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赤井に連絡はしたがジンの車は捉えきれず、だがそう遠くにはいないということで独自の捜査網を敷いたらしい。
ひじりを狙ったものか、それとも哀を狙ったものかは分からない。ただでさえ警戒すべきベルモットに加えて、本命とも言うべきジンの思わぬ登場に赤井が目を鋭くさせていることだろう。
しかし日本国内のFBI捜査官はそう多くないため、ベルモット、ジン、原佳明にツインタワービルと多方面に割く余裕はないらしく、原佳明に関しても調べてみるが後回しになるしツインタワービル関連について暫くは様子見となった。
だができることなら
ひじり達で調べてみてくれ、と言われたのでできる範囲のことはするつもりだ。
例えばそう、今度の日曜日に子供達が原を遊びに誘ったのでそれについて行くとか。ツインタワービルに関しても、小五郎伝てに怪しまれない程度に情報を引き出してみようか。
□ 天国へのカウントダウン 4 □
翌日、警視庁。
ひじりは昨日ツインタワービルへ赴いた一同と共に目暮により召集され、応接室に似た部屋へ通された。
ホワイトボード前の上座に目暮、その真向かいの下座に
ひじりと快斗が並んで座り、それぞれがイスに座ると子供達の前にはジュース、
ひじり達にはお茶が出されたところで目暮が口火を切る。
「君達に来てもらったのは他でもない。実は、ツインタワービルのスイートルームで刺殺体が発見された」
そう言って別の刑事─── 千葉はホワイトボードに1枚の写真を貼った。
それに誰もが驚きの声を上げる。見覚えがある男だったからだ。彼は昨夜、美緒にスイートルームを取らせた市会議員、大木岩松。大木が美緒にホテルを取らせたときに傍にいたと聞いて、目暮達は参考に一同を呼び寄せたらしい。
千葉が言うには、大木の死亡推定時刻は午後10時~翌日午前0時の間。凶器はナイフと思われるが、持ち去られたのか現場には残っていないとのこと。そして残された手掛かりが、大木の手に握られていたふたつに割られた猪口。
これです、と白鳥がビニールに包まれた猪口を見せてくれた。猪口は真っ二つに割られており、警察はこれがダイイングメッセージではないかと考えているらしい。
(一番簡単に大木さんを殺せるのは、オーナーである常盤美緒さんだけど…)
現場がまだオープンされていないビルということもあって、
ひじり達を除いた5人の中にいるだろうと警察は考えているようだ。
ホワイトボードに貼られた、如月、美緒、風間、原、沢口の写真をそれぞれ見て、オーナーの美緒を怪しむのは尚早だろうと
ひじりは思い直す。あくまで可能性の話だ。如月も昨日不穏な気配を纏っていたし、それを無視することはできない。
小五郎が猪口=チョコレートの意味だとして原が犯人だと言うが、元太歩美光彦の3人はブーイングの声を上げた。
組織の人間である原が犯行に及んだとも考えられるが、彼の本分はおそらくプログラマー。殺人はジンのような手練れがするだろうから違うだろう。子供達が言うように原が良い人かどうかは置いといて。それに、組織はあんなストレートなものを残すようなへましない。
加えて目暮が言うに、原はアリバイがあるためおそらくシロだということだ。
「動機についてはどうなんじゃ?」
「ただいま調査中ですが、大木氏は西多摩市の市議と言っても、実質的には市長より力を持っていたようです」
博士の問いに目暮が答え、白鳥が本来は高層建築が立てられない市の条例を強引に改正させたそうだと続ける。成程、だから美緒はオープン前のホテルに泊まりたいと言った大木を断りきれなかったのか。
「そういえば、美緒さんがつけてたブローチって、その割れたお猪口に似てるんじゃない?」
ふいにコナンが言い、それに小五郎が素早く反応してあの美緒君に限って、と否定したが、目暮が犯行のしやすさの点から彼女が一番の容疑者だと刑事の顔で無情にも告げる。
大木が泊まった部屋はB塔67階。そしてその上の68階は美緒の住まいだからだ。しかし、突発的な犯行でない限りわざわざ自分が怪しまれるようなことをするだろうか。
(誰が犯人にせよ、情報が少なすぎる…)
原はアリバイがあるため除外したとして、やはりキーワードは割られた猪口。
園子が猪口が日本画を描くときに使う乳鉢に似ているということから目暮も如月に繋がったかと呟く。しかし風間と沢口とは猪口で繋がらない。犯人でないのか、それとも別の意味があるのか。そもそも猪口は本当にダイイングメッセージなのか。
風間は森谷帝二の弟子だが技術者タイプでこだわりは殆どなく、沢口に関しても、父親が新聞記者で彼女が大学4年のときに過労死しているが、大木との関連は未だ不明とのこと。
やはり情報が少なすぎる。
しかし探偵でない
ひじりが考えるべきことは殺人事件ではなく組織についてだ。
さて、何と言って原の自宅へついて行かせてもらおうか、と
ひじりは子供達に視線をやり、彼らが3人でこそこそ話しているのを見て、少し思案したあと内心で唇を吊り上げた。それに目敏く気づいた快斗がこっそり声をかけてくる。
