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「…今日?」
「ああ、今夜!実は前から目暮警部にお願いしててよ、どうせなら
ひじりもどうかって…」
「……その目暮警部から連絡が来たのはいつ?」
「え?…あっ……い、1週間前…くらい?」
「それで、私のことはもちろん事前に連絡しといたんだよね?」
「…………」
「新一、そこに座りなさい」
「はい」
□ 人形が見る夢 6 □
まさかと危惧した通りだった新一をカーペットの上に正座させた
ひじりは、目暮警部に伺いを立てなかったこと、今日になってそういえばと思い出し唐突に誘ってしまった迂闊さを軽く説教し、しかし
ひじりのことを思っての行動だったと分かっていたので説教のあとに「ありがとう」とアメをやった。
だがぱっと顔を上げて「それじゃあ!」と期待に目を輝かせる新一に
ひじりは首を振り、夕食のあとしょんぼりと肩を落としたまま玄関を出るその背を押して見送った。
「さて」
誰もいなくなった家のリビングに戻り、夕食の片づけをしたあと暫くしてテレビの電源を入れる。適当に合わせたチャンネルはニュースを流しており、朝から話題の怪盗キッドにも触れた。
ひじりは新聞のテレビ欄を見てキッドを映すらしいチャンネルに合わせるとテーブルにリモコンを置いた。するとふいにピリリとテーブルの上に置いていた携帯電話が鳴り、テレビから目を離して手に取れば「Call...工藤新一」の文字。
「はい」
『
ひじり、オレ今からヘリ乗るから』
「そう。私は会ったことないけど、目暮警部に迷惑かけないように」
『わーってるって!そうそう、あとでヘリからの写真見せてやっからな!』
「ありがとう。でも、私より蘭に見せた方がずっと喜ぶと思うよ」
『なななな何で蘭が出てくんだよ!』
新一の気遣いに礼を言って幼馴染の名前を出せば簡単に狼狽えられて、小さく『工藤君?』と年嵩の男の声が聞こえてきた。この声の主が目暮警部だろう。
目暮警部の訝しげな声に新一は『な、何でもありません』と、慌てて平常心を取り戻しながら取り繕う。それを聞いて、
ひじりは通常のニュースを流し始めたテレビを見ながら目を細めた。
「何だ、やっぱりか」
『……オメー、もしかしてカマかけやがったな?』
「今ので確信した。青春だね、青少年」
『……うるせーよ』
淡々としていながらもからかうような声音に、電話の向こうから小さな悪態が返される。
1週間が経ち、
ひじりは表情こそないものの性根は大して変わらずにいたのだと新一は数日で気づいていた。
誘拐され大きな傷を負ったのだろうとそれこそ壊れものに触れるような態度だったが、
ひじりがこうして昔のままの顔を覗かせれば、新一達も相応の態度に戻し、今のように悪態もつくようにもなった。
それが嬉しいと、誰もが口にせず顔に滲ませるから、「ただいま」と言えない
ひじりは少しだけ、後ろめたいような感情が湧く。だがそれを自覚する前に目を逸らし、携帯電話を通して聞こえてくる声に意識を戻した。
『ん?……はい、はい…ええ、いいですけど』
少し声が遠くなり、推測するに何か電話の向こうで話があるらしい。何か頼まれでもしたのか。話の邪魔になるなら切ろうかと
ひじりが思ったとき、会話が終わったようで新一の声が戻って来た。
『ああ、悪い』
「ううん。頼まれ事?」
『まあな。何か、今夜泥棒が出るらしくてよ。それの手伝い頼めないかって』
「……それ」
最近、新一が警察から事件捜査の協力要請を受けることがあると知っているのでそこには驚かず、彼の口から出た「今夜出るらしい泥棒」について軽く目を瞬く。
『何か、そういや今朝の新聞で言ってたような…。興味ねーけど貸しを作っとくのも悪くねーし、そんなわけでそっちの協力するようになったから、帰って来んの少し遅くなる』
「分かった」
本人が言うようにとことん泥棒には興味がないらしく、気が乗らない様子だが軽く仕事を終わらせてくるとでも言いたげだ。
戸締りしっかりしておくんだぞ!と言い残した新一が
ひじりの返事を受けて電話を切り、通話が終わる。携帯電話から耳を離してテーブルに戻し、再び怪盗キッドについて触れるニュース番組に意識を向けた。
