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帝丹高校の学園祭が2週間後に迫ったある日、快斗はたまたま阿笠邸に遊びに来たコナンをジト目で睨むように見ていた。
それにコナンが頬を引き攣らせ、いつもより子供っぽさを出して首を傾げる。快斗の眉間にしわが1本さらに刻まれた。
「ボ、ボクの顔に何かついてる?快斗兄ちゃん」
「…………別に?」
小さな笑みを形だけ浮かべる快斗に慌てて背を向け博士のもとへと走る小さな背中を見ていた快斗は、いい加減コナンに正体を知っているのだと言った方が楽かなぁとため息をついた。
□ 命がけの復活 1 □
家の風呂が壊れて湯が出ないので借りに来た蘭と、風呂ついでに週末のキャンプの打ち合わせに来たコナンを出迎え、先にコナンを放り込んで学園祭で蘭が行う劇の練習に付き合った
ひじりは、風呂から上がったコナンに麦茶を出し、蘭が入れ替わりで風呂へ向かったのを見送った。
蘭が完全に見えなくなって、麦茶を飲みながらコナンが呟く。
「なーんか最近変なんだよな、蘭の奴…」
唐突な言葉に、それは以前セーターを隠れて編んでいたからじゃろうと博士は言うが、コナンはそれだけじゃないような気がする、と否定する。
当然どういうことだと博士が問い、時々感じる蘭の視線や態度が小学一年生の子供に向けるものではないとコナンは答えた。それはつまり、コナンが新一だと蘭が勘付いているかもしれないということ。
「そういや、黒羽もだな。なぁ
ひじり、もしかしてあいつ、気づいてんのか?」
「新一と直接会ったことは1回だけだから確証はないって言ってたけど、少なくともただの小学一年生でないことはバレてるよ」
肩をすくめて淡々と返せば、コナンはげっと顔を歪める。私は一応知らないふりをしてるけどね、と付け加えたが聞いていないだろう。
というか快斗は、キッドのときに気づいたからコナンが新一だと知っている。だがあくまで知っているのは“キッド”。“快斗”は知らないはずで、知ってて知らないふりをするのはつらいともらされたのは最近のことだ。
なぜならコナン、あまり子供らしく振る舞わないのだ。子供達は慣れて違和感を覚えないのだろうが、素だったり子供のふりだったりの差が大きくて騙すつもりがないのかと快斗は頭を抱えている。いい加減お前の正体知ってんだけど、とバラしたいらしい。
「服部君にはバレてるんだから、快斗にも言えば?」
「バーロ。あいつは探偵じゃねーだろ」
「快斗は新一とそっくりだから、正体バラして頼めば新一のふりしてくれるんじゃない?」
ひじりの言葉にコナンは一理あると真剣に考えるが、探偵でもないただの一般人を巻き込むのはどうかと思ったのか、やっぱりダメだと首を振った。
「蘭に関しては気のせいだと思うんだけどよ…」
とりあえず快斗のことは横に置いておくとして、楽観的なことを呟くコナンの後ろを自室から出て来た哀が通りがかった。
「バレてんじゃないの?あなたの正体」
大きくはない声だったが、コナンの動きを静止させるのには十分な威力があったようだ。固まるコナンをよそに、哀は朝まで地下室でやることがあるから邪魔しないでねと言い残して階段を降りて行った。
解毒剤の研究だろう。確か、もう少しで試作品くらいはできると言っていた。
ひじりが先に白乾児の成分解析をしていたお陰らしい。
「哀、後でコーヒーか紅茶持って行くけど、どっちがいい?」
「コーヒー。それと、サンドイッチを夜食にお願い」
「分かった」
下から返って来た声に頷き、コーヒーを淹れるためキッチンへ入る。
準備をして湯が沸いた頃には蘭も風呂から上がっていた。
蘭は哀に挨拶したいらしく、博士に哀の居場所を聞くと地下室へ降りて行き、慌ててコナンと博士が追う。
(哀がちゃんと挨拶するかな……しないよなぁ)
人見知りにも近いが、哀は基本的に他人と関わろうとしない。見た目はともかく中身はもう子供ではないのだし、哀の気持ちも分かる
ひじりが横から指摘するのもどうかと思うのでそれについては一切窘めたりはせず、哀自身に任せている。
蘭も哀もどちらも大切であることには変わりないため仲良くしてくれれば嬉しいが、無理やり引き合わせるものでもない。
コーヒーを淹れ盆に載せると蘭達が戻って来た。すぐに戻って来たから、予想通り哀はつれない態度を取ったのだろう。
「あ、
ひじりお姉ちゃん!後でまた練習付き合って!」
「いいよ。ちょっと待ってて、哀にコーヒー届けて来るから」
蘭をソファに座らせて待たせ、階段を降りて地下室へ入る。こちらを振り返ることもせずパソコンの画面に目をやっていた哀は、
ひじりがコーヒーを置くとちらりと見上げてキーボードを打つ手を止めた。
