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「ほう、黒羽快斗君」


 電話でひと通り報告を受けた後に出された名前に、老人は興味深そうに繰り返した。
 “餌”である工藤ひじりと仲良くしているということで以前から度々報告は受けていたが、まさか共に“人形”を取り返しに行くとは思わなんだ。
 老人は電話向こうの男から続けられた黒羽快斗に関する報告に目を細め、男の名を呼んでひとつ希望を伝える。


「会ってみたいな、その少年に」


 分かりました、と予想通りだと言わんばかりの了承の言葉が返って来た。





□ 人形が見る夢 27 □





 車を飛ばして都内へ戻れば杯戸中央病院へ裏口から入った4人を女の医者が待ち受け、ジョディは撃たれた足を少し引きずりながら、気を失ったままのひじりを抱いて奥へ入って行った。
 快斗も追おうとしたが赤井に肩を掴まれて止まらざるを得なくなり、目だけでついて来いと小部屋を示される。

 明かりのついた部屋には、1人の老人がイスに座っていた。歳は、寺井と同じか少し下だろうか。だがその体はひと目で鍛えられていると判る。目許を和らげて微笑めば好々爺然とした男だが、今その瞳には優しさなど一片もない鋭いものだった。
 赤井は何も言わず快斗を机を挟んだ向かいの席につかせたが、おそらくこの男が赤井達のボスだろうと快斗は半ば確信する。


「君が黒羽快斗君だね。私はジェイムズ・ブラックだ。よろしく」

「よろしくお願いします」


 薄い笑みと共に握手を交わし、借りたままだったことを思い出した銃をホルスターごと外して赤井に返した。赤井は壁に凭れたままそれを受け取り、自分の腰につけて口を開く。


「工藤ひじりは今処置をしている。それまでこの部屋で待っているんだな」

「処置?」

「はっきり口にしてもらいたいか?」


 快斗の疑問に赤井は笑うことなく淡々と訊き返し、快斗は首を振った。
 処置とは傷の手当ても差すが、本当の意味は――― 避妊処置、だろう。
 沈痛な面持ちで俯いていた快斗は、ひとつ深く息を吐くと顔を上げてジェイムズを真っ直ぐに見た。その瞳に、おそらく快斗についても連絡を受けていただろうジェイムズがほぅと感心の息をつく。同時に少しばかり同情するようだったのは、赤井だけが読み取れた。


「教えてください、今回の件のこと」

「君は既に知っているんじゃないのかね?」

「いえ……オレは、何も知りません」

「本当に?」


 ジェイムズの優しくはない眼が快斗を射抜く。嘘を許さない、たかが16年しか生きていない子供が敵うはずのない詰問の眼だ。
 快斗は背筋を強張らせて息を呑む。だが頭の中に父の言葉が浮かんで、ゆっくりと息を吐き平常心を取り戻した。
 その変化を、やはりジェイムズも赤井も見逃さない。ただの高校生でなかろうと、2人と比べるまでもなく快斗は未熟なのだ。
 ジェイムズと快斗は暫し無言で見つめ合い、先に口を開いたのはジェイムズの方だった。


「訊きたいことは工藤ひじりのことだけかね?」

「いえ。正確には、ひじりさんの一家を殺し、攫った男のこと…その、裏にあるものを」

「成程。的確だ」


 ひじりがどこに攫われ、何をされていたのか。そんなことは些細なことだった。それよりもその裏にあること、ひじりを檻に繋いでいた男が誰で、何なのかを知りたかった。
 聞けば戻れなくなることは解っている。完全に巻きこまれる。それでも。
 ひじりは快斗に「死んでほしい」と言った。けれど「同じくらい生きていてほしい」と、予防線を張った。快斗に何も教えず、1人で男のもとへ戻ったことが何よりの証拠だった。
 ジョディから自分達がFBIだと聞かされた瞬間、自分が巻きこまれるものが予想以上のものであると理解した。
 だが、固めた覚悟は変わらない。だから聞こう。後戻りできないほどに知ろう。ひじりが張った予防線を越えて、固い鎧に覆われた彼女の手を取ろう。


