快斗の都合もあるということで、デートの約束は出会った日の翌々週ということになった。
 だがその間、回数はそんなに多くはないもののメールは交わし、平日は学校帰りに図書館まで来た快斗と短いながらも談笑に興じ、たまに長く一緒に勉強して、合間にマジックを見て、家まで送ると譲らないので近くまでお願いして「また明日」と別れる日々を繰り返した。
 ちなみに、マフラーと手袋は翌日に図書館へ走って来たらしい快斗に返した。そのお礼も、と言えば「考えとく」と笑って言われ、借りを作る一方だなとひじりは思う。


「……何かオメー、最近楽しそうだな」

「そう見える?」


 新一と向かい合いながら夕食の席についていると唐突にそう言い出した新一は、首を傾げたひじりに頷き、でもいいことだなとほのかな笑みを見せる。
 快斗とは違う、けれど似た顔にそうかもしれないと内心で頷く。出会ったばかりだけど、楽しいのだ。彼のマジックも色んな知識もくるくる回る表情も時折見せる大人びたキザな顔も。どうしてだか自分になついてくれる快斗を、可愛いと思う。


「そうだ新一、私明日デートするから出掛けるね」

「はあっ!?」





□ 人形が見る夢 9 □





「誰だ!?どこのどいつだ!?男か!?」


 イスから立ち上がって問い詰めてきた新一に「公園で出会ったマジックの上手な男子高校生」と隠さず返したひじりは、いきなりデートだなんて危ないだろう男は狼なんだぞ!と心配で怒鳴られたが、新一に似てるし気遣いのできるいい子だよと聞かず頭を抱えられた。
 ひじりを心配して反対したいが、けれどせっかく帰って来たのに家に閉じ込めるのも気が引ける。そう苦い顔で悩んでいる新一の隙をついてひじりは説得した。
 曰く、


「新一に似てすごく優しいから、大丈夫」


 ものすごく物言いたげに口を開閉されたが、結局新一に絶大な信頼を寄せるひじりの言葉に負け、深い深いため息を吐いて渋々腰を下ろした。
 行き先は必ず知らせること、陽が暮れる前に帰ってくること、まかり間違っても相手の家に行かないこと、そして何かあったら必ずメールか電話をすることを固く約束させ、そうしてひじりは部活に行った新一にメールで行ってきますと知らせて家を出、待ち合わせの駅前に向かっている。

 首に巻いた白いやわらかなマフラーに顔をうずめながら、心配性なのは仕方ないにしても扱いが相変わらずちょろいなと黒いことを内心で呟く。
 押して聞かずしてそれはあなたを信頼しているからだと言えば、新一は結構簡単に折れる。まあそれも、同じように自分を信頼し好いてくれているからなので仕方ない。


ひじりさん!」

「快斗…早いね。待たせた?」

「いえ、大丈夫です」


 ぼんやりしていれば飛んできた声に意識を戻し、ぶんぶん大きく手を振る快斗に足早に歩み寄った。
 快斗はにこにこと笑みを絶やさぬまま「寒くないですか?」と気遣ってくれ、それに首を振って大丈夫と答えて歩き出した快斗の隣に並ぶ。


「それで、今日はデパートのショーを見るんだっけ」

「はい。なかなか有名なマジシャンも来るみたいですし、楽しめると思いますよ」

「それは楽しみ。でも、私は快斗のマジックも結構好きだよ」

「ありがとうございます…今度飛びっきりの、見せますね」


 照れて少し顔を赤くしながらも笑顔で言った快斗に、うんと頷く。
 ふいに強い風が吹いて腰よりも長い黒髪が煽られ、ひじりは流れてきた髪を雑に後ろへ払った。
 長いこの髪には、思い入れがあるわけではない。“人形”の証であるように伸ばされていただけだ。


ひじりさん、こっち」

「デパートは隣のじゃ…」

「こっちから連絡通路を通って行けるんです。寒いし風も出てきたから」


 目的のデパートは大きく、隣接したそれもまた大きい。なので結構な距離を歩くことになる。
 快斗は隣接するデパートの端の扉を開けてひじりを促した。レディファーストです、と茶目っけを出して言うが所作は違和感なく自然で、ひじりは礼を言って中に入った。続いて快斗が入る。
 新一と蘭と以前ショッピングで出掛けたが、このデパートには初めて入る。どこへ行けばいいのかも分からずにいれば快斗に声をかけられ、迷わず目的地に向かう彼に続いた。


「ショーまで少し時間がありますし、買い物でもします?」

「ああ…ごめん、私ちょっと体力なくて、あんまり長くうろつけない」

「そうですか、気づかずすみません。じゃあ少し見て時間までカフェにいましょう」


 にこりと、快斗はひじりの言葉に面倒そうな顔ひとつせず笑ってそう提案されて頷き、せっかくのデートなのに満足に付き合えず悪いなと無表情の下で思っていれば「オレがそうしたいんです」と何とも絶妙なタイミングで言葉が続き、思わず足を止めて快斗を見つめた。


「……」

ひじりさん?」

「……今、心読まれたかと思った」

「え?」

「満足なデートができなくて悪いなって思ったから」


 言えば、ぽかんと口を開けたままだった快斗はみるみる笑みを広げていく。喜色満面と言っていいその笑顔を浮かべ、はっと我に返って姿勢を正すと笑みを引き締めた。
 変な表現だが、犬にたとえれば、背筋を真っ直ぐ伸ばしてお座りしながらもぶんぶん尻尾を振っているかのようなそれだ。
 そんな少々失礼なことをひじりが考えているとは露知らず、快斗は少しだけ笑みを緩めた。


「以心伝心、ですね」

「そうかな」

「そうですよ」

「じゃあ、そうなんだろうね」


 表情から読み取ったわけではないだろうから快斗の言葉を否定する材料もないため、肯定して受け入れたひじりは行こうと快斗を促す。止めていた足を進め、2人はまた歩き出した。


「……オレ、本当はひじりさんとだったら何だっていいんです」


 ふいにぽつりと快斗がこぼす。見上げれば快斗は前を見たままで、だが浮かんだ笑みは確かにひじりに向けられていると判る。


ひじりさんといられれば、それでいいんです。だから、悪いなとか思わないでください。オレはひじりさんと一緒にいるだけで、嬉しいんですから」

「……君は正直だね。そしてとても素直だ」

「ひと目惚れ、かもしれません」


 小さく、だがはっきりと紡がれた言葉と共に、細められた瞳が降る。
 浮かぶ熱に子供のような無邪気さと大人の欲が入り混じったアンバランスなそれに、そう、と短く返す。
 ここまで言われて、ひじりは鈍くないしさすがに気づく。だがそれに応える気はあるのか、答えは――― 「ない」、だ。

 良い子だと思う。気遣いができて、正直で、素直で。優しくて、たまにキザで。
 出会ったばかりで短い付き合いでしかないけれど、長く一緒にいればじわりと滲ませるように感情を表に出させてくれるだろう。“人形”を、“人間”にしてくれるだろう。それはきっと喜ぶべきことで、けれどそれはこの首にはめた首輪を外すということ。
 それはまだ、できない。ひじりはまだ自分ではめた首輪を外せない。けれど今、快斗の隣から消えることも、どうしてだか選べなかった。


「いいんです」


 ふ、と意識が戻る。快斗は穏やかな笑みを浮かべていた。


「オレはひじりさんといられれば、それでいいんです。何も言わなくていい。どこに行ったっていい。ただあなたの中に、できればその隣に、オレがいたいだけで。ただあなたを想うこと。それを許してくれるだけで、いいんです」

「……快斗は」


 ――― 何を、知っているのだろう。
 ひじりは何も言っていない。“5年前の事件”の被害者であることも当然言っていない。新聞に名前は載らなかったから、ひじりが学校に行っておらず、今になって取り戻そうとしていることくらいしか、知らないはずだ。
 だというのに、快斗は全てを悟っているような目でひじりを見て泣き笑いのような色を浮かべ、いいんです、と繰り返す。
 そうして、2人はいつの間にか足を止めて見つめ合う。雑踏の中立ち止まった2人を気にする人間はいない。精々痴話喧嘩かと一瞥をやって流れていくだけだ。
 ざわざわと人でざわめくその中で、快斗はしかとひじりを見て、また笑う。


「オレは何も知りません。ひじりさんのことを、何も。ただあなたに恋をして、勝手に告げて、許してほしがってる馬鹿な男なだけ」

「……快斗は、ずるいね」


 雑踏の中、2人の会話は流れていく。ひじりが呟いた言葉に、快斗は物分かりのいい子供のように唇を笑みの形に歪めた。


(けど、一番ずるいのは私自身だ)


 “人形”のまま、“人間”へ還ることができずにいるのだから。流されるまま取り巻かれるまま、生きているのだから。
 快斗は一度俯くと、顔を上げて歪んだ笑みを元の形に整えた。すみません、と申し訳なさそうに目を伏せる。かと思えば、ふいに口の端を吊り上げて悪戯気に笑う。その瞳には確固たる意志の光が鋭く宿っていた。


「けどオレ、諦めませんから」

「え?」

「いつかひじりさんから手を伸ばしてもらえるよう、頑張ります」


 頑張るって、一体何を。
 快斗の笑みが歳相応の少年らしい笑みに変わり、どこかすっきりした様子でひじりの顔を覗きこんできた。


「でもひじりさんがどうしても嫌なら、仕方ないですけど諦めます」

「……別に、嫌じゃないよ」

「よかった!じゃあデートの続き、行きましょう」


 跳ねるように歩き出した快斗に続きながら、ひじりは自分のずるさを思い知る。
 首輪がはまった“人形”のままでいる自分を自覚しながら、何も言わなくていいと言った快斗の優しさに甘えている。
 好きか、嫌いか。答えは「好き」だが、快斗の想う「好き」とは違うことは分かっている。
 快斗のことを思うならきっと突き放すべきで、あるいはきっぱりと断るべきだと分かっている。
 それでも、快斗が許してほしいと言って笑うから、ひじりは許してしまう。その笑顔を受け入れきれないのに、諦めないと言われて確かに安堵したのだ。

 なぜ。どうして。
 快斗は何を知っている?私はどうして拒めない?
 分からない。けれどそれを気持ち悪いとは思わない。伸ばされた手に触れた。ただ、それだけだ。


ひじりさん、アイスクリーム好きですか?」


 楽しそうに笑う快斗にひとつ頷いて、快斗は私が“人形”だと知ったらどんな顔をするだろうかとふと思った。
 5年間に何があったのか、それを知れば、離れていくのだろうか。伸ばされた手は引っ込められるのだろうか。自分を見る目は、そらされるのだろうか。向けた感情を、厭わしく思うだろうか。
 そんなとりとめのないことが思い浮かんでは消え、喉の奥に苦味を覚えた。


『友好関係には気をつけることだな』


 赤井の忠告が蘇る。ああ、初めにちゃんと聞いておけばよかった。
 けれど後悔はないし、きっとあの公園まで戻れたとしても同じ道を辿っただろうから、流されるまま流れてみようかと、ひじりは考えることをやめた。






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