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ひじり君、今度の日曜日に子供達とスキーに行くんじゃが、黒羽君も誘って一緒に行かんか?」

「残念博士、その日は快斗とデートする約束なの」

「あら、どこ行くの?」

「なかなか洒落たプールバー…かな」





□ バスジャック 1 □





 デート、とは言ったが甘いものではない。
 開店前で人のいないブルーパロット店内で、ひじりと快斗はカウンターに置いたノートパソコンを2台といくつかの機械を前に真剣な顔をしていた。


「坊ちゃま、ひじりさん、初仕事の前に一杯どうぞ」


 やわらかな笑みと共に寺井に温かい紅茶を出され、2人はありがたく受け取った。
 そう、今回は本当はデートではなく仕事なのだ。キッドの仕事とも違い、これは初めて赤井達に要請されたFBIの仕事。
 新出に扮したベルモットが今日上野美術館へ行くという情報を入手したため、ジョディが偶然を装ってそれについて行き、さらにそのあとを赤井が尾行する。あわよくば標的─── ジンと遭遇することを狙ったものだ。そのサポートを赤井に頼まれ、2人はふたつ返事で引き受けた。

 ジョディの持ち前の強引さで一緒に行こうと迫れば、新出は断ることはできない。そして2人を尾行する赤井の顔は相手に割れているので、いつものニット帽と、ちょうど風邪をひいていることもあってマスクで隠した。髪も短くなっているし、これなら気づかれることはないだろう。


「ジョディさん、聞こえますか?」

『OK、感度良好よ。映像は大丈夫?』

「ええ、問題はありません」


 ヘッドセットをつけたひじりと快斗の前に置かれたパソコン画面には、ひじりの方には点滅がふたつある探知図が、快斗の方には外の映像がそれぞれ映されている。
 発信機は赤井とジョディの靴に仕込んだもので、映像は黒い上着に隠して縫いつけた小型カメラのものだ。
 ジョディが持つ実際にプレイ可能な小さな携帯ゲームに模されたものが通信機。これは電源を落とすと自動的に盗聴器へと切り替わるようになっている。


『それじゃ、これから接触するわね』


 返事を聞かずにジョディが通信機の電源を切った。前方には新出がいるのが画面に映っている。赤井も一応通信機を持っているが、それを使うのはジョディから離れたときだけ。
 暫くは様子見だ。気を張り続けても疲れるため、ひじりは紅茶を飲み干すと体を伸ばした。


「おかわりはいかが致しますか?」

「お願いします」


 返答を受けてポットを手にした寺井は、ひじりのことを詳しくは知らない。知らないままでいた方がいいというのは寺井談で、何も知らないからこそ私は何も語れないでしょうと笑った。
 寺井はただ、場所を提供しお茶を出して、たまに頼まれ事を聞いてひじりと快斗が動きやすくなるように場を整えるだけ。ただそれだけです、と経験を重ねた老人の顔で笑うから、それに甘えることにしている。


『あ!新出先生!』

『あれ?みんなも乗ってたのかい?』


 ヘッドセットから流れてくる音声に快斗が向かう画面の方に目をやれば、最初は新出の体で見えなかったが、ジョディが体をずらしたお陰で博士と子供達の姿が見えた。どうやら同じバスに乗り合ってしまったらしい。
 だが新出は哀には気づいていないようだし、スキーに行く彼らと目的地は違うのだから気にしなくともいいだろう。今朝赤いフードつきの上着を着せておいてよかったと心から思った。

 新出とジョディが並んでコナンの前の座席に座る。新出は窓側、ジョディは通路側だ。少し遅れて乗り込んだ赤井が一番後ろの座席へ向かって行くのがカメラの端に映る。
 寺井から紅茶のおかわりをもらって礼を言い、暫くはまた様子見かと思っていると、最後に乗り込んだ乗客が既にスキーウェアを着ているのが気になった。快斗が呆れたように頬杖をつく。


「気が早ぇーなこいつら、ゴーグルもつけてるなんて…」

『─── 騒ぐな!!騒ぐとぶっ殺すぞ!!!』

「!」



 耳朶を打ちつける大声に、ひじりと快斗の目が違う意味で鋭くなる。
 バスジャック。スキーウェアを着てゴーグルをつけている人間2人が、それぞれ運転手と乗客に向けて銃を向けている。乗客が悲鳴を上げると『聞こえねーのか!?』と男の1人が天井に向けて発砲した。

 まさかのトラブル発生に眉を寄せかけたが、ひじりはすぐに無表情に戻すと盗聴器の集音マイクの感度を限界まで上げた。
 バスの中にはジョディも赤井もいる。目立つと厄介だが、コナンもいるし何とかなるだろう。極力こちらからもサポートする。
 快斗が素早くキーを叩いて映像をズームさせ、バスジャック犯の顔を見る。しかし、やはりウェアとゴーグルが邪魔で判然としなかった。
 2人の男はバスを回送にさせ、バス会社から警察へ電話をかけさせると服役中の矢島やしま 邦男くにおを解放するよう要求した。


「ジイちゃん、矢島邦男って」

「先月、爆弾を作って宝石店を襲った強盗グループの1人ですな。捕まった矢島は主犯で、残りの仲間3人は未だ逃亡中とのことでしたが。それと、確か矢島は元宝石ブローカー」