「
ひじりさん、何か企んでる?」
「私もイイ性格してるよな、と再認識していてね」
決して良い性格、ではないことは自覚している。
1週間後。
やはり今度はコナンを抜いた自分達で捜査しようと意気込む子供達に発破をかけて、何か困ったり分からないことがあったら連絡するよう言いつけた
ひじりと快斗は、容疑者全員の情報収集を子供達に任せることにして、それぞれの役割に就いた。
元太歩美光彦の3人だけでは心もとないが、どうせコナンもついて行くことになるだろうから心配はしていない。
ちなみに、子供達に誘われたが断った哀はひとりで映画を観に行った。
(さてと)
ゆったりとしたジャズが流れる静かなプールバー、ブルーパロット。
カウンターに座りノートパソコンを広げた
ひじりの前に無言で湯気の立つ紅茶が置かれ、礼をして口をつける。喉を潤して深く息を吐き、短く息を吸ってキーボードに置いた指を素早く動かした。
キーボードを叩く連続した音がひと繋がりの音となって微かに響き渡る。同時に画面には文字が躍り、画面の色が変わり、国内外のあらゆるネット回線を通じて様々なパソコンをハッキングしていく。
目的地はひとつ。TOKIWAのメインコンピュータ。その中の社員情報。
(流石TOKIWAのセキュリティプログラム)
しかし残念かな、かつてこのプログラムの一端を担ったのは他でもない
ひじりだ。
以前TOKIWAから依頼があり、元来のものよりさらに高度なプログラムに組み替えた。故に中へ侵入する方法も分かっている。
だが油断はしない。相手は何よりコンピュータ関連に秀でた会社なのだから。
指を躍らせ、次々とセキュリティを突破し、必要なデータを抜き出して痕跡を残さず撤退する。
ひとつ気になったのは、TOKIWAのメインコンピュータに相応しくない、ある不似合いなデータ。どこからか引っ張って来たもののようだが、とその先を探ろうかと指を動かしかけたところで、頭の中に警鐘が鳴り響いたため手を出すのをやめた。代わりに、どこかへ送られた形跡があるので送り先を特定する。
「─── ふぅ」
社員情報から抜き取った原佳明の情報を画面に表示させ、ネット回線を閉じてひと息つく。
半分ほどに減った紅茶は冷たくなっていてもおかしくはなかったが、タイミングを合わせて新しいものが淹れられて礼を言った。
(本当、何がどこでどう活きるかは分からないもので。ウォッカには感謝しておくかな)
ひじりにハッキングとプログラムを組む技術を教えてくれたのはウォッカだ。
始まりは確か、
ひじりの生活用品がジン支払いと知って、自分の分くらいは自分で稼ぐとウォッカの手伝いをしたことだった気がする。
手伝いとは言っても、直接人の生死に関わるものではなかった。組織のコンピュータのセキュリティソフトの開発だったり、それを突破できるかどうかを自分で試してみたりとそういったもので、結果的に組織に貢献したことになるのだろうが、そのあたりは呑み込むしかなかった。
ひじりは決して清らかなままではいられなかった。心も体も、技術も。
(……くだらないことを考えたな)
一度瞼を閉ざして思考を切り替え、画面に表示された原の情報に目を通す。
生年月日年齢学歴職歴連絡先。携帯電話の番号とアドレスを頭の中に叩き込み、それ以外にめぼしいものがないので閲覧をやめた。情報を削除しハードディスクからも消去して、さらにパソコン自体を初期化する。これはハッキング用のパソコンなので問題はない。必要なソフトもそれぞれ別にROMで用意してある。
次は不穏なデータをどこからか引っ張って来てどこかへ送った人物を特定すること。内容にまで手を伸ばす危険は、今犯す必要はない。
あくまで今日
ひじりが動くのは原の正体を探ることと、組織にどこまで深入りしているのかを調べることだ。ジンがツインタワービル前に来たこととも関係があるのかどうか。何もなければ、ジンの狙いは
ひじり自身であると考えてもいいだろう。
「
ひじりさん、ケーキを試作してみたのですが、よろしければいかがです?」
「いいんですか?寺井さんの作るものは何でもおいしいから楽しみです」
「ほっほ。嬉しいことを仰ってくださる」
穏やかな笑みを浮かべて出してくれたのはチョコレートケーキ。フォークを差すとやわらかな抵抗があり、しかし口に入れればふわりと溶けた。
甘めの飲み物を想定してか、濃厚だが然程甘くはない。スポンジの層の合間のフルーツが後味を爽やかにしてくれる。
「とてもおいしいです」
「それはよかった。坊ちゃまがひと仕事終えた後にお出ししようと思いまして」
「生クリームを少し添えるといいかもしれません」
「成程、参考になります」
頷いてメモする寺井からケーキに視線を落としてさらに頬張る。
やがてきれいに食べ終わる頃には初期化も終わり、再び立ち上がったパソコンに1枚のROMを入れた。
ウィイ、と機械音が小さく響く。
ひじりが独自に開発したソフトを開き、もう一度息をつき直して姿勢を整えた。
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