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 ひじりは樫村へ出しゃばってすみませんと頭を下げたが、樫村に助かりましたと逆に頭を下げられた。ゲーム開発の担当者として、いち会社員として、重役の子供達に粗相をすれば本当にクビを切られかねない。


「ゆっくり楽しんでいってください」

「はい」


 ひじりの頷きに、樫村はほんの少し小さな笑みを浮かべ、最後に一礼して去って行った。





□ ベイカー街の亡霊 2 □





 コナン達のもとへと戻ると園子に「格好良かったわ、流石ひじりお姉様!」と賛辞をもらい、子供達にもスカッとしたぜ!と言われたひじりは、どうもと短い言葉を返した。


「…なぁひじり、オメーさっきあいつら撮ってたろ。何に使う気だ?」

「あの子達がまったく聞き分けのない子達だったら、あれを使ってちょっと色々してやろうかとも思ったけど、無駄になったかな」

「子供相手にオメーはよ…」


 頬を引き攣らせるコナンに、だから最終手段のつもりだったよと返す。
 それはそれとして、少年達も大人しくなったことだし、パーティを楽しむかと思考を切り替える。快斗にデザート食べ比べしましょうと言われ、即座に頷いて2人でデザートコーナーへ向かった。


『─── 皆様、ステージにご注目ください』


 ふいに司会からのアナウンスがあり、ケーキを食べていた2人は揃ってステージの方へ顔を向けた。


『ただいま、コクーンのゲームステージのためにアイデアを提供していただいた工藤優作先生が、アメリカからご到着です!』


 司会の紹介を受け、ステージに上がった優作が会場へ手を振る。世界的に有名な推理小説家の登場に会場は沸き立ち、ひじりも久しぶりに見る顔に目許を和らげた。


「あの人が工藤の親父で、ひじりさんの後見人ですよね」

「そう。そういえば、まだ顔を合わせたことはなかったっけ」


 いずれ会ってみたいとは優作も言っていたが、優作の仕事や快斗のキッド業などでタイミングが合うことは今までなかった。数日は日本にいるだろうし、少しだけ時間を取ることはできるだろうか。
 ふいに優作がひじりを向いてウインクし、その隣にいる快斗へ笑みを向けた。快斗がぺこりと頭を下げる。すると会場の視線が一斉にこちらを向いてしまい、ひじりは無表情を、快斗はハハハと引き攣った笑みを浮かべる。
 そのときちょうどタイミング良く会場の照明が落ち、それに乗じて2人はその場から離れることにした。

 スポットライトが会場の闇を裂いてステージを明るくし、床から繭型の機械がせり上がる。あれがコクーンか。
 司会の紹介によると、コクーンのカプセルは人間の五感を司り、感触も痛みも匂いも、全ての感覚が現実のような世界にプレイヤーは置かれるとのこと。電気的に中枢神経に働きかけるシステムが用いられ、身体には全く害がないらしい。


「確か、博士も協力したんだっけ」

「そう。いきなり家を出て、結局1ヶ月もいなかったよ」


 ちょっと仕事での!行って来る!とひじりと哀を置いてそそくさと家を出て行ったのは記憶に新しい。ひじりがいたからいいものの、彼女がいなければいくら哀とはいえ子供だけにするつもりだったのだろうか。常識人のようでやはりどこかズレた博士のことだから、その可能性は低くない。
 落とされていた照明が点き、照らされた会場を歩いていると博士の姿を見つけた。2人が博士の傍に寄ると、博士もこちらに気づいた。


「お、ひじり君に快斗君!」

「どうも」

「おかえり、博士」


 約1ヶ月ぶりに再会した博士は相変わらず元気そうだ。
 コナン以外の子供達が見当たらずに首を傾げると、博士のダジャレクイズのせいで寒くなったため、温かい飲み物を取りに行ったらしい。それはそれは。
 博士に留守の間に何事もなかったかと問われ、泊まりがけで週に一度は快斗も来てくれたから大丈夫だったと答える。
 そうかそうか、なら安心じゃ。そう言って笑った博士は、ふいにポケットから「ほれ」とあるものを取り出した。


