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「♪ ♪♪ ♪ ♪♪♪」
風呂から上がった女が鼻歌を響かせながらテレビをつけると、今日オープンしたばかりのツインタワービルのニュースが映った。
突如爆発し火に巻かれたビル。あらあら、と女は他人事のような声を上げて首にかけたタオルで髪についた水分を拭う。テレビから興味を失くしたように視線を外し、ダーツボードに留めた数枚の写真のうちのひとつを白い指で撫でた。
その写真には、黒髪の女が映っている。歳の頃は20歳前後。長い黒髪、無表情、そして無感動にこちらを見ている。白い指は写真の中の女の頬をなぞり、次いでその下にある写真に視線を落とした。
写真に写るのは2人の男女。指で触れているものと同じ女だが、髪は短く、その両耳には四葉のクローバーが1輪ずつ咲いている。彼女の視線は隣にいる癖毛の少年の方を向いて、満面の笑みを浮かべた少年の視線も彼女の方を向いている。
仲睦まじい2人だ。お似合いの、微笑ましくなるような光景。
「……迎えに行くわ、いずれね」
くすり、女が妖艶に笑った。
□ 天国へのカウントダウン 9 □
ひじりがエレベーターを降りてしまったため、快斗が先に地上へ着いており、それから連絡橋を通じてB塔から
ひじりが哀と共に出て来るのを今か今かと待っていた快斗だったが、ふいに連絡橋が爆破し45階の連絡橋を巻き込んで落ちて来たのを見て顔を青くした。
慌てて駆け寄って見てみるがそこに思い描いてしまった姿はない。その点については安堵した。
しかし電話をかけても繋がらず、ならば既にB塔にいるか途中で合流した蘭達と降りてくるのかと期待したが、いつまで経っても望んだ姿が現れることはなく不安だけが募っていく。
そのうちコナンを始めとした蘭や園子が降りて来てもやはり
ひじりの姿はなく、子供達はコナンが来たことに喜んだが、蘭や園子、コナンの3人は
ひじりの姿が見えないことにすぐに気づき快斗の方へやって来た。
「ねぇ黒羽君!
ひじりお姉ちゃんはどこ!?」
「それがまだ戻って来てねぇんだよ。電話も繋がんねぇし…。さっき連絡が取れたときは、60階の連絡橋を目指してるって言ってたけど」
「連絡橋!?」
「それ、さっき落ちたやつじゃない!?」
最悪なことを考える蘭と園子にその考えは否定し、たぶんまだあそこに、とA塔の60階を見上げる。コナンが博士へ駆け寄って行ったのを見送り、もし
ひじりがあそこにいるならどうするかを考える。
探偵バッジを今日哀が持っていないことは既に博士に聞いて知っている。
ひじりにはどうしてか繋がらない。連絡手段がない。
A塔に2人がいるかもしれないと聞いた警察がすぐに消防隊に連絡を取り、確認をしてもらうと確かにいると言われて舌打ちする。だが怪我はなさそうだと言われてとりあえずひと息をついた。
目暮が高木に指示を出して救助ヘリを呼ばせるが、
ひじりが確かにあそこにいると判った以上、待ってなどいられない。だが、どうやってあそこまで。
(─── そうだ)
快斗ははっとして博士を振り返った。
「博士!
ひじりさんのブーツ、持って来てるって言ったよな!!」
「あ、ああ。じゃがあれは…」
「どこにある!?」
「も、毛利君の車に…」
快斗の剣幕にたじろぐ博士が言い切る前に駆け出すと、コナンと鉢合わせた。どうやらコナンも行く気のようで、
ひじりと哀はもちろんとして、犯人もまだ捕まえてないしなと納得する。止める理由はなかった。
コナンはスケートボードを、快斗は袋に入ったブーツを取り出してそれぞれ無言で手に持ちB塔へと駆け出した。コンパスの差で先にエレベーターに着いた快斗がボタンを押し、コナンが入ったのを確認してから60階のボタンを押す。
60階に着くまでにブーツを履くが、
ひじりのブーツなので快斗には合わず、しかし半ば無理やり押し込んだ。自分のサイズより小さいため足が痛いが、A塔に行けさえすればそれいいので文句は言うまい。
「おい黒羽。オレは犯人の如月さんもいるだろうからA塔に行くんだが…お前は何で来るんだ?」
「愚問だな。
ひじりさんがそこにいるからに決まってんだろ。まだ何があるか分からない。
ひじりさんは絶対に死なせねぇ」
「……そのブーツ、使い方、分かんのか?」
「使うのは初めてだ」
ピンポーン、とエレベーターが到着を告げたため、会話を切って廊下に出た快斗とコナンは急いで連絡橋のあった場所へと向かう。消防隊員がいたからすぐに判った。
コナンが消防隊員から懐中電灯を奪ってスケートボードに乗るのと、快斗がブーツのスイッチを入れたのは同時だった。
スケートボードとブーツそれぞれのエンジンが起動し音が響く。その音が聞こえたのだろう、向こう側からひょっこりと
ひじりが顔を出した。
(
ひじりさん!)