「……今夜は厄介かもしれませんね、怪盗さん」
ぽつりと呟き、予告時間まで後10分!と画面の左端に表示された文字を見る。
キッドの手腕は語り聞く程度。新一の実力も同様。けれど対峙すれば、キッドは今までのように簡単にはいかないだろう。
イスに座りテレビに目を向ければ野次馬が映る。殆どがキッドを支持する――― というか楽しむ者で、そういえば最近女性のファンも増えているとか何とか。
聞く限りでは、キッドは派手に犯行を繰り返しては盗んだ宝石は「目当てのものではない」と持ち主に返しているようで、そのエンターテイナー性に魅せられ、退屈を持て余した者が沸き立っている。大多数の人間は非日常を求めるものだ。
ひじりはその辺については興味がないので野次馬達を流し見しつつ、今夜の獲物らしい時計台を頬杖つきながら眺めた。
江古田にある古いそれは、長い間荘厳な鐘の音を響かせていたが、近々テーマパークに移築されるらしい。
ひじりにとって時計台はさして思い入れがあるわけではない。江古田周辺に足を伸ばしたとき時に鐘の音を聴くことはあったが、キッドに盗まないでほしいと願うほどではなく、また移築されるくらいならキッドに盗んでほしいと思うほどでもない。
どうやらキッドは、時計台そのものではなく時計の針に埋めこまれたダイヤが狙いのようだとアナウンサーが話す。確かにあんなに大きいもの、さすがのキッドでもぽんと消すことはできないだろう。
『もうすぐ犯行予告の時間です。果たしてキッドは現れるのでしょうか!』
アナウンサーがやや興奮した様子で現場の映像を見つめている。
カチカチと壁にかかった時計が時を刻む。ちらりとそれを見た
ひじりは、ダイヤか、と心の中で呟いた。
果たしてキッドは、本当にダイヤが欲しいがために今夜現れるのか。ぼんやりとした自問を肯定しなかったが、否定もしきれずにいた。
(……ん?)
ニュースが終わり、「怪盗キッド現る!」と題打った番組に切り替わって現場のライブ映像が流れる。野次馬を映していたカメラは時計台に向けられ、そこに一機、ヘリが増えた。それには番組の誰も突っ込まなかったが、再び時計台の時計へとズームしてヘリが見えなくなるまで
ひじりはヘリを目で追い、ついと目を細める。
(まさかあのヘリに、新一が?)
おそらく
ひじりの予想は外れていない。ということは、もしかしたら既にキッドは現れ、対決は始まっているのかもしれなかった。
テレビ画面越しでは内部の様子までは判らない。カメラも時計台に集中していて、野次馬のキッドコールが小さく聞こえた。
やはり、行けばよかっただろうか。もしくは、新一の誘いに乗って迷惑を承知で頷けばよかったか。ちろりとそんな思いが脳裏を掠めるが、すぐに掻き消した。行ったところで何になろうか。
ひじりはテレビから視線を落とし、その闇のような目を伏せた。
ボーン ボーン ボーン
唐突に響き渡った音に、
ひじりははっと我に返って顔を上げた。リビングにある時計から時刻分だけの音が鳴っていて、テレビの向こうの時計から聞こえてくる鐘の音が重なる。
『予告時間になりました!果たして、果たしてキッドは……、
な、何だ!?』
リポーターが驚いた声を上げる。カメラが焦点を合わせた時計台の下から、突然もくもくと煙が上がってきたのだ。
発生源は工事中の足場だろう。前もってそこに何らかの仕掛けでもしていたのか。
『これは、キッドの仕業でしょうか!何も…煙で時計台が見えません!』
煙幕は完全に時計台を覆い、誰の目にも触れさせないように隠す。しかし、煙はすぐに晴れた。だが、その僅かな時間で十分だったのだろう。
ひじりは覆いをなくした時計台を見て目を瞬く。時計が、いや、その針が。
『な、何という…!ご覧ください、時計の針が消えています!
怪盗キッドが、盗んでしまいました!』
驚愕の中に興奮を隠しきれない声が滲んでいるのを読み取って、
ひじりは細く息を吐いた。
成程、これは――― 世間が騒ぐわけだ。どこかズレたところに感心する。そうして見事に消えた時計の文字盤を見つめ、ふと、
ひじりは無表情に眉をひそめた。
(文字盤が…揺れてる…?)
