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 ひじりは原に関する情報をハッキングで、快斗はツインタワービルのオープンパーティ会場作業員に紛れ込んで内情を探ってもらった結果、あまり面白くないことが判った。
 正直快斗の方は特に収穫は無しだ。その代わり美緒と如月の確執について少々深く聞けたが今必要なことではない。


「原佳明が組織の人間であることは間違いないけど、どうやら彼は組織を裏切っているみたいだったよ」

「組織を抜けるために、交換条件として組織のコンピュータにハッキングをかけてデータを盗んだ…」

「あるいはゆするためにか。TOKIWAのメインコンピュータからハッキングをかけてたせいで特定には時間がかかったけど、ハッキングをかけたのは間違いなく原さんだった。そのことに組織が気づいたら、厄介なことになる」


 FBIの捜査官達はベルモットの監視とジンの捜索に集中しており、こちら側に人員を割く余裕はない。だがいずれTOKIWAに組織の人間は何らかのアクションを起こすはずだ。そして原にも。
 うまくいけば、組織の人間を生け捕りにすることができる。ひじりと快斗は目を合わせて頷いた。





□ 天国へのカウントダウン 5 □





 しかし事はそううまくいかない。
 2日程前─── ひじりがハッキングした日の翌日の日曜日に哀を含めた子供達が原の家へ向かったが、コナン達が訪れたときには原は何者かに殺害されていたらしい。
 死因は銃殺。胸を撃たれてほぼ即死。テーブルの上にはチョコレートケーキ、そして手に銀のナイフが握られていたことから、ケーキを食べようとしたところに犯人が入って来たのだろうと推測された。
 死亡推定時刻は昨日午後5時~6時の間。そしてパソコンのデータが全て消されていた。


(銀のナイフ…ギン、GIN。酒のラベルに貼りつければ読み方は変わる)


 即ち、ジン。やはり原は組織を裏切って、ジンに消されたのだろう。そうなればジンがツインタワービルに現れたことにも説明がつく。
 後手後手に回らざるを得ない状況に嫌な予感が止まらない。しかしコナンも哀も、大木と同じように殺害現場に猪口が割られて置かれていたことからジンの仕業だとまだ気づいていない。ひじりから話すとなぜ分かったのかを芋づる式に話さなければならないため黙っておくことにして。

 割られた猪口が置かれていたということは、大木を殺した犯人とジンのターゲットが偶然にも被ったのだろう。
 警察は原の死亡推定時刻にコナン達と会っていた如月を外したようだが、殺したのはジンなのでアリバイなどないようなものだ。


(どうする。次は彼らは何をする?TOKIWAのメインコンピュータからハッキングをかけたことにはもう気づいているだろうから、そうなれば次の狙いはツインタワービル。メインコンピュータを破壊するだけで済む?赤井さんに頼んでFBIをツインタワービルの監視に割いてもらうか…)


 原佳明を最初からマークしていれば、ここまで後手に回ることもなかった。紛うことなき失態だ。
 ジンの行方は掴めたが、既に東京を離れていると赤井から聞いた。そこから先は撒かれたと。
 考えて考えて─── ひじりは、深くため息をついて一度全ての思考を切り捨てた。


(間違えるな。私の目的は何だ。ジンを殺すこと。迎え撃つこと。それ以外に自ら組織に近づく理由はない)


 原は死んだ。ジンは東京を離れた。ならばひじりがすべきことは何もない。
 TOKIWAのメインコンピュータにもう一度忍び込んでデータを回収することはできるが、昨日も考えた通りそれは危険度が高すぎる。今自らの危険と引き換えにFBIに貢献する理由は、どこにもない。


「……ひじりさん、決まりましたか?」


 静かな問いかけがあり、ひじりは閉ざしていた目を開けて隣に座る快斗を見た。
 ジャズが流れるブルーパロット店内、カウンター席。営業時間外のため客は誰もいない。ここにはひじりと快斗と寺井の3人だけ。その中で、ひじりはゆっくりと頷いた。


「今までに集めた情報は全て赤井さんに渡して、私達は手を引く。これ以上手を出す理由はない」


 ひじりの決断に、分かりましたと快斗はひとつ頷いた。
 失態は失態だが、言うならそれはひじりではなくFBIの失態だ。ひじりが責任を感じる必要はない。
 ただでさえ後手に回っている上に、コナンから原の死亡状況をより詳しく聞いて、警察が中止を促したはずのツインタワービルオープンパーティの招待状を受け取ったのが今日だ。
 組織はいつTOKIWAのメインコンピュータに仕掛けて来るだろう。ただウイルスを流してデータを丸ごと全滅させるだけならいいが、果たしてそれで済むだろうか。