ひじりと目が合う。瞬間、快斗の体はひっくり返ることなく弾丸のように飛び出した。
快斗は分からなかったが、その勢いはやはりブースト状態でいつもより速度が出たためコントロールが難しく、しかし何とかコントロールを失わず快斗はコナンと共にひしゃげた連絡橋の根本部分を坂にして勢いよく飛び出した。
びゅぉうと耳の横を風が切る。着地点を確かめ、A塔側の連絡橋に足をつけたとき、同じく連絡橋へ飛び移ったコナンがスケートボードから転がり落ちたのを見て咄嗟に抱きかかえて廊下を転がった。
「ってー!背中擦った!」
「わ、悪ぃな黒羽。サンキュ」
だいぶ勢いがあったためそれなりの距離を転がって止まり、熱く鈍い痛みを訴える背中に眉をひそめながらコナンを放す。顔を上げ、さすがに驚いて目を瞠る
ひじりにへらりと締まりのない笑みを浮かべて快斗は片手を挙げた。
「快斗…」
「来ちゃいました。だってほら、約束しましたから。あ、でもブーツ使いものにならなくなったかも…」
すみません、とそう続くはずだった言葉は、
ひじりに頭を胸に抱きかかえるようにして抱きしめられることで喉の奥へ消えた。
やわらかい感触が顔に当たる。自分より細い腕にぎゅうと力がこめられた。その手の平が後頭部に回る。
「ありがとう、快斗」
「……どういたしまして、
ひじりさん。怪我はありませんか?」
「危うく死ぬところだったけど、大丈夫」
死ぬところだったって何だ。突っ込みたかったが体を離されて手を引かれたためタイミングを逃し、快斗は無言でゆっくり立ち上がった。
しかし足が痛んだのでブーツを脱いで見てみると、ブーストしてしまった影響か、ブーツのエンジン部分が焦げてしまっている。
これではもう使えないだろう。使い物にならないものを持っていてもしょうがないのでそれは捨てて行くことにして、快斗と
ひじりは少し離れた所でジト目で睨むように見てくるコナンと微笑ましげに笑みを浮かべる哀を振り返った。
「おい
ひじり、オレも来たんだぞ」
「うん。ありがとう新一」
「この扱いの差…!」
コナンには礼と頭を撫でるだけに留めたら地団太を踏みそうな唸りが返って来たが、
ひじりは気にすることなく最後にぽんぽんと軽く頭を叩いた。
ひじりの後ろで快斗がにんまりと笑みを浮かべる。
「と、そうだ目暮警部に連絡しなきゃ」
救助ヘリはここまで来れないだろうから、屋上のヘリポートまで来てもらおう。快斗は目暮に電話をかけてその旨を伝え、質問攻めに遭うのは勘弁なのでさっさと電話を切る。
するとふいにコナンの探偵バッジが鳴って、スイッチを入れれば子供達の声が響いた。
『おーいコナン!姉ちゃんと灰原と合流できたかー!?』
「ああ、大丈夫だよ」
『灰原さん!灰原さん大丈夫!?』
「ええ、怪我ひとつないわ」
『
ひじりさんと快斗さんも無事ですかー!?』
「おう、心配ない。すぐに下へ戻って来るからよ」
「心配してくれてありがとう」
それぞれの元気な声に、探偵バッジ越しに子供達がほっと息をつく。みんな早く戻って来てね、絶対だよ!と歩美の念を押す声を最後に通信が切れる。
4人は一度顔を見合わせると小さく頷き、非常階段へと向かって歩き出した。
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