「新一君にも渡したがな、お土産じゃ」

「これ…ゲームの参加バッジ」


 開発者権限で、2つ手に入れることができたらしい。しかしひとつは既にコナンに渡したため、「参加できるのはひじり君か快斗君のどっちかじゃが」と申し訳なさそうに博士は言うが、博士はひとつ忘れていることがある。


「これ、参加できるのは高校生以下でしょ?私は参加できないよ」

「あっ!そうじゃった!」


 はっとする博士に快斗が苦笑し、それじゃあと博士がバッジを快斗に渡すが、快斗は自分だけできねーよと手を振る。ひじりは参加しないし、快斗もどうしてもやりたいというわけでもない。


「どうせなら、哀に…」

「─── それじゃあ、これをそっちのお嬢さんに」

「え?」


 唐突に見知らぬ人間の声が割って入り、3人は揃って振り返った。
 そこには、白髪混じりの髪を後ろへ撫でつけた初老の男性が立っていて、その手にはゲームの参加バッジ。しかし博士の持つそれとはひとつだけ違うところがある。男の持つ参加バッジには「supporter」のロゴが書かれていた。


「あなたは確か…ゲーム開発担当者の1人の…」

「鈴村と申します。このたび、ゲーム開発に協力いただきありがとうございました、阿笠博士」


 にこりと柔和な笑みを浮かべて礼をする鈴村に、博士もいえいえと頭を下げ返す。
 鈴村は穏やかに微笑みながらバッジをひじりへと差し出した。


「実はですね、今回のゲームのサポーターとして僕の息子を呼んでいたのですが、今朝急な高熱で来られなくなりまして」

「はぁ…」

「その代わりを、あなたにお願いしたいのです」

「私、ですか。でも…」

「大丈夫。サポーターは1人だけという条件で、20歳まで何とか上限を引き上げてもらいましたから」

「おお!それならひじり君も参加できるのう!」


 パッと笑顔を浮かべる博士と、無表情なひじり
 ひじりはじっと無言で鈴村を見つめた。鈴村は穏やかな笑みを崩さぬまま、いかがでしょうと軽く首を傾ける。


「……分かりました。そういうことでしたら、いただきます。ありがとうございます」

「こちらこそありがとうございます。無駄にならなくてよかった」


 ひじりがバッジを受け取ると、鈴村は僅かに笑みを深めて一礼し、それではと去って行く。その背を見送り、バッジを胸につけたひじりは、博士からもバッジを受け取って快斗の胸につけた。


(鈴村さん、ね)


 博士は彼がゲーム開発担当者の1人だと知っていたようだが、本当に彼はそれだけか。
 ひじりに話しかける際、手を伸ばさずとも触れる距離─── 完全に間合いに入った状態で、ひじりは声をかけられるまで彼の存在に気づかなかった。気配がしなかったのだ。
 これだけ人に溢れた会場内だからか。しかし、確実に自分へ向けられた意識に気づかなかったのは、果たして。

 そしてもうひとつ。サポーターとしての参加バッジ。上限は20歳。
 なぜ彼は、ひじり年齢を・・・知って・・・いた・・のだ・・。初対面のはずの彼が、なぜ。
 博士とひじりとの会話を聞いていたのか、偶然か、考えすぎか、それとも。
 だが害意も敵意も、鈴村からは感じられなかった。だから受け取った。純粋な厚意ではないと知りながら。


「……少し、ゲームが楽しみになってきた」


 小さく、不敵な光をその目に宿して呟く。
 せっかくの機会だ。どうせならゲームを楽しもうと、ひじりは胸につけたバッジを見下ろした。
 その隣で、快斗も睨むように鈴村が消えていった方を見つめていた。





「…なかなか鋭い子だなぁ、工藤ひじりちゃん。それに…あのコソ泥小僧君も」


 小さく、男は感嘆の息をついた。






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