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大上が死んだ。死因はおそらく青酸カリ。
千間が10円玉で試しても反応はなかったため、紅茶に毒は仕込まれていない。
では、食器類に塗られていたのか。だが誰もが食事を始める際に食器類は拭き取っていたはずだ。
(─── いや)
館に蔓延る不穏な気配。その発信源でもある彼が、まさか自分が殺されはしないだろうと高を括っていたのだとしたら。
しかし大上は何度か紅茶を口にしていたはず。では飲み口のところに毒は塗られていなかったと推測できる。
ならば毒はどこに塗られ、そしてどうやって大上の口に運ばれたというのか。
ひじりは息絶えた大上の顔へと視線を滑らせて一瞥した。
□ 黄昏の館 4 □
マネキンの中にはカセットテープが仕込まれ、タイマーに繋がれていた。メイドに確認を取ると、食事をここに運ぶ順番も時間も決められていたらしい。
「これで2つ判ったね。犯人は最初から大上さんを狙ってたってことと、もしかしたら犯人はボク達の中にいるかもしれないってことが」
「そしてもうひとつ。このゲームの主催者が、キッドではないということ」
コナンの言葉に探が付け加え、そうでしょうと
ひじりの方を向いた。
ひじりは無表情に無言を返す。
小五郎が「この中に犯人がいるだと!?」と戸惑っていたが、テープをあらかじめ仕掛け食事をしながら一緒に聞いていたかもしれないとコナンに言われて納得した。
大上がどうやって殺されたのかは分からないが、ここで話し合っていても進まない。車が本当に爆破されたのかを確かめに行こうという茂木の提案に乗り、一同は一旦駐車場へ向かうことにした。
全員が食堂を出て行こうとする中、コナンが大上の右手を取って覗いているのが見えて、
ひじりもコナンの後ろから覗きこむ。
「爪?…噛んだ痕がある」
「ああ。もしかしたらこの人、爪を噛む癖があったのかもしれないな」
大上の手を戻し、コナンと共に食堂を出る。
玄関ホールに出れば扉の前に佇んでいた探が気づいたようで、こちらを振り返り苦笑して肩を竦めた。どうやら全て大破しているらしい。
「…おい
ひじり。オメーあいつにはあんま近づくなよ」
「コナンはそればっかり」
「あいつがキッドかもしれねーんだよ!犯人がキッドじゃねぇってのはオレも同意見だが、誰かに変装してこの館にいるのは分かってんだ」
「この館に?飛んで火に入る何とやら、だね」
「何を企んでいやがるのかは分かんねーけどよ」
それでも確実にいて、
ひじりに馴れ馴れしい探が怪しいのだとコナンは眉を寄せる。内心で「ハズレ」と呟きながら善処するとやる気のない言葉を返した。
外に出てみれば、やはり駐車場に並んでいた車は全て炎に包まれていて、これでは小五郎のレンタカーもおじゃんだろう。茂木や槍田の車の方が値段は張るが。探はばあやなる人物に送ってもらっていたので難を逃れていたらしい。
「ねぇ、
ひじり姉ちゃん、裏門にバイク停めてるんでしょ?そっちは大丈夫なんじゃない?」
「あ…私の車も裏門にあります。この分じゃ燃えてるかもしれませんが…」
ひじりは敢えて裏門に停めたが、メイドは主人に裏門へ停めるよう言われたらしく、一応見に行くかと全員で裏門に回った。
そこには爆破されていない無事な車があり、小五郎が「無事じゃねーか!」と歓声を上げる。槍田が怪しくない?と訝しむが、小五郎はきっと爆弾を仕掛け忘れたのだと呑気なものだ。
ひじりも自分のバイクを見てみると、爆弾の類が仕掛けられた様子はなかった。
「じゃあ本当に橋が落とされているか見て来ようかね」
千間がそう言うと男共が自分も行くと全員名乗りを上げ、そんなに船頭が多いと船が沈むとたしなめられた。そこにコナンがコインを使ってどの探偵が行くか決めるといいと進言し、財布から出した5枚のコインを車のボンネットに置く。
原始的な方法ではあるが、悪くはない。反対意見もなく探偵達はそれぞれコインに手を伸ばした。
「あれ、私も行こうか?」
「ひじりはダメだ!」
「ひじりさんは待っててください」
「ひじり姉ちゃんはお留守番!」
「ひじりお姉ちゃん行かないで!!」
つい手を挙げれば、小五郎に即却下され探に真剣な顔で肩を叩かれコナンに止められ蘭にしがみつかれた。思わずごめんと謝罪する。茂木と槍田と千間は笑っていたり呆れていたり。みんな心配性だと思ったが口にはしない。
探が
ひじりさんは探偵ではないでしょうと言って離れ、気を取り直した探偵達が輪になって宙にコインを飛ばす。