「今度のキャンプ、快斗君も来るの?」
「うん。短いけどマジックショーもやるから楽しみにしててって言ってた」
「それは楽しみね」
哀はそれなりに快斗のマジックが好きなようで、素直に微笑むとコーヒーをすする。
パソコンの画面を覗きこみ、やはり例の薬の解毒薬データが表示されているのを見て、進境はどうかと問えば悪くないと返された。
「調合はもうすぐできそうよ。けど、それが本当に効くのか、持続時間はどれだけなのか、実際に試してみないと判らない」
それに最悪死ぬかもしれないしね、と物騒な言葉を残し、カップを置いた哀は再び画面に向き合って指を躍らせた。
試作品を実際に飲むかどうかはコナン次第だが、間違いなく飲む方を選ぶだろう。
蘭はコナンの正体に勘付いている。正体をバレさせないためにも、元の体に戻る可能性に賭けるはずだ。
「手伝う?」
「いいわよ、あなたも最近何かと忙しいんでしょう?」
博士の研究手伝いに、家事を始め、赤井との鍛練や日本へ来たジョディのフォローで確かに最近忙しく外出が多い。
何かと理由をつけて博士や哀には黙って出ているが、哀には気づかれているだろうと予想していた通り哀は見抜いていて、けれど何も訊かず誰にも言わずに気を遣ってくれる。
「あなたが何をしようとしてるのか、何をしているのかは知らないけど、少なくとも私に害が及ぶものではない。そうでしょ?」
「随分信用されてる」
「何言ってるの。
ひじりが私に言ったのよ、『幸せになってほしい』って」
こちらを振り向きもせず言い切った哀に、敵わないと小さく感嘆の息をつく。
ひじりが出掛けているのは哀のためではなくあくまで自分のためだが、確かに哀に危険が及ばないようにもしている。
だが、ジンを前に阻んでくる可能性があるのがベルモット。組織内で“あの方”と呼ばれるトップのお気に入りで能力も高い。“宮野志保”は遠くへ逃げたということにしているが、哀の存在に勘付かれる可能性がある。FBIも本格的に動き出し始めるし、何事もなくというのは無理だろう。
哀にもつらい目に遭ってもらうかもしれない。それでも
ひじりは、自分が言ったことを撤回はしなかった。
「私のことはいいのよ。それより快斗君の方を大切にするのね。何も知らないんでしょう、彼」
「うん……大切にするよ。快斗がいなくちゃ、私が今生きている意味がない」
快斗と共に生きたいと願ってしまったから、こうして
ひじりは檻の外で生きている。
ひじりは頑張ってと哀に言い残して地下室を出ると階段を上がり、ソファで待っていた蘭へ声をかけた。
「お待たせ、蘭」
「ううん。そういえば
ひじりお姉ちゃん、哀ちゃんとすごく仲良しだよね。ちょっと羨ましい」
「女同士で同室だから、お互い遠慮がない分ね。じゃあ蘭、始めようか」
「うん!」
蘭が持って来ていた台本を受け取り、騎士役のため顔を隠すべく穴のあいた紙袋を手に取りかぶった。肌に触る紙の感触は決して気持ち良いものではないが、わざわざ不満をもらすほどでもない。
「明日朝練で早く寝なきゃだから、見せ場だけもう1回お願い!」
「そうなの?だったら先に付き合ったのに」
「わたしからお願いするのに悪いよ~。あ、じゃあまた何度か練習に付き合ってくれる?」
「もちろん」
快く頷くと、やった!と蘭が跳ねて喜び、気を取り直して台本をめくる。
一度深呼吸をして表情を切り替えた蘭に
ひじりも改めて役を意識した。
「一度ならず二度までも…私をお助けになるあなたは一体誰なのです…?ああ、黒衣を纏った名もなき騎士殿。私の願いを叶えていただけるのなら、どうかその漆黒の仮面をお取りになって素顔を私に…」
「おお、それが姫のお望みとあらば。醜き傷を負いしこの顔、月明かりの下に晒しましょう」
言い、袋を取るとじっと蘭の目を見て見下ろす。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……蘭、次の台詞」
「あっ、ああ!いけない、
ひじりお姉ちゃんにまた見惚れてた…!」
悔しそうに拳を握って蘭が項垂れるのも、これで三度目だ。
多少見惚れて間をあけるというのもアドリブ的にアリだが、そのまま台詞を忘れられては困る。
「ギャップが…!ギャップがいけないんだわ!パン屋の袋からお父さんが出て来るならまだしも、
ひじりお姉ちゃんよ…!?パン屋の袋だもの、どうせあの下には大したものがないんだって思ってたら、まさかの
ひじりお姉ちゃんよ…!?」
「実の父親を軽く貶してることに気づいて蘭」
冷静に
ひじりが突っ込むが、蘭は聞いちゃいなかった。
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