか2人は体を起こし、鈍い体をほぐすように動かす。ずしりとした感覚は抜けないが、じきに慣れるだろう。


「だ、大丈夫かよ、2人共」

「……ごめん、あまり役に立てなくなったかも」

「あーっくそ、体が重ぇ」


 駆け寄って来たコナンをひじりはゆっくりと撫でる。腕を上げるにも軽くはない。頼みの綱たる年上2人が使いものにならなくなったと知り、子供達が再びざわめくが、立ち上がり背筋を伸ばした快斗が手を打って注目を集めた。


「大丈夫だって。コナンも言ってたろ。オレ達の中の誰か1人だけでもゴールできればいい」

「みんな、自分が生き残れそうなステージを選んで」


 ハンデを課せられた2人が不安など微塵も無くそう言うから、怯えながらも子供達は幾分か落ち着きを取り戻して顔を見合わせ、舌打ちしてまず先に先程ひじりが叱った少年達が動き出した。それに続いて残りの子供達も恐々とステージ選択をし始める。ひじりと快斗は顔を見合わせた。


「…一番生存確率が高そうなのは…」

「あいつのとこ、でしょうね」


 ハンデを課せられた今、バラけることは危険だ。2人はオールド・タイム・ロンドンの入口へと足を進めた。
 そこには一番最初に動き出した少年達がおり、こちらへ足手纏いになるなと嫌味を言って、元太が言い返してあわや喧嘩になりかけたのをひじりが軽く2人の頭を叩くことで収めた。喧嘩両成敗である。


「喧嘩は現実に帰ってから気が済むまでやりなさい」

「は、はい…」

「……」


 元太はひじりの怖さを知っているため素直に頷き、少年達は睨むように見るだけだ。
 忘れるなかれ。足手纏いだと言うのなら、ハンデを課せられたひじり達よりコナンと哀以外の子供達の方がずっと足手纏いの可能性が高い。けれどそれを口にすることはなく、ノアズ・アークは最後に各ステージにはお助けキャラがいるから頼りにするといい、と助言をくれた。
 いまいち自分の役目であるサポーターが何なのかは分からないひじりだったが、とにかく生き残って帰るために頑張るかと小さく息をついた。





■   ■   ■






「さぁーて、あの状況でどう動くのかなぁ~?」


 男は笑い、キーボードに指を滑らせる。画面にはハッキングして得た、制御室のコンピュータ画面。ある作業を終え、男は横に置いていたヘルメットに手をかける。ヘルメットの中には子供達がコクーンの中でつけているヘッドギアに似たものが埋め込まれており、そこから伸びるコードでパソコンへと繋いだ。


「んじゃ、邪魔するぜぇ?ノアズ・アーク」


 言いながらヘルメットを装着し、腕を組んで体が倒れないよう体勢を整えた男は、エンターキーを軽く叩いた。






 top