コインの表になった者が行くことになっていて、結果小五郎、茂木、千間の3人だった。
「…
ひじりさん、少しよろしいですか?」
3人を乗せた車を見送った後、館の中に入ったところでふいに探にそう窺われていいよと返す。少しこちらに、と促され離れた所へ行こうとすれば、そのあとを半眼になったコナンがついて来た。それに気づいた探が苦笑して腰を屈める。
「コナン君。ごめんね、ちょっと
ひじりさんと…」
「千間さん、だよね?」
「……気づいていたのかい?」
ひじりもコナンも、おそらく蘭とメイド以外全員が気づいただろう。わざわざ一番遠くのコインを手に取り、変わった投げ方をする彼女に。
「ねぇ。ボクの提案に乗ってみない?」
子供らしからぬ不敵な笑みに、しかし探は面白そうに笑みを深めるとゆっくり頷いた。千間をはめるために一芝居打つ。ただし、蘭とメイドの2人には眠っていてもらおうか。
大雑把だが彼らは探偵、後は察して動ける程度の打ち合わせをして、探はその場を離れて行った。
ひじりは蘭達の相手をし、コナンが離れた所に槍田を呼んで一芝居打つことを頼む。彼女はあっさり頷いた。
蘭は怯えていた様子だったが、
ひじりが傍に立つと自分が護らなければと思ったのか、気合いを入れて拳を握る。
「
ひじりお姉ちゃんは!わたしが護る!」
「じゃあ私はメイドさんを護ろうかな」
「あっ、ずるい!」
それでこそ蘭だ。メイドは不安そうに爪を噛んでいたが、
ひじりと蘭のやり取りを見て小さな笑みを浮かべた。
暫くして小五郎と茂木が帰って来た。しかし、千間が殺されたことを告げられ槍田が驚きの声を上げる。
やはりその手を取ったか。
ひじりがついと目を細めると、小五郎は苦い顔をした。
「待っていても殺られるだけだ…。本当に我々の他に館に誰かいるか手分けして捜してみよう!」
「じゃあ私達は女4人でチームを組もうかしら」
その方が連れションもできるしね、と悪戯っぽくウインクした槍田に
ひじりも頷く。
姿が見えない探について茂木に訊ねられたが、槍田が連れていた鷹に餌でもあげているんじゃないのと素っ気なく答えた。
小五郎と茂木側にコナンもついて行き、
ひじりはひらりとコナンに手を振って背を向ける。
「
ひじりお姉ちゃん、本当にわたし達の他に誰かいるのかな……大上さんも、千間さんも…」
涙ぐむ蘭の頭を撫でて優しく叩く。大丈夫、と言外に告げれば蘭は涙を拭った。
適当に部屋を回って時間を潰しながら中央塔の近くまで行き、槍田がトイレに行こうと声をかけたのでトイレに寄る。
ひじりとメイドは外で待った。蘭がトイレの個室に入ったのを確かめ、
ひじりは素早くポケットから出した、薬品を染み込ませた布でメイドの口を塞ぐ。
「うっ…」
小さな呻きを上げ、何が起こったのかも分からぬままメイドは気を失って崩れ落ちる。
メイドを壁に寄りかからせたところで、後は槍田に任せてその場を離れた。そして角を曲がったその先に立つ、1人の少年。
「こんばんは、
ひじりさん」
「先程ぶり、探。ところで─── その物騒な物は、何?」
微笑みながらひたりと真っ直ぐに向けられているのは、拳銃。
探は笑んだまま拳銃ですよと何てことないように返す。
「私は犯人ではないよ?」
「そんなこと、どうでもいいんです」
銃口を向けたままかつりと探が歩み寄り、
ひじりは無表情に動かず待った。
2歩、3歩、4歩。間合いに入った探がゆっくりと手を伸ばして首に触れた。近づいた顔は笑顔のまま「僕はね」と口火を切られる。
「あなたにひと目惚れしたんです」
は?と出そうになった言葉をかろうじて呑み込む。これは演技だろうが、いったい何を言ってどうやって殺す(ふりをする)のだろう。
銃口が服越しに心臓がある位置へ押し当てられる。探が肩口に顔をうずめて、さらりとやわらかな茶髪が肌をくすぐった。
「けれどあなたは、キッドに恋をしている。そうでしょう?だからここへ真偽を確かめに来た。あなたはキッドを絶対的に信頼をしている。はは、嫉妬に狂いそうでしたよ。あなたの想い人を庇うのは。それでもあなたのためだから……ですが、ふいにこう思ったんです。思ってしまったんですよ。ここにキッドはいない。眠り姫を助ける者はここにはいない。だからここであなたを永遠に眠らせてしまえば─── あなたはキッドではなく、僕の眠り姫になるって」
探が顔を上げ、優しく細められた目と
ひじりの目が合う。
「おやすみなさい」
銃声が、響いた。
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