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 これ以上誤魔化すのは無理。快斗が新一のふりをするのも危険。
 半ば確信している蘭にバラすつもりは今のところないようだが、それでもこれからも黙ってい続けることはコナンにはできないだろう。


「快斗君。ひとつ貸してほしいものがあるんだけど」


 ある日阿笠邸に遊びに来た快斗に地下の研究室から出て来た哀は唐突にそう言い、だが快斗は不思議そうにしながらも快く頷いて何を貸してほしいのか問うと、哀は躊躇うことなく答えを口にした。


「拳銃」





□ 帝丹高校学園祭 1 □





 コナンの退院が2,3日後に迫った日の夜、哀は以前ひじりも借りた、マジック用の花が飛び出る拳銃を使ってコナンに釘を刺した。
 同時に出来上がったばかりの試作品を渡しコナンが元の体に戻っている間、哀がコナンのふりをするのでそのフォローをお願いと頼み、加えてさらりと自分も組織の元研究員なのだと快斗にバラし驚かせたことは余談である。

 そして帝丹高校学園祭2日目。
 新一と混同して騒がれないよう帽子をかぶって顔を隠した快斗と共に学園祭にやって来たひじりは、適当にひと通り回った後、和葉と合流し席を確保してから蘭と園子のもとへと赴いた。


「蘭、園子」

「どうも」

「らーんちゃん!」

ひじりお姉ちゃん、黒羽君、和葉ちゃん!」


 蘭が振り返り、和葉と話し始めたのを見て準備が進むステージを見回す。高校の学園祭にしてはなかなか本格的だ。快斗も同意見のようでへぇと小さく感嘆の声をもらした。
 和葉はどうやら平次に行くなと言われていたようだが結局来たようで、平次がいないことに園子が残念がって密かに狙ってたのにとこぼすが、ひじりは園子が最近色黒の王子様と仲良くやっていることを知っているからただのミーハー心だろう。

 そうこうしていると、小五郎とコナンがやって来た。
 しかしそのコナンの正体は哀である。コナンからも今日試作品を試してみると聞いていたので舞台上のどこかにいるはずだが、いったいどこにいるのだろう。


「蘭さん、ちょっといいですか?」


 最後の打ち合わせか、手首を捻り降板となった園子の代役である新出が現れて蘭に声をかけてきた。
 2人の邪魔をしないよう離れて見る。まじまじと新出を見てみれば顔が整っていることが判ったがひじりが興味を抱くことはなかった。


「じゃあ、ボク席で観てるから」


 ふいにコナンが踵を返し、それに続いて小五郎も席へ戻って行く。
 さて、とひじりが蘭に目を向ければコナンの背中を見ていた蘭が振り返り、照れたように胸の前で指を組んで瞼を下ろす。その手に自分の手を重ねて包みんだひじりは、額を蘭の頭に寄せて囁いた。


「蘭なら大丈夫。私がついているよ、ハート姫」

「…うん」


 きゃあ、と控えめにあちこちから歓声が上がる。しかしそんなこと気にせず蘭から体を離したひじりは、ひらりと園子に手を振って快斗の手を取ると踵を返した。
 後ろで園子が蘭に今のは何だずるいずるいと問い詰める声が聞こえる。快斗も気になるようで、ちらりと視線を向けられたので答えた。


「蘭が小さい頃からのおまじないだよ」

「おまじない?」

「そう。いつだったか、発表会前でひどく緊張していた蘭にああしてあげれば緊張がほぐれたみたいでね。それから何かあるたびにねだられて、いつの間にか恒例になったってわけ。……5年の空白はあったけど」

「へぇー…。……あの、それオレもしてほしいってお願いしたら、してくれます?」

「いいよ」


 キッドのとき、とは言われなかったが理解して了承すると、やったと快斗が嬉しそうに笑う。上機嫌で繋がれた手を揺らす快斗に目許を和らげ、先に座っていたコナンの隣に並んで腰を下ろした。

 やがて照明が落ち、劇が始まった。
 主役のハート姫こと蘭が出て来ると立ち上がって「待ってました大統領!」と歓声を上げ、ドッと沸く周囲の人間に自分の娘だと言い触らしていた小五郎とは他人のふりをする。

 練習の甲斐あってか蘭は上手く役をこなし、やがて物語は佳境に入った。確かそろそろ黒衣の騎士の登場シーンのはずである。
 劇に感情移入しすぎた和葉が、蘭演じるハート姫が危険な目に遭うシーンで空手で叩きのめせと叫んでいたのでやはり他人のふりをした。快斗は他人のふりをしつつ喉を鳴らして楽しそうに笑っていたが。

 外野は放って物語は進み、ふいに鴉の羽が舞って突如現れた黒衣の騎士がハート姫の危機を救った。その登場シーンに歓声が上がる。
 ハート姫が台本通りに黒衣の騎士へ素顔を晒すよう願う台詞を口にすると、黒衣の騎士はそれを遮るようにしてハート姫を抱きしめ、おや、とひじりが目を瞬いた。


(……台本と違う…直前で差し替えたのかな?)


