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 “黄昏の館”と呼ばれる、凄惨な事件が起こったと思わしき舞台に集められた6名の探偵達。
 送られて来た招待状の差出人は“神が見捨てし仔の幻影”。即ち、怪盗キッド。
 その名を聞いて驚いた小五郎が、それじゃあ怪盗キッドが我々を晩餐会に招いたのかと声を上げ、それに大上が答えるより早く、ひじりは食堂に入って初めて口を開いた。


「─── 本当にそれが、怪盗キッドからの招待状であるのなら」


 ピン、と空気が張った。





□ 黄昏の館 3 □





 唐突に口を開いたひじりに食堂内全員の視線が集まる。
 だがその8対の視線をものともせず、ひじりはついと正面に座る大上に視線を据えた。深く果ての見えない黒曜の瞳に晒され、大上が動揺を見せる。


「…ど、どういう…ことかね」

「言った通り。キッドが招待したのだとしたら─── あまりに、遊びがないと思いませんか」


 この館には監視カメラがあちこちに備え付けられているし、枕の下には拳銃があった。そして爆破された車達。落とされた橋。命を懸けてというその言葉。ただの知恵比べにしてはどうにも切羽詰まりすぎている。


「そう、遊びがないナンセンス。彼は月下の奇術師と名高い怪盗。少なくとも、命を懸けさせ車を爆破するなどあまりに強引且つ無骨な真似はしないはず」

「…ひじりさんは、これがキッドからのものではないと?」

「証拠はないけどね」


 でも、じゃあ答えられる?と逆に探偵達に問う。
 なぜキッドは敢えて明確に名を名乗らなかったのか。わざわざ“神が見捨てし仔の幻影”とすぐに判るような名前を綴ったのに。
 キッドがマジックで誰にも気づかれず、あるいは目の前で大胆に車を消さなかった理由は何だ。
 誰も気づかれないよう、今まで殺しどころか傷をつけることすら滅多にせず鮮やかな手口をもって様々な犯行をなしてきた彼が、果たして探偵達相手とは言え本当に命を懸けさせるのか。
 そら、言葉にすれば浮き彫りになる違和感。だが生憎証拠は何もない。


「工藤さん、だったかね……まるで君は、キッドと知り合いのような口振りをするんだな」


 ガリッと親指の爪を噛んで睨むように見てくる大上に、さてどう説明しようか考える。黙っていてもいいが、それでは小五郎達を除いた全員に不信感を与えてしまって、キッドを騙った理由が探りにくくなるのは勘弁だ。
 大上、千間、茂木、槍田の不審な目を正面から受け止めていると、あのね、とコナンが声を上げた。


ひじり姉ちゃん、実は…」

「あなたがSleeping Beauty─── 眠り姫だから、でしょう?」


 唐突にそのあだ名を呟いたのは、探だった。え、とコナンが目を見開いて探を見つめる。そのあだ名を探が知っているはずがないというのに、なぜ知っている。
 ひじりも少し気になって目を向ければ、探は肩をすくめて笑った。


「招待を受けて日本に戻って来ると決めたとき、少しでもキッドの情報を手に入れておこうと思って、個人的な知り合いでもあるキッド専門の刑事─── 中森警部に話を聞いていましてね。あなたが過去5年の空白期間にキッドと出会ったこと…そしてあなたが“眠り姫”と呼ばれ狙われていることを、知ったんですよ」


 まさか中森の部下加藤に突き落とされましたとは言わなかっただろうが、確か探の親は警視総監であることもあって、過去何度かひじりとキッドに接点があり眠り姫と呼ばれているのだと教えたのだろう。
 中森の苦々しい顔が容易に思い浮かぶ。内心でこの若造め、とでも思ったのかもしれない。
 そしてキッドからと思わしき手紙で招待されたというのに一切話してこなかったのだろう探を一瞥して、今ここにいない中森に軽く同情した。


「狙われている、と言うと語弊があるかもしれませんね。彼はあなたの心を盗みたがっている」

「…成程?彼女は怪盗キッドご執心のお姫様ってわけね」

「フン。そんであんたは、この晩餐会の招待主が本当にキッドかどうか確かめるために来たってわけか」


 槍田がくすくすと笑い、茂木に確信を突かれその通りと隠さず頷く。


「ですが、私には招待状は送られて来ませんでした。あくまで私は幼馴染である工藤新一の代理。そしてメイドさん曰く、きちんと主人に確認を取って“眠り姫”たる工藤ひじりがこの晩餐会に来ることの許可を出した」