「……若さというのは末恐ろしいな」


 目を伏せてため息をつき、ジェイムズは再び快斗を見るとゆっくり頷いた。
 もはや覚悟を固めきった快斗を説き伏せる言葉はない。たとえ今突き放したとて、いずれ快斗は自力で辿り着く可能性が高い。
 その若さ故の行動力を見抜けないほど、ジェイムズは愚鈍な眼をしていない。だが同時に、無償で情報を与えるほど優しくもなかった。


「等価交換という言葉を知っているかね」

「……同じ価値をもつものを、互いに交換すること。オレは、あなた達に何を渡せばいい?」

「理解が早くて助かるよ。簡単だ、君の知識と技術その全てを、我々に提供すること」


 鮮やかなマジックの腕、ハッキングの腕、正確に物を撃ち抜く腕など、そしてそれに付随するあらゆる知識。いち高校生には持ち得ない、他者を凌駕するその能力は、磨けば更に光り輝くだろう。
 快斗は驚かない。ある程度の予測はついていたようで、もちろん快斗の能力を報告した赤井が驚くはずもなかった。


「FBIに入れと言ってるわけじゃない。一応非公式な身でね、公には動けないことが多い」

「それの代わりを、オレが?」

「“協力者”となってくれるのなら、情報は惜しみなく与えよう。ちなみに、このやり取りも当然非公式だ」


 快斗の答えは、最初から決まっていた。


「分かりました」

「……工藤ひじりは我々が追う組織の――― いや、ある幹部の“餌”だ。これからも彼女には“餌”でい続けてもらう。……生きている限り“餌”であり続ける。その意味が、君には解るかね?」

「はい」

「確認するが、工藤ひじりと共にいるつもりならば君の身の安全は保障できない。我々も、場合によっては君達を切り捨てることもあるだろう」

「構いません」


 淡々と頷いていく快斗の眼は静かで揺らがない。取り繕ったものではない、確固たる意志と覚悟を備えた眼に、ふっと赤井が口元を緩めた。

 情報をもらっても、快斗に組織を積極的に追うつもりはない。
 攻め込むのはジェイムズ、赤井、ジョディを中心として行うだろうから、必要とあらば銃を持つし前衛に躍り出たって構わないが、あくまでサポートと守備に回るつもりだ。
 ひじりの一家を殺し攫った男のことは憎いが、男を捕まえ、組織を壊滅させることは快斗の仕事ではない。また奪いに来るかもしれない男の手から、“餌”であるひじりを護ることが快斗の仕事だ。


「オレはひじりさんを護れさえすればいい。組織との闘い方は、ひとつじゃない」

「……君は本当に聡いな」


 感心し、ふと優しい笑みを浮かべたジェイムズはひとつ頷いた。


「私やジョディはまた日本を離れなければならなくてね、何か仕事の指示があれば赤井君から出させる」

「はい」

「無論、君の“副業”に影響ない程度にな」


 え、と快斗は思わず目を見開いた。
 否定することも何のことだと嘯くこともできない、事実をただ言ってのけたとばかりの笑みをジェイムズは僅かに深める。


「闇を裂く白き翼は、我々の眼には映らない。そういうことにしておこう」

「お前の才能を青田買いするには、情報だけでは等価になり得ないからな」


 ひくり。さすがの快斗もポーカーフェイスが剥がれて頬を引き攣らせる。
 いや、オレは2代目で初代とは血縁関係はあっても初代の犯行に関わっていないんですけど。オレは盗っても目的のものじゃない限り殆ど返してるし。いやいやそれ以前にオレは怪盗キッドと何の関係もないし。
 だがそんな言い訳は通じるはずがないし、そもそも2人はそんなこと分かっているだろう。

 しかし裏を返せば、自分の能力はそれらを見逃されるほどのものということだ。期待していると目で笑うジェイムズと赤井の目を見返して、こりゃ手抜きできねぇなと内心苦笑する。
 快斗の働きがひじりの身の安全に繋がることもあるのだからそんなつもりは全くなかったが、更に気合いを入れざるを得なかった。

 まったくこの2人には敵わない。否、本当は敵うはずがないのだ。
 自分はたかだか高校生で生きた年数も経験も段違い。だがその分、彼らの傍で働けば、彼らから盗めるものもあるだろう。

 もう、引き返せない。後戻りはできない。投げ出すことは死を意味する。


 ならば後は、進むしかないじゃないか。






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