28
目を開いた私は、恋をする。
□ 人形が見る夢 28 □
ふわりとやわらかな感触がして、ゆっくりと沈みこんでいた
ひじりの意識が浮上する。
あたたかい。お湯ではない緩やかなぬくもりを自覚して、細く長い息を吐いた。
瞼を震わせて目を開く。長い時間をかけてようやく開かれた目で、
ひじりは朝日にけぶる少年を捉えた。
「……かい、と」
「……おはよう、オレの眠り姫」
ひじりの白い手を取って甲にキスし、快斗が微笑む。
眠り姫、とまだぼんやりする頭で繰り返し、小さく笑ってしまった。
「私は、眠って…いたの?」
「うん、ずっと長く」
「そ、か……しあわせなゆめを、見てた」
「どんな夢?」
「快斗を…あいした、ゆめ」
ひじりは掬われた手を伸ばして快斗の頬に触れた。あたたかい、人のぬくもりにほぅと息を吐く。そうして、腕をゆっくりとおろしてシーツの上へ戻し、静かに微笑む快斗と目を合わせた。
快斗はまた
ひじりの手を取り、穏やかな声を発する。
「オレ、全部聞きました」
「……何を?」
「全部。“5年前の事件”のこと、組織のこと、あの男のこと」
ひじりの目がふるりと揺れる。ああ、知ってしまったのか。
快斗は知ってしまった。
ひじりの張った最後の予防線を躊躇いなく越えて、もう戻れない道を歩くことを選んだ。
「『死んでほしい』って、言ったじゃないですか」
「……同じくらい、生きていてほしかった」
「うん。だから生きるよ。オレが死ぬまで、
ひじりさんの傍で生きる」
ああ、もう、彼は。
死ぬ覚悟も生きる覚悟も決めてしまっているのだと、
ひじりは悟った。
だからもうそのことに触れるのをやめ、目を伏せて肩の傷に触れる。首回りには傷や痕を隠すようにぐるりと包帯が巻かれてあった。ふと気づけば手首にも巻かれていて、感覚から察するに足首にも巻かれているだろう。
「……私が、きたないと、思わない?」
「どうして?
ひじりさんは綺麗だ」
この腕に繋がる細い管から流しこまれる薬が何なのか、薬品名が記載された袋から
ひじりは察している。
発信機を追って快斗もあの部屋に来たのだろうから分かっているのだろうに、それでも快斗の笑みは歪まない。
知っている。分かっている。それでも快斗は綺麗だと言った。
「誰が何と言おうと、オレにとって
ひじりさんはずっと綺麗です」
そう言って笑う、快斗の方が綺麗だと思った。
この身が宿し纏う闇すら、きっと快斗は綺麗だと言うのだろう。
敵わない。嬉しい。だから快斗と繋げた手に力をこめて握れば、それ以上に強く握り返された。
「ありがとう。たくさん傷つけて、ごめん」
「
ひじりさんがもうオレを置いてどこにも行かないなら、許します」
「そう、だね……ううん、私の方からお願いする。どうか、私の傍にいてください」
「……喜んで」
微笑む快斗に、笑い返せただろうか。
巻きこむことは――― まだ少年である快斗の人生を大きく歪めてしまったことは、快斗が自分で選んだことだが
ひじりにも責任がある。
だからというわけではないが、傍にいたいという気持ちを抱きながらずっと傍にいよう。
共に死ぬまで、共に生きよう。
はたから見てどんなに愚か者に見えようが、構わなかった。
「快斗との約束、果たさなきゃ」
「ショー、2人で観に行こう」
頷く。けれど、約束はもうひとつ。
「好きだよ、快斗」
―――― もし生きて帰って来れたなら……オレに、恋をしてほしい。
あの観覧車の中で快斗はそう願い、
ひじりは喜んでと口付けを落とした。
生きてかえってきた。“人形”ではなく“人間”として、戻って来れた。
だから恋をしよう。夢の中で愛してしまった少年に、諦めていた恋を始めよう。
「クローバー、砕けてしまったけど……快斗は私を助けて、幸せを運んできてくれた。ありがとう」
それまでずっと閉ざされていた右手を開き、砕け所々ひびの入った8つの欠片をあらわにする。
朝日に照らされて煌めくそれを目にした快斗は、一瞬泣きそうな顔をして笑った。陽だまりのようにあたたかくやわらかな、
ひじりが好きな快斗の笑顔だ。
「壊れてもなくしても、何度だってあげますよ」
「ありがとう」
砕けた欠片を持つ
ひじりの手に快斗の手が重ねられる。両手を取られ、額を合わせて、
ひじりは決意に瞳を煌めかせると口を開く。
「快斗は私が護るよ」
「え?」
「快斗がいないと私は幸せでなくなる。だから、私が快斗を護る」
ひじりは快斗より強く、知識が豊富である自負がある。それは過大評価ではなく客観的な事実だ。
ジンといた5年の間、様々なものを取り入れた。格闘術、殺人術、科学知識、車から小型飛行機の操縦などあらゆる知識と技術。長い引きこもり生活のため体力はないが、元々短期決戦を狙って仕込まれたものなので問題はない。
快斗はそんな闇ごと
ひじりを受け入れ綺麗だと言ってくれたのだから、その全てをもって愛しく恋しい男を護ろう。
共に死ぬそのときまで全力で抗おうと、工藤
ひじりとしての覚悟を決めた。
快斗はまさか自分が
ひじりに護ると言われると思っていなかったようで、数度目を瞬いた。
そして、噴き出す。病院服に身を包んだ
ひじりの肩口に頭をうずめ、くすくすと笑う振動で癖毛が揺れて擽ったい。
ひとしきり笑った快斗は顔を上げ、
ひじりの両手と自分の手を絡めると微笑んだまま口を開いた。
「そうだった、大人しく護られているような人じゃなかったな、
ひじりさんは」
「そういう女は嫌い?」
「まさか。惚れ直した。けど、オレにも少しくらい護られてほしい」
「じゃあ、お互いに護り護られってことで」
「そういうことで」
絡んだ指に力がこめられ、
ひじりも握り返して近づいてくる快斗の顔を間近に見た。
幼さを宿した整った顔。あどけなさのない青い眼。覚悟を決めた心は愚かしいほど真っ直ぐだ。
どくりと心臓が跳ねる。頬に熱が差して、快斗に恋する自分を自覚した。
目を閉じれば快斗の唇が己のそれと重なる。触れるだけのキスだったが、胸に湧き上がったのは確かに歓喜だった。
目の奥が熱くなり、唇を離して見つめ合う目からひと粒、眦を伝って涙がこぼれた。
「……泣かないで」
「嬉しくて溢れてしまうから、止めようがない」
そっか、と嬉しそうに快斗の指が優しく涙を拭う。
泣けるのか。泣けたのか。5年前にこれが最後だと涙してから、一度も泣いたことなどなかったのに。
涙は留まることを知らずはらはらと次から次へと溢れて流れ、そのたびに快斗の指を濡らしていく。
ひじりは涙の膜越しに快斗を見つめた。溢れる涙を堰き止めるように瞼を閉じれば、もう一度優しい口付けが降る。
“人形”は消え“人間”が目を覚ます。
王子のキスで目を覚ましたのは、そういえば、眠り姫だった。
第1部 end.
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