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 血を流し(たように見せかけ)て倒れたひじりの耳元に、探は3分の1本当ですと言い残して去って行った。
 3分の1とは何ぞやと思いながらも暫く死んだふりをして、床に当てた耳が軽い足音を拾うと目を開けて体を起こした。ケチャップまみれの上着を脱いで廊下を歩き、中央塔から降りて来た小五郎、槍田、茂木、そして探と合流する。


「オメー、上着…あー、俺も汚れてやがる」

「着替えは持って来てるから大丈夫」


 上着を貸してくれようとした小五郎の親切に礼を言い、食堂に向かわず荷物を置いている部屋に向かおうとすれば、探に来ないんですかと引き留められた。


「私は探偵ではないからね」


 それだけを言い残し、ひじりは4人に背を向けて歩いて行った。





□ 黄昏の館 5 □





 着替えを終えて食堂へ顔を出すと、蘭とメイドも起こされて千間も含めた全員が揃っていた。
 先程から聞こえていた音は探が呼んだヘリのもののようで、それだけではない気がするが、まぁいいかと気にしないことにする。すると千間に手招きされているのに気づき、近づいて行くと開口一番謝られた。


「悪かったね、怪盗キッドの名を騙って」

「いえ…どうせなら私よりキッドに謝ってください。彼は名前の通り、少し子供なところがありますから」


 千間は小さく笑みを見せると、見れば分かるよ、と声にせず言った。唇の動きからそれを読んで目を瞬かせる。すると煙草さ、とひじりにだけ聞こえる声でタネ明かしをされ、成程と頷いた。
 だが、「それにあんたがビリヤードを教わっているときに白馬探をものすごい目で睨んでいたからね」と続けられたから、煙草もあるだろうが、その態度とひじりのあだ名で確信したようだ。


「眠り姫、か……私はとんだ伏兵を呼び寄せてしまっていたようだね」

「もっと忠実に再現してくれて、且つただのゲームであったなら、黙っておくつもりでしたが」

「矛盾だね」


 忠実に再現したのならそもそもキッドは探偵を集めてゲームを行わない。それが矛盾。
 ひじりが肩をすくめると同時に警官が食堂へ入って来て促され、それぞれ庭に出てヘリへ乗り込む。
 そのとき、コナンがじっと小五郎の背中を見つめながら腕時計に手を触れているのを見て、バレていることを知った。
 確か探を疑っていたようだったが、探とひじりが別行動を取ったことで可能性から消去したのかもしれない。それか、千間が言ったように煙草の件で気づいたか。
 いずれにせよ、さすがにヘリ内でいきなり仕留めようとはしないだろうが、降りた瞬間ということもありえる。千間を窓際にその隣へ腰を据えたひじりはさてどうしようかと頭を捻った。


「大丈夫、ちゃんとお詫びはするよ」


 無表情のままであったはずなのに、千間はふいに小さな声でそう言って背中を叩いてきた。ならばいいかと考えることをやめてシートに背中をつける。ヘリが上昇して眼下に館が見えた。


「大上さんを殺したのに死んだふりまでしてゲームを続けさせたのは、暗号を解いてもらいたかったからですか?」

「その通りさ。どうしても解いてほしかったんだよ、父が私に残したあの暗号を」


 館を見下ろしながら問うと、同じく館を見下ろしながら「どうやら烏丸蓮耶に取り憑かれていたのは私の方だったのかもしれないねぇ」と自嘲気味に千間が呟く。
 殺された大上もまた、財宝に目が眩んで40年前の惨劇と同じように事件を繰り返させ、宝を見つけた者も殺そうとしていた。そしてその罪をキッドに被せようとして、ひじりが違うと断言したから「あんたがそのうち一番に殺されていただろうよ」と言われたのはヘリに乗る直前だ。

 ひじりが無言で千間から館に視線を移す。先程からヘリの音に混じって聞こえる、耳に引っ掛かるようなこの音は何なのだろうと目を細めた、その瞬間。
 唐突にドアを開けて身を投げようとした千間の腕を素早く立ち上がり引っ掴んだ。入れ替わるようにぐいっと引いた千間の体をヘリ内へ投げ入れたが反動で外へ飛び出、たたらを踏みかけた足は空を切る。


ひじりお姉ちゃん!?」


 重力に従ってヘリから落ちる直前、蘭の悲鳴のような叫びが聞こえた。
 いけない、また泣かせてしまう。小さく後悔してそう思いはしても、落下する体は止められそうになかった。
 ひゅぉうと耳の横で風が切る。あのときと同じだ。キッドと再会したあの夜と。けれど今度は死ぬとは思わない。

 ─── なぜなら彼が、助けてくれることを知っている。

 ひじりから一瞬遅れて飛び降りた小五郎が落ちる肢体に手を伸ばす。小五郎越しにドアから眼下を見つめるコナンと目が合った気がした。
 ひじりに続いて小五郎までも飛び降りて、蘭はいっそ気を失うかもしれない。


