122
蘭と園子の10年後を予想した写真は、27歳ということもあってか、やはり今よりずっと大人びたものだった。
園子は自分の写真に何だかショックを受けているようだったが、母親に似て気丈そうな顔立ちで全く悪くはなく、私は好きだけどねと微妙な顔をする園子を励ますと、「
ひじりお姉様…!」と感激されて抱きつかれた。
「
ひじり姉ちゃん見てよ!蘭姉ちゃん綺麗だよ!」
コナンに呼ばれ、どれどれと蘭の写真を覗きこむ。
思わず感嘆の息をついた。今でも十分蘭は綺麗だが、10年後は蘭もまた母親の英理にそっくりでより綺麗だ。
博士が新一にはもったいないくらいじゃ、と言って
ひじりと快斗が同意するように頷いた。
□ 天国へのカウントダウン 2 □
じゃあ次は
ひじりお姉さんと快斗お兄さんの番!と歩美に背中を押され、笑顔の快斗に手を取られて
ひじりはイスに腰を下ろした。
隣のイスに快斗も座ってにっこりと笑う。原
佳明という専務が「じゃあいくよ」と声をかけてスイッチを押した。頭上から顔をすっぽり包むヘルメットのような機械が降りてきてかぶらされ、軽い機械音が鳴りながら光がよぎり、パシャッとシャッター音と共に一度強く光って思わず目を閉じた。
機械が外れてイスから降り、出てきた写真をもらう。自分の写真を見るより先に快斗が覗きこんできて、そのまま動きを止めた。
「……」
「……快斗?」
「……はっ!」
「あーっ、さては黒羽君、
ひじりお姉様の10年後に見惚れてたでしょー?」
「だってずりぃだろ、こんな綺麗だとかよ!」
顔を赤くした快斗が悔しそうに園子に言い返し、どれどれと園子や蘭が覗きこんで感嘆の声を上げる。
ひじりの10年後は、髪の長さこそそのままだが、妙齢の女性特有の雰囲気を持ち、無表情ながら整った顔立ちで真っ直ぐにこちらを見ている。
後ろから覗きこんできた小五郎が笑みを浮かべた。
「ほぉー、やっぱ親子だな。
ひじりの母親によく似てやがる」
「お母さん?……そっか、こんな顔、してたんだっけ」
小五郎は直接
ひじりの本当の母親に会ったことがあるからこその言葉だろう。
そう言われれば似とるのうと博士もこぼし、
ひじりはもう一度写真の中の自分を見下ろした。
母親の写真は、家が燃えてしまったこともあってひとつも残っていない。記憶も、幼かったことと年月が経ちすぎて曖昧だ。だが確かに、言われてみればこんな顔だった気がする。
ひじりは目許を緩ませると、じっと
ひじりの写真を覗きこんでいた快斗に目を向けた。
「で、快斗のは?」
「っと、忘れてた。オレのは…おお」
「あ、やっぱり盗一さんに似てる。……すごく格好良い」
「ありがとうございます」
今が新一と瓜二つなのだから優作に似ている可能性も無きにしにも非ずだったが、やはり自分の父親に似るものなのだろう、快斗の家で見た写真に写った盗一の若い頃にそっくりだ。
これを見たら寺井さんは歓喜するかもしれないと
ひじりは思い、母さんが喜びそうだと快斗が苦笑した。
「はーっ、やっぱ将来有望ねー黒羽君。とんだイケメンじゃない。さらに歳食ったらすんごいダンディになるわよ、こりゃ」
「
ひじりお姉ちゃんとお似合いでいいと思うな!」
園子と蘭の賞賛に、どうもと快斗が照れて後頭部を掻く。コナンが何だか面白くなさそうにジト目で腕を組んだ。
子供達からも褒め言葉をもらい、じゃあ次はコナンと灰原、と元太が言うがつれなく哀が断るのを見て
ひじりもやんわり止めた。
コナンと哀の10年後と言えば新一と志保の顔だ。哀はともかくコナンの10年後を晒すわけにはいかない。