 それがどういう意味であるのか、少なくとも探偵達には分かっただろう。
 眠り姫。彼が狙うはふたつの黒曜の瞳。
 探がふっと笑みを浮かべた。


「キッドが真実我々に命を懸けさせるのだとしたら、ひじりさんに招待状を出さなかった理由は考えつく。ひじりさんのその美しい黒曜石の瞳を、殺人などという愚かで醜いもので曇らせたりはしたくなかったから」


 だが、ひじりはここに来ることの許可を出された。
 つまり、と探が言葉を切る。


「この館で人が死ぬようなことがあれば─── 招待主はキッドではない、ということですね」


 もっとも、これはキッドが本当にひじりに執心していることを前提とした推理だ。信憑性は高くない。
 だが、こうして明かされたひじりの正体はブラフになる。大上がどこか悔しげに睨んでくるのがその証拠だ。
 やはり、この滑稽で粗悪な舞台ステージを仕組んだのは大上で間違いない。キッドの名を騙ったのは、探偵達を確実に集めるためと、この館で起こった事を全てキッドのせいにするためだろう。


(そんなこと、させるわけにはいかない)


 誰もが口を閉ざし、しんと沈黙が降りた食堂内だったがすぐに扉が開かれてそれは破られ、ワゴンに食事を載せたメイドが入って来た。気を取り直した槍田がやっと来たわねと笑い、それに全員の思考が逸れる。さて、最後の晩餐とはどういう意味なのだろうか。そのままの意味か。

 メイドがそれぞれの前に置いた食事は確か大上が作ったもので、美食探偵という名の通り腕も相当なものなのだろう。
 全員の前に置かれてメイドにどうぞお召し上がりくださいと促されたが、手をつけないまま千間が質問を口にした。


「ねぇメイドさん?もしかして料理をテーブルに置く順番もご主人様から言いつけられていやしなかったかい?」

「あ、はい。白馬様から時計回りにと…」

「いやね…ゲームは始まったばかりなのに最後の晩餐というのが、私にはちょっと腑に落ちなくてねぇ」


 千間の疑うような言葉に、料理を作った大上が毒なんか入っちゃおらんと苦笑して返す。確かにここで料理に毒を仕込むようなことはしていないだろうが、あらかじめ並べて置いてあった食器類はどうだか。
 探も同じことを思ったようで、自分達が札に従って席に着いたこともあり、招待主が本当にキッドがどうかは判らないが、探偵達の力量を試す笑えないジョークを仕掛けている可能性はあるので食器類はハンカチで拭いてから食べた方が賢明だと告げた。
 それに茂木も賛同し、さらにジャンケンで席替えをすることを提案してきて全員が頷き席替えをすることになった。
 結果、ひじりは探の右隣、1番扉に近い席になった。大上を窺うには不便な場所だ。さらに小五郎とも離れたのは、まぁしょうがなく諦めることにしよう。
 全員が席に着き、食器類を拭いて料理に舌鼓を打っていると、ふいにこっそり探が声を潜ませて囁く。


ひじりさん、本当は彼が招待主ではないと確信しているんじゃありませんか?」

「それは探もだと思うけど?」

「いいえ。先程言った通り、僕が確信を得るときは…誰かが死んだときです」

「探、食事中」

「痛っ」



 せっかくのおいしい料理を食べているというのに、血生臭い話はやめてほしい。
 マナー指導と言う名のチョップを軽く頭に入れると、痛みに呻きながら「す、すみません」と謝られたので許した。すると何だか視線を感じるので見やれば、コナンがじっとりとした目で睨んでいて、それが主に探に向けられていることに気づく。
 もしかすると探がキッドではないかと疑っているのかもしれない。ならば小五郎から目が逸れるので敢えて否定しないでおこう。
 最後のデザートまでおいしくいただき、ひじりが満足して口を拭ったところで再びスピーカーから声が流れる。


『ではそろそろお話ししよう…私がなぜ大枚をはたいて手に入れたこの館をゲームの舞台にしたかを』


 まずは見てくれたまえ、と促されて食器類を眺める。
 スプーンやナイフの柄に刻まれた鳥の紋章。嘴が大きく不気味な印象を与えるこの鳥は、カラスか。
 だとしたらこれはまさか、と千間が呟き、それに続くように声がもうお分かりかな?と続ける。