「宝石には素人の3人が、奪った宝石を捌けずボスの奪還を試みたというところでしょうか」

「もしくは、ボスしか知らない宝石の保管場所を牢から出して聞き出そうってハラかな」


 乗客の携帯電話を集め始めた男達を見ながら、快斗とひじりがそれぞれ見解を述べる。
 しかしそれは置いといて、とりあえず中の様子を警察へ伝えなければ。
 だが矢島の残った仲間は3人のはず。男達は2人。もう1人はどこだ。


「警察…目暮警部へ伝えますか?」

「……いや。もう1人の仲間がどこにいるかも判らない今、無闇に動くのは危険だからもう少し待とう」


 快斗にひじりが首を振り、2人が真剣な顔で画面に目をやりながらヘッドセットから聞こえてくる音を聞いていると、一番後ろの席でガムを噛んでいた女が反抗的な態度を取ったために顔の横を撃たれて大人しくなった。そして男の1人をジョディが足をかけて転ばせ、早口の英語で謝りながら銃に手をかけているのを見て快斗が小さく笑みを浮かべる。
 画面に映る銃はトカレフ。男に気づかれないようジョディがセーフティをかけたから、これで隙ができる。流石はFBI捜査官。
 男は運転席の方へ歩いて行ったが、振り返って乗客を見張り、ふいに動き出すと迷うことなくジョディのもと─── 否、その後ろの座席に座るコナンへと向かって行った。


『何してんだこのガキ!!』


 何かしていたらしいコナンが怒鳴られ床に叩きつけられる。どうやらイヤリング型携帯電話で警察にでも連絡しようとしたようだ。
 しかし、なぜ男はコナンが不審な動きをしていると判ったのか。コナンは小さい子供の姿で座席に隠れて見えなかったはず。見えるとすれば一番後ろの座席だけ。そこには確か、赤井とガムを噛んでいた女、そして補聴器をつけているという老人が座っている。
 ならば赤井以外の2人のどちらかが、奴らの仲間か。


「…快斗、警察─── 目暮警部に連絡を。声は適当に変えて」

「はい」


 ひじりの指示に従い、快斗が適当な男の声に変えて警察へ電話をかけた。もちろん自分のものではない携帯電話を使って非通知で、だ。


「も、もしもし、警察ですか。わわわわたくし、今バスの中からこっそり電話をかけているのですが…め、目暮警部をお願いします」


 焦り怯えたふうを装いながら目暮へ正確に車内の状況を伝える快斗の横で、ひじりはじっとパソコン画面に目を落としていた。
 警察は乗客の命を最優先とし、とりあえずバスジャック犯の要求を呑むだろう。しかし、そのあとどうやって犯人達が逃げるつもりなのか。彼らの仲間の中には爆弾のプロが混じっているから、爆弾を盾に脅して警察を離れさせるつもりか、それとも。
 とにかく今は様子見を続けるしかない。一度電話を切りますと言って快斗が通話を終えた。


「ベルモットどころじゃなくなりましたね…」

「まぁ、計画にイレギュラーはつきもの。臨機応変にいこう」


 少し待つと、やはり警察は矢島を解放することに決めたようだ。
 電話を受けた男が1時間後に矢島本人に電話をするよう伝えさせ、矢島が安全な場所に逃げられたと確認できたらまず人質を3人解放させると続けて電話を切った。


「人質を3人解放…成程?その人質3人になりすましてとんずらこくつもりか」

「しかし坊ちゃま、解放された人質は警察が保護するでしょうし、たとえ逃げられたとしても、他の乗客が解放されて証言すれば、すぐに手配されると思いますが…」

「─── 解放するつもりが、ないのだとしたら?」


 画面に映る、男達が車内に縦にふたつ並べたスキー袋を見ながらひじりが言い、快斗が厳しい顔で頷いた。
 解放された人質のふりをしてバスを降りても、他の乗客に顔を見られては生かしておけないだろう。
 つまり、口封じのためにバスごと乗客を消すつもりなのだ。そうなればスキー袋の中身も自ずと想像がつく。
 即ち、爆弾。


「…オレ、目暮警部に電話します」

「お願い」


 犯人は3人。人質として解放されたとき、犯人は銃をバスの中に投げ捨てるだろうから、バスを発車させず、爆弾を起動させないように最初に出て来た3人を決してその場から離さないこと。そして、爆発物処理班を。


「人質になりすましてバスを降りるということは、もしや乗客の誰かに犯人の格好をさせるおつもりでは…!?」

「そうでしょうね。爆破後、バスの中から発見されたスキーウェアを着た人間が犯人だと思わせるために」


 寺井の驚愕に満ちた声に淡々とひじりが頷く。
 快斗が電話をして目暮に伝えている間、またスキー袋を探ろうとしたコナンの動きを犯人に伝えたようで、男の1人が銃をコナンの額に向けた。
 車内がピンと張り詰めたのが判る。だがふいにコナンと男との間に新出が飛び出して背に庇った。


『やめてください!ただの子供の悪戯じゃないですか!?それにあなた方の要求は通ったはず!ここで乗客を1人でも殺すと、計画通りにいかないんじゃないですか?』

『何だとこの青二才…』

『やめろ!』


 新出に銃口を向け直した男をもう1人の男が止める。
 こそりとアレに当たったらどーするんだと言ったのが聞こえたから、やはりスキー袋の中身は爆弾と見て間違いないだろう。
 もう1人の仲間はまだ判らないが、今判らずとも関係ない。警察には伝えて包囲させているし、バスジャック犯自身達が傍にいては、爆弾を起動させることはできないだろうから。






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