ひじりお姉ちゃん!!お父さん!!」


 蘭の悲鳴のような声が聞こえて、安心させようと振ろうとした手を小五郎が掴んで強く引き寄せられた。
 同時に視界が白く染まる。小五郎の変装と共にスーツを脱ぎ捨てたキッドは、ひじりを抱き寄せながら素早くハンググライダーを広げた。唐突な浮遊感に内臓が揺れ、それに耐えるために軽く目を閉じる。


「大丈夫ですか眠り姫。まったく、無茶をする」


 どこか呆れたようにため息をつくキッドに、助けてくれるって知ってましたからと悪びれず答えればキッドはそうですけどと唇を尖らせた。
 うん、その顔は可愛いけれどもキッドではなく快斗の顔だ。思わず頬をつつく。


「さすがに、お年寄りに無茶させるわけにはいかないので。千間さんが詫びだって言ってましたよ」

「詫び?」

「名前を騙った詫びだって」

「ああ…。あなたが庇ってくれましたからそんなことすっかり忘れてました」


 上空を飛ぶヘリを見上げ、悔しげな顔で睨み下ろしてくるコナンにキッドが小さく笑みを浮かべる。そして、その後ろにいる探に半眼になる。あの野郎ひじりさんに気安く触りやがって、と素で悪態をついたのは聞かなかったふりだ。
 ひじりは先程見逃していた館に目を向け、キッドの注意を引いて館を指差した。


「キッド、あれ」

「え?……ああ、あれはとても泥棒の風呂敷には包めませんね」


 館の外壁が崩れ、中から金が現れている。食堂の時計を暗号通りに外したから、それと同時に外壁を崩すスイッチが入ったのだろう。
 “黄昏の館”の名に相応しい、とんでもない財宝だ。

 ヘリから離れ、見えなくなったところで小五郎さんは、と訊けば、館に来る途中のガソリンスタンドで店員と共に眠っているとのこと。
 身ぐるみ剥がされているだろうが今の季節、精々風邪をひくくらいだ。


「そういえばキッド…いえ、快斗。探から聞いたんだけど、以前女の子達にセクハラ紛いなことをしていたとか?」


 ギクッとキッドの顔が強張る。


「えー、いやあの、その、それはですね」

「あと、本当は結構な女好きとか」

「今はひじりさんひと筋ですよ!!」

「知ってる」


 悩む暇がないくらい快斗が真っ直ぐに自分を見つめているのは知っているから、そこのところは心配していない。
 過去のことだと分かっている。快斗が変わったのは、ひじりと出会ってからだ。
 変わった理由が自分であると知って嬉しくないわけではない。だが、過去のことだと分かっていても何となく面白くないのだ。


「でもそれにしては奥手だよね?私のパンツ見たいと思わないの?」

パンッ…!ななななな何言って…!!」

「パンツもブラもその下も見てるくせに今更恥じることもないでしょう」

「オレが悪かったですからもう勘弁してください」


 首まで真っ赤にしたキッドに、からかいすぎたかと少しだけ反省する。まぁ少しは気が晴れたから許してやろうか。
 快斗がひじりに対して奥手なのはひじりにべた惚れしているからだと知っている。過去に女好きでセクハラ魔だったとしても、今はひじりだけにしか目を向けていないからそれでいい。


「あ、そうだキッド」

「はい」


 キッドと呼んだから先程の話題の続きではないと察したキッドが気を取り直す。
 きりっとした顔に相変わらずカッコいいなぁと内心で惚気て頬へキスをした。


「助けてくれてありがとう」

「…………いえ」


 小さな返事だったが、せっかく戻った顔の赤みがまたぶり返していた。
 キッドは暫し沈黙しゆるゆると息を吐くと呟きを落とす。


「眠り姫は、眠らせない」


 太陽と共に熱を散らすまで、白い鳥はさえずり続ける。
 ひじりはキッドの首に回す腕に力をこめた。分かっている、とでも言うように。

 もうヘリも館も遠く、どこにも見えない。キッドは山の麓に差し掛かると高度を下げた。
 真っ直ぐ向かう先には一台の車。その横へ降り立ち、キッドの腕から降ろされたひじりは地面に足をつけた。
 一瞬でキッドの衣装から快斗へと変わり、運転席から降りてきた寺井が頭を下げる。


「坊ちゃま、お疲れさまでございました。ひじりさんがご一緒ということは、何かトラブルでも?」

「ヘリから飛び降りただけなので問題ありません」

「……それはそれは」


 大変問題あると思うと寺井の顔が語っていたが、ひじりが「ね」と苦笑する快斗の方を向いたのを見て笑みを浮かべた。
 快斗に後部座席のドアを開けて促されて乗り込み、快斗自身もそれに続く。寺井がドアを閉め、運転席へ戻ってエンジンをかけた。


「街まで少々時間がかかりますので、どうぞおやすみください」


 寺井に促され、一睡もしていなかったこともあるのでお言葉に甘えることにする。
 ひじりは快斗に寄りかかって肩に頭を凭れた。シートについた手を取って快斗もひじりに凭れかかる。
 車が発進して景色が流れていくのをぼんやり眺めているうちに瞼を閉ざし、とろりと意識を微睡ませたひじりは快斗の体温を感じながら、心地好い眠りの中へ意識を投じた。



 黄昏の館編 end.



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