 しかし蘭も戸惑っているように見えてさらに疑問に思うと、ふいにひじりのふたつ横、快斗の隣に誰かがどっかりと腰を下ろして思考が中断された。
 深くかぶった帽子から黒髪が覗いている。しかし早々に興味を失くしたひじりは視線を外して舞台へと戻した。
 蘭はそのまま劇を続け、黒衣の騎士とのキスシーンに差し迫っていて、観客の殆どは期待に目を輝かせていた。若干1名、娘の唇の危機に色めき立つ小五郎を除いて。


「─── キャアァア!!!」

「!!」


 だが蘭と黒衣の騎士の唇が触れる前に轟いた甲高い悲鳴に、快斗はひじりを庇うようにして立つと悲鳴のもとへと素早く視線を走らせた。
 同じく周囲の人間もざわつき出す。誰か、人が、救急車、警察。様々な声が飛び交い、小五郎がいち早く飛び出して行く。少しして、小五郎の怒声に似た「警察を呼べ!」という声が響いた。誰か殺されたと見て間違いないだろう。
 ざわざわと観客が騒ぎ出し野次馬となる中、劇も中断となり、慌てて蘭と黒衣の騎士がステージから降りて来ていた。






 やがて警察が到着し、目暮が警官に指示を出して体育館の出入口を塞ぐ。
 亡くなったのは蒲田かまた 耕平こうへいという男のようで、ひじりと快斗が目暮の傍に寄ると蘭がいて、その隣に黒衣の騎士がいた。
 確か中身は新出のはずだが、近くで黒衣の騎士を見たひじりはふと違和感を覚えた。
 身長、体型、そして纏う雰囲気。新出という男のことをひじりは詳しく知らないが、少なくともあの黒衣の騎士はどこか懐かしい気がするような。


ひじりさん?」


 快斗に声をかけられ、何でもないと言って黒衣の騎士から視線を外して目暮達に戻す。すると黒衣の騎士をじっと見ているうちに、気づけば誰か─── 先程快斗の横に座っていた男が死体を覗きこんでいた。
 男は蒲田の死因は青酸カリだと断定し、その理由をぺらぺら喋る声を聞いて快斗が目を瞠る。


「あれって…」

「……服部君?」


 お互い顔を見合わせ、もう一度帽子をかぶった男を見る。
 肌の色は白いが少し変えている声色はキッドのように完璧に変えきれてはいないし、関西弁はそのままだ。


「……まさかあいつ、工藤のふりをしてるんじゃねーだろーな」


 呆れたように快斗がぼそりと呟く。キッドでもある快斗からすれば、新一のふりをしているのだとしたら平次の変装はお粗末なことこの上ないのだろう。
 蒲田の死因を断定した男を小五郎が事件当時蒲田の傍にいたのではないかと訊くと、男はちゃうちゃうと否定して辺りを見回し、快斗を指差した。


「あいつやあいつ!あの帽子かぶった奴の傍にちゃーんと座ってたで」


 ざっと視線が集中し、慌てて快斗が帽子を深くかぶって頷く。目暮と小五郎がすぐに男へ視線を戻したことで早々に視線は外れた。
 目暮が胡乱げに「何なんだね君は?」と男へ問いかけると、相変わらずの関西弁で久しぶりに帰って来たというのにつれないと言いながら蘭を軽く振り返り、帽子のつばに指をかけて取りその顔をあらわにした。


「オレやオレ─── 工藤新一や!」

「工藤のふりするならせめて眉を剃れ…!!」

「落ち着いて快斗」



 頭を抱えながらダメ出しをする快斗の背を軽く叩き、まだまだダメ出し足りないもののぐっと言葉を呑み込んだ快斗は深くため息をついた。
 ざわりと周囲がどよめいたのは、工藤新一と名乗った男が新一でないとすぐに気づいたからだろう。
 眼鏡のボウズに電話もろて劇を観に来たったんやと笑顔で言うが、だから新一は関西弁は話さないしそんな気安い笑顔を向けない。
 まぁどうせすぐにバレるし和葉もいるし、とひじりが完全に傍観を決め込んでいると、予想通り和葉がすぐに新一のふりをした平次に「何してんの?」と声をかけた。
 髪型変えてパウダー塗っての変装を見破られているというのに往生際悪く認めない平次にとうとう「何の冗談だって言ってんだよ!?」と小五郎と目暮がキレ、半眼無表情になった快斗が平次にべしっとハンカチを投げつければ平次は乾いた笑いを浮かべて髪型を戻し顔のパウダーを拭った。


「そやそや冗談や!工藤のカッコしてみんなを驚かそ思ててんけど、やっぱりバレてしもうたか!」

「…ったく、何なんだお前は?」


 小五郎が呆れ、平次が恨みがましげに和葉を睨むが和葉がいなくてもすぐに気づかれたと思う。
 茶番を終え、咳払いをして目暮が捜査を再開する。小五郎だけならともかく、平次もいるのだから事件はすぐに解決するだろう。

 だがそんなことよりも、どこかにいるはずの新一が、まさか表舞台に出て来るのではないかとひじりは懸念した。
 今回ばかりはじっとしていてほしいと心底思うものの、あのホームズ推理バカが大人しくしているはずもないことは、5年の空白があるとはいえ幼馴染のひじりがよく知っていた。






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