『これは半世紀前に謎の死を遂げた大富豪、烏丸からすま 蓮耶れんやの紋章だよ…』


 この紋章は、見て回った館のあちこちで見かけたものだ。
 食器だけでなく、扉や床、手すり、リビングのチェスやトランプにまでついているそれらは、特注品。つまりこの館は烏丸が建てた別荘ということになる。


『いや、別荘だった…40年前、この館で血も凍るような惨劇が起こった、あの嵐の夜まではね』


 40年前の惨劇のありさまは、館中に飛び散った夥しい血の痕からも読み取れる。
 スピーカーからは40年前の惨劇が伝えられるが、それには興味がないので半分聞き流す。あまりに凄惨だった事件はしかし、表に出ることなく解明される前に握り潰されて闇に消えたという。

 メイドが紅茶を持って現れ、それぞれのカップに注いでいく。ひと口飲んでみて、寺井さんが淹れたものの方がずっとおいしいなと無表情に内心で呟いた。


『さて、もうお分かりかな?私がなぜこの館を選んだのかが。それは君達、探偵諸君に再びあの惨劇を演じてほしいからだ。この館の財宝を巡って奪い合い殺し合う、あの醜態を…』


 すぅと探の唇が笑みの形を象るが、すぐに口元に運んだカップに隠れて見えなくなった。
 スピーカーからは、闇雲に探させるのは酷だからヒントを与えようと声が続く。


『2人の旅人が天を仰いだ夜…悪魔が城に降臨し、王は宝を抱えて逃げ惑い、王妃は聖杯に涙を溜めて許しを乞い、兵士は剣を自らの血で染めて果てた』


 この館に残る惨劇になぞらえて作ったという暗号。
 しかし招待主はキッドではない。つまり知恵比べをするつもりなどなく、もしやその謎を解いてもらうために探偵を集めたのか。
 “黄昏の館”─── その名に相応しい財宝が、まさか本当にこの館に眠っているとでも?
 脳裏を掠めた可能性に、ありえると自答する。そう考えれば辻褄が合うのだ。

 ひじりが1人答えを出している間に、槍田が殺し合うには自分も相手もその気にならなければと冷ややかに笑う。
 だがスピーカーから流れる声はこのゲームから降りることは不可能だと言い切り、既に唱えた魔術にかかってしまっていると言うがそんなことどうでもいい。キッドでないと分かっているのにキッドのふりをされることに、いい加減とんだ茶番を見せられているようで不愉快だ。


『さぁ40年前と同じように、君達の中の誰かが悲鳴を上げたら知恵比べの始まりだ。いいかね?財宝を見つけた方は中央の塔の4階の部屋のパソコンに財宝の在り処を入力するのだ。約束通り、財宝の半分と脱出方法を教えよう』


 4階の部屋のパソコンというのは先程見て回ったあの部屋のことだろう。
 だがそれより、今何と言った。「誰かが悲鳴を上げたら知恵比べの始まりだ」。誰かが悲鳴を上げたら─── それは即ち、誰かが死んだらという意味か。

 ピンと張り詰めた空気の中、ふいに茂木が立ち上がって太い悲鳴を上げて苦しそうに喘ぐが、まぁあれは演技だ。思った通り茂木は「なーんてな」とけろっとした顔で笑うと、悪いが俺は降りるぜと言って席を立った。
 宝探しには興味がないらしいが、どうやってこの陸の孤島から逃げ出すと言うのか。しかし陸であるからこそ山の中を駆けずり回れば人里に下りることはできる。せめて携帯電話の電波が入る所にさえ行ければそれでいいだろう。


「じゃあアバヨ探偵諸君」


 扉のドアノブに手をかけて開け、茂木が立ち去ろうとした、その瞬間だった。


「─── グァアアアア!」


 太い絶叫と共に、喉を押さえて大上が床へ倒れ込む。
 演技ではない、正真正銘の断末魔の悲鳴に、誰もが目を瞠った。
 ひじりも同様だ。なぜ大上が、この舞台を仕組んだ者が被害者と成り得るのだ。

 もしや、大上以外に誰か、このゲームを仕組んだ者がいるのか。
 ならばそれは─── いったい、誰だ。






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