しかし小五郎はお前の10年後のクソ生意気なツラを拝んでやると首根っこ掴んだコナンをイスに無理やり座らせ、哀も元太と光彦に半ば無理やり押しやられてこれは本格的に止めるかと
ひじりが足を動かしかけたそのとき、携帯電話で何やら話していた沢口が分かりましたと電話を切って一同を振り返った。
「皆さん、75階のパーティ会場にご案内します」
エレベーターの方へ、と促される。
招待主を待たせるわけにもいかず、舌打ちした小五郎とラッキー助かったという顔をするコナン、それに哀が機械から離れた。
エレベーターに案内するために歩き出した沢口は、前をよく見ておらず小五郎にぶつかり、原が沢口のミスに笑って彼女は猪年で猪突猛進なんですよとからかう。一同が笑い、小五郎がよくやるんスなと言えば照れたように沢口が舌を出した。
「……」
その沢口を、
ひじりは無言で見つめる。否、沢口ではないどこか遠くを見つめている。
ひじりの直感とも言える場所が他人には嗅ぎ取れない
匂いを敏感に察知して、一同に続いてエレベーターに乗り込み眼下を見下ろした。
「
ひじりさん?」
蘭の質問に丁寧に答える沢口の言葉も聞き流しながらじっと下を見下ろし続けていると、ふいに快斗が声をかけてきた。快斗の方を見ればどうかしました?と首を傾げられる。
ひじりは無言でポケットから携帯電話を取り出し、素早くメールを打ってその画面を見せた。
『ジンが近くにいる。それと原さんは組織の人間』
「!」
一瞬息を呑みはしたものの決して声を上げず、すぐに平静を取り戻したのは流石と言うべきか。
ひじりがすぐさまメールを削除して再び遠くなる地上へと目をやり、快斗も
ひじりと同じように眼下を見下ろす。
何も停まっていないビル前。だが確かに、
ひじりはジンの気配を捉えていた。そしてそれは、同時にジンもまた
ひじりの気配を捉えているということ。果たして奪いに来たのか、任務か。
原に関しては、彼の反応から
ひじりがかつてジンの“人形”であったとは知らないだろうが、いずれにせよ警戒はしておくべきだ。
ひじりは赤井にメールで知らせ、ゆっくり息をついて下から上へと流れていく景色を眺める。
するとふいに、
ひじりより大きな手が伸びてきて右手を包まれた。無言で隣を見上げれば快斗が穏やかな笑みを浮かべていて、
ひじりも頬を僅かに緩めると繋いだ手に軽く力をこめる。
ポーン
軽い音と共に75階に着いたことを知らせる。
エレベーターを降りると、そこはオープンパーティの準備をしているようで多少立て込んでおり、作業に従事する人が多くいるものの、会場が広くてその数は少ないように見えた。
沢口について会場の中心へ向かえば、そこで誰か数人の人間と話をしている、赤いスーツを着た女がいた。あれが常盤美緒だろう。彼女はこちらに気づいて振り返り、小五郎を視界に入れると笑みを浮かべて歩み寄って来た。
「あ、毛利先輩!」
「常盤君、暫く」
「遠いところを、よくおいでくださいました」
美緒と握手を交わした小五郎の横に蘭が立って頭を下げ挨拶をする。
娘の、を強調して母がくれぐれもよろしくとのことでしたと素早く不自然にならないよう釘を刺す蘭に、小五郎が不満気な顔をして蘭の名前を呼んだが、蘭はさらりと無視してご紹介しますと軽く後ろを振り返った。
幼馴染の工藤
ひじりさん、同級生の鈴木園子と黒羽快斗君、発明家の阿笠博士。そして子供達。相変わらず他人行儀に紹介されるときのさんづけはこそばゆいなと思いながら
ひじりは一礼する。美緒はよろしく皆さんと礼を返して彼女も後ろの3人を紹介してくれた。
