24





 車のライトで闇を切り裂きながら、助手席でノートパソコンを見ながら歯噛みした快斗は運転席の老人を急かす。


「ジイちゃんやばい、早くしないと…!」

「坊ちゃま、あれを!」


 快斗の言葉を遮り寺井が鋭く叫ぶ。はっとして見れば、ライトに照らされた女が血を流して電柱を背に座りこんでいた。





□ 人形が見る夢 24 □





 車を降りて雨に打たれるのも構わず女に駆け寄った快斗は、傍に見慣れた鞄が落ちているのに気づいて歯軋りした。
 間に合わなかった。だが、その場に死体がないということは、まだ望みはある。


「大丈夫ですか!?」

「あ…あなたは」


 太股の銃創をハンカチで止血するために俯けていた顔を上げ、快斗を見ると目を見開く。一見して日本人ではないと判る眼鏡をかけた美しい女は、しかし流暢な日本語を口にした。


「黒羽快斗君。どうしてここに?」

「それより、ひじりさんは?ひじりさんは、どこに行ったんですか」


 雨に晒された鞄を手に、女の厳かな問いを無視して問い返す。しかし女は首を振り、欲しい答えを与えようとはしない。


「君には関係のないことよ。今見たことは忘れて帰りなさい」

「そんなことできるわけねぇだろ!」


 冷たく突き放すような女の言葉に、思わず声を荒げる。だが女は表情を変えぬまま、もう一度「帰りなさい」と繰り返した。しかし快斗とてそれで諦めるはずもなく、決して譲らない瞳で見据え返す。
 この女はひじりと繋がっている。逃すわけにはいかなかった。


「――― こんなところで子供が何をしている」


 唐突に背中に冷えた声がかかり、快斗ははっとして振り返った。
 寺井の車の後ろにまた黒塗りの車が停まっている。髪の長い男は快斗を一瞥してふいと視線を外した。女が電柱を支えに立ち上がり、悔しそうに顔を歪めた。


「シュウ、ごめんなさい。逃がしてしまった」

「……発信機は」

「動いてないから鞄の中ね。靴も気づいて捨てたみたい」

「ここで殺さなかったということはまだ望みはある。お荷物があると、動きは制限されるからな」


 淡々と交わされる物騒な会話に、快斗は遅れて理解する。
 おそらく、彼らがひじりを檻から連れ出した者達だ。

 2人はふいにぱたりと話をやめ、快斗を同時に見た。気遣うような女の目と、ひやりと氷のように冷たい男の目。快斗はそらすことなく男の目を見据えた。男もまた見返すと、ふいにそらして背を向ける。


「行くぞ。今なら追いつけるかもしれん」

「ええ」

「待ってください!」


 車に戻ろうとする男とそれに従う女を呼び止める。女が何かを言う前に、「何だ」と男が振り返った。変わらない冷ややかな目は、快斗に何の興味も感情も抱いていないことが窺える。
 ただの警察関係者ではない。それだけは確かで、だがそんなことは快斗にとってどうでもいいことだった。


「オレも連れて行ってください」

「家に帰れ、お前には関係のないことだ。危険な目に遭いたくなかったら、あれのことは諦めろ」

「…っ、オレは、ひじりさんに『死んでほしい』って言われたんだ!


 淡々と冷たく快斗の頼みを切り捨てた男へ、快斗は叫んだ。


「だからオレは死んだっていい!決めたんだ、たとえ護れなくても、今度はオレが檻からあの人を助け出すって!」

「君は、どこまで」


 目を瞠った女が鋭く問いかけようとしたのを、男が腕を上げて止める。男は表情を変えないまま、ただじっと睨むように見上げてくる快斗を見下ろした。


「『死んでほしい』。その意味を、お前は正確に理解しているか」

「ああ。何があっても、何に巻きこまれようとも、オレは何度だってひじりさんに手を伸ばすと決めてる。
 死ぬ覚悟も、共に生きる覚悟も、ある」


 煌めく青い眼は、僅か16歳の少年がするにはあまりに不釣り合いな鋭さだった。普通に日本で生まれ育っていたのならば決してするはずのない、することができるはずのない、揺るぎない覚悟を秘めた眼だ。
 綺麗なものではない。清濁併せもった、深淵を覗いた眼のその奥には闇を宿している。
 男はそれに絶対零度の冷徹さを宿した眼で見返す。それでも快斗は決して視線をそらさず睨み返した。


「――― いいだろう」

「ちょっとシュウ!一般人を巻きこむつもり!?」

「これが本当にただの一般人なら無視しただろうがな」


 女の咎めてくる声にやはり淡々と返された声には、しかし微かながら笑みが滲んでいた。嘲るようなものでありながら感心する、そんなものだ。
 男の許可を得て息を長く吐いた快斗は、しかし安堵はせず男を見つめる。ただでは同行を許可しないことくらい分かっていた。そんな快斗の様子に今度は明らかに感心して目を細め、だがそのことに触れず男は問うた。


「あれを追う手を持っているか」

「……ある」


 快斗は黙って車内で成り行きを見ていた寺井に目をやり、意図を汲んだ寺井は傘とノートパソコンを手に車から降りた。
 寺井が今更ながら快斗に傘を差し、ノートパソコンを開いて画面を男と女に見せる。画面にちかちかと緑色の点が光って地図上を動いていた。


「……発信機か」

「半径15km程度しか正確に捉えないけど、GPSでどこまでも追える」

「捨てるか壊されない限りな。ふん…一介の高校生が持つには不釣り合いなものだが」

「……」

「まぁ、いいだろう」


 知らないはずのひじりの事情を知っているという事実もあってか、女は訝しげに快斗を見てくるが男は問うことをやめたらしい。
 乗れ、と車を示され、頷いた快斗は寺井を振り返った。


「じゃあジイちゃん、オレは行くから」

「ええ、行ってらっしゃいませ。どうかお気をつけて。またひじりさんと一緒に店へ来ていただけるのを、楽しみにしております」

「ああ」

「何かありましたらご連絡を」

「分かった」


 寺井からノートパソコンと傘を受け取った快斗は、頭を下げて車に戻った寺井を見送ることなく男の車に乗りこんだ。
 男が運転席に、快斗は助手席に、そして女が後部座席に。快斗を訝しんではいるが警戒心はない。敵ではないと判断したのだろう。
 車が発進したのに合わせて、ふと快斗は男と女を交互に振り返った。


「あの、名前を聞いても?」

「……赤井 秀一」

「私はジョディ・スターリング」

「赤井さんと…スターリングさん?」

「ジョディでいいわ。私も快斗君って呼ばせてもらうから」

「分かりました、ジョディさん」


 にこりと笑ってジョディが手を差し出す。それを握り返して離した瞬間一輪のバラをジョディの手の中に咲かせた快斗は、驚きに目を瞬かせたあとやわらかい笑みをこぼしたジョディが放った言葉に、目を見開くこととなった。


「実はね、私達FBIなの。よろしく」






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