「パーティ、どうします?」


 快斗も同じ考えに至っているようで、来週の土曜日に行われるオープンパーティについて話を振って来る。
 行くべきか行かざるべきか。行かないでいることの方が身の安全であることは分かっている。体調不良だと偽ってもいい。
 パーティに誘われた件を赤井に話すと彼はひと言、好きにしろと言った。いずれにせよ当日ツインタワービル周辺の監視は行うらしいが、数はごく少数。組織がいつ仕掛けて来るか分からない以上、現れるかも分からない組織の人間を待ち伏せする余裕はないようだ。
 じっと悩み続けていても仕方がない。危険の可能性を考えればきりがない。蘭や園子にも一緒に行こうねと声をかけられているし、頑なに断る理由を考えるのも面倒だ。


「行こう。行くからにはできるだけ楽しんで、けど決して気は抜かないように」

「はい」


 虎穴に入らずんば虎子を得ず。かと言って、得るものなど何もないだろうけれど。
 それでも、もしひじりがツインタワービルに現れたなら。
 “餌”である自分に、果たしてジンはかかるだろうか。





■   ■   ■






 かつて“ドール”と呼ばれた女が近くにいることには気づいていた。
 殺すことも閉じこめることもできないまま自ら解放してしまった女が、裏切り者の原が所属するTOKIWAが建てたツインタワービル内にいるということにも、当然気づいていた。
 ウォッカは気づいていない。気づいたのはジンだけで、そして同様にドール─── 工藤ひじりという名を持つ女もまた気づいたはずだ。

 シェリーと再会したあの雪の晩、ひじりはジンの目の前に現れ、私の全てを奪いたければ私だけを狙えと言い、ジンはそれに頷いた。
 しかしまだ、ジンはひじりの全てを奪ってはいない。強固な鎧に覆われているからか。厄介な後ろ盾があるからか。
 そうではない。銃口を向けることはできるのに引き金を引けない、殺したくないと思う一片の心が煩わしい。


「兄貴、今ツインタワービル内のメインコンピュータに爆弾を仕掛けたと…兄貴?」


 思いの外ぼんやりとしていたようで、ウォッカの報告に少し遅れて「ああ」と短く返す。
 自分達を何者かが追っていることには気づいていた。おそらく最初にひじりを檻から連れ出した連中。
 へたに自らが動けば容赦なく襲い掛かって来るだろうと分かっていたため末端に任せていたが、ジリリと胸を焦がす苛立ちにも似た感情の煩わしさからウォッカへ顔を向け直す。


「爆弾を追加しろ」

「え?」

「あれを殺す」


 決して名前を呼ばずひじりを指し示す名称も言わずに冷淡な声で言い切れば、ウォッカは息を呑み、来るんですかぃと愚問を投じた。
 ひじりはジンの気配を感じたはずだ。ならば逃げも隠れもせず現れるに決まっている。
 そう、来るのは今度行われるオープンパーティ。天国に一番近い場所で、いくつもの花火をはなむけにあの世へ送ってやろう。


(─── いや)


 違う。否、殺意は本物だが、いくら爆弾を仕掛けて追い詰めたとしても死なないだろうとジンは半ば確信している。
 あれは俺が殺す。全てを奪い、あの小さな吐息さえ奪い尽くす。俺が、俺自身の手で。

 奪いに行くジン。迎え撃つひじり。互いが互いに銃口を向けるまで、生きていろ。ジン以外に奪われない、死なないのだと証明してみせろと、一方的な要求を抱く。ジンに奪われるために絶体絶命の中を生き延びてみろと。

 ウォッカがジンの意志に従い末端に電話をかけるのを横目に煙草をふかせる。
 ああそういえば、ひじりと共にシェリーの逃走を手助けした男─── あれこそ殺さなければならない。
 あの男がひじりを奪ったのか。そう思えばぞわりと腹の奥が底冷えして空気が震える。その一片の混じり気もない冷徹な殺意に、隣にいただけのウォッカが震えた。


(あの男の素顔は分からないが───)


 声は覚えている。忘れるはずがない。ジンの隙を突いて麻酔弾を撃ち込んだ、ひじりの顔を借りたあの男。
 もしひじりの傍にいたのなら、それこそ殺す。できることならこの手で殺してやりたいが、煩わしい連中にマークされている以上、下手な行動はできない。


(どうせなら、俺が殺すまでお前も生きていろ)


 口の端を吊り上げ、ジンは凄惨な笑みを浮かべた。






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