美緒の絵の師匠で、日本画家の
如月 峰水。如月峰水と言えば富士山の絵で有名な画家だ。昼間から酒臭い男が西多摩市市会議員の大木 岩松。世間の評判はともかく、こんな真昼間から酒の匂いをぷんぷんさせるような人間は底が知れるというものだ。そしてツインタワービルを設計した、建築家の
風間 英彦。
「……私、毛利さんとは少し縁があるんですよ」
ふいに小五郎を見ながら風間が薄い笑みを浮かべ、自分は
森谷 帝二の弟子だと告げた。それにコナンと小五郎が目を見開いて驚く。森谷帝二といえば、確かGWを騒がせた爆弾魔だったか。
「…
ひじりさん、森谷帝二って?」
こそりと快斗が訊く。GW中は赤井との鍛練合宿でしごき抜かれていたからそれどころでなく、知らなくても不思議はないと
ひじりは知り得る限りのことを丁寧に答えた。
ひじりとてGWは忙しかったが、蘭が巻き込まれた事件だったため一応耳に入れてコナンから詳細を聞いていたのだ。
ひじりが説明を終えると成程と快斗が納得し、風間を一瞥してふぅんと鼻を鳴らす。このビルを爆破はしないと言っていたが、小五郎に対し良い感情を抱いているわけでもないだろう。
一瞬不穏な空気が流れたが、子供達にはそんなこと関係なく、光彦が窓際で元太と歩美を手招く声に重い空気が晴れた。
壁一面の窓ガラスからは富士山が一望でき、確かに絶景だ。しかし、夜でも富士が見える、と美緒が呟いた言葉はどういう意味だろう。
「反対側の窓には何が見えるんだー?」
元太を筆頭に子供達3人が走って反対側の窓へと向かう。その際
ひじりは一緒に見よう!と歩美に手を引かれ、
ひじりと手を繋いだままだった快斗も一緒に窓へと向かうことになった。
「何だあれ?」
「ドームの屋根みたーい」
元太が首を傾げ、歩美の後ろで確かにと
ひじりが内心で頷く。
その後ろから、こちらへ歩いて来た美緒が隣のB塔が商業棟で、下の方が店舗、上の方はホテルになっていると教えてくれた。最上階には屋内プールがあり、あのドームは開閉できるようになっているとのこと。A塔とB塔を繋ぐ橋は連絡橋だろう。
ふいに大木が美緒にホテルに泊まらせてくれと頼み、オープン前だと一度渋ったものの引き下がらないのでスイートを用意すると応えた美緒に、大木はできれば夕食も共にしたいものだと下心全開で囁く。
エロ親父め、と快斗が内心で苦い顔をして大木の視界に
ひじりが入らないよう庇った。その意図を悟って
ひじりもそっと快斗の陰に入る。
「美緒君!私は帰らせてもらうぞ!」
何が気に障ったのか、それとも我慢がならなくなったのか、突然如月は少々厳しい声を上げた。美緒がそれじゃ下までと見送りをしようと声をかけるが、それを「見送りはいらん」と一蹴して如月がさっさと歩き出す。沢口が如月につき、断られたが如月の後を美緒が追った。
「何やら、ご立腹のようですなぁ」
如月の穏やかとは言えない態度に小五郎が言葉をもらし、それに苦笑を浮かべてため息交じりに風間が答える。
どうやら美緒は如月の絵を買い占め、高く売ったらしい。確かにそれは良い気はしないだろう。
(……本当に、それだけならいいけど)
如月から感じるピリピリとした空気。あれだけはっきり判るものも久しぶりだ。
それだけのことを美緒はしたのだろうか。絵を高く売り捌いたことが、職人気質の如月の逆鱗に触れたのか。
しかし今は如月のことより、ジンと原だ。
彼らがどう動くのか。何もせずにいてくれるのか。
それはまだ、分からない。
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