22
あれから数時間待って、どうやら事件は解決したようだった。しかもやはり活躍したのは新一のようで、少しだけ誇らしいが蘭は大丈夫だろうかと心配になる。
メールが来たので見てみると、新一から蘭と先に帰る旨が記載されていて、気をつけてと返した。
今日はもう閉園するとの放送が流れたが最後に一周だけ観覧車は回るらしく、
ひじりは迷うことなく快斗の手を引いて乗りこんだ。
この狭い空間ならば、たとえ短い時間だけでも2人きりでいられるから。
□ 人形が見る夢 22 □
ゆらりと小さく揺れて、ゴンドラはどんどん天へ昇っていく。
春とは言え、もう外は暗くなってきているし天気も悪くなっている。これはひと雨きそうだと窓の外を眺めていた
ひじりは、向かいに座る快斗を振り返った。
「快斗、今日は付き合ってくれてありがとう」
「何か事件があったせいで観覧車は止まるし…また今度、改めてデートし直しに来よう」
快斗の言葉に
ひじりは頷かず、ただやわらかく目を細めた。そしてもう一度ありがとうと告げれば、快斗は笑みを潜める。
「
ひじりさんは、いつもどんな些細なことでもありがとうって言いますよね」
「そう?」
「まるで、いつかいなくなることを分かってるみたいに」
図星を突いた快斗の鋭い光は、しかし静かに見返す
ひじりを映してすぐに切なくくすむ。
やっぱり快斗は分かっているのだ。何も知らないはずなのに、何かを――― あるいは全てを知っているからこそ切なそうに笑う。
それを
ひじりが問うことはない。快斗は絶対に答えないだろうから、
ひじりが何とか見つけるしかないのだ。
「私と快斗が出会った日のこと、憶えてる?」
「ああ、憶えてる」
「あれは偶然?」
「いや、必然」
あの日、出会うべくして出会った。それは確かに快斗の言う通り必然だったのかもしれない。
ひじりは眼下に小さく広がる街を見下ろした。薄闇の中に人工の光が浮かび上がり、檻から連れ出されてから僅かな時間を過ごした街を彩る。
新一や蘭達と再会した。快斗と出会った。勉強を教えてもらった。マジックを見た。マフラーを借りた。暖かった。
告白され、蘭の友人の園子と出会い、女子会に呼ばれ、ブルーパロットという店を知り、寺井の紅茶を飲んで、快斗に弁当を作った。
穏やかで目まぐるしい日々に流されながら、魔法の手から四葉のクローバーを二輪もらった。
夢を見ていた。“人形”の刹那の夢を。終わりのくる、終わらせなければならない夢。
夢は、じわりじわりと滲むように
ひじりの“人間”を目覚めさせた。そうなればもう、以前のような完璧な“人形”には戻れない。だから終わらせよう。
夢を――― “人形”を。
「
ひじりさん、オレ達約