ヘリが時計台に近づき、その風の煽りに一層揺れが強くなったのを見て、成程、とトリックを見破る。
煙幕と共に文字盤を照らすライトを切り、あらかじめ用意していたスクリーンで文字盤を覆った後、そこに足場にでも設置していた映写機で針のない文字盤を映しているのだろう。
単純ではあるが、それを大胆にしてみせ見事に騙した。すぐ気づかれるものだが、針のダイヤを取る時間くらいは余裕で稼げる。
ひじりが小さく息をつけばリポーターや野次馬も気づいたようで、ざわめきがこちらまで届いてきた。
更に一体何が起こったのか、どうやらスクリーンを張る糸が切れたようで揺れは大きくなる。ダイヤを盗ったキッドが切ったのか。それともヘリが――― 新一が、何かを?
ヘリより時計台に焦点が大きく当てられているのでヘリの様子はよく分からない。だが
ひじりは時計台からヘリへと視線を向け、じっと集中して見れば、瞬間スクリーンが外れて地上に落ちる。カメラがそれを追い、ヘリも向きを変えていく。そのほんの一瞬、開かれたヘリの扉に見知った姿が映って、
ひじりは頭を抱える代わりに小さく深いため息を吐き出した。
(……帰ってきたら説教だね)
キッドはどうやら人ごみに紛れて消えたらしい。見つけ出すのは無理だろう。
まだ興奮冷めやらぬリポーターが何か言っているが耳に入れることはなく、
ひじりはさあ何と言って反省させようか、それだけを無表情に考えていた。
「で、何をしたの?」
「…………いや、別に何も」
「目暮警部の銃を撃ったんでしょ」
「何でそれを!?」
帰って来た新一を正座させその前に置いたイスに座りながらカマをかければ簡単に引っかかり、ついと細めた
ひじりの目に頬を引き攣らせる新一の額をべしっと指弾する。もろに食らって痛がる新一だが、
ひじりの無表情に威圧感だけがこめられた器用な目に背筋を伸ばした。
にぃとふいに声がして目を向ければ、今の今まで
ひじりの部屋で丸まっていた名もなき猫がリビングに入って来て、正座させられている新一に流し目をくれてふんと鼻を鳴らす。猫にまで馬鹿にされたようで新一の顔が歪む。だがすぐに目の前の存在を思い出し、慌てた新一はポケットから1枚の紙を出すとそれを開いて
ひじりに見せた。
「な、なあ
ひじり!オメーこれ解けるか!?」
「……何、それ」
「何でもあの泥棒が残してったやつでさ!」
キッドは結局ダイヤを盗っていかなかった。代わりに暗号が残されたようで、差し出された紙はそれをメモしたものらしい。
新一の説教よりそちらに気を引かれて紙を見る。大円と小円の間に、それぞれ区切られたコナケノネナハワテサニオの文字。
一見すると何が何だか分からない文字列。円は恐らく時計。時計は右回り。ならば文字を右にずらす?ずらすとしたら何の文字を?
「……新一」
「はい!?」
「明日学校が休みだからと言って、あまり夜更かしをしないように」
「へ…?」
ぽかんと口を開けた間抜け面で見上げてくる新一を一瞥し、猫に声をかけてリビングを出る。猫はひと声鳴くとついて来て、「……許された…のか?」と首を傾げる新一だけが残された。
ひじりは自室へ向かう廊下を歩きながら、ゆっくりと紙に書かれていた暗号の答えを反芻する。
カタカナの羅列をローマ字に戻して母音を一文字ずつずらせば、コノカネノネハワタセナイ――― 「この鐘の音は、渡せない」。
成程、キッドの狙いは最初からダイヤではなく、時計台移築を白紙にすることだったか。暗号を警察が解くまで移築計画は止まり、売却は不可能になる。オーナーの手から奪い取ったというわけだ。
階段を上がり、廊下の窓から空を仰ぐ。月が見えて、脳裏に白が翻った。
今日はついぞキッドの姿を目にすることはできなかった。それが少しだけ残念だが、いずれ機会はまたあるだろう。
けれど、今の自分は―――。ぽつりと胸の内で呟き、
ひじりは俯いて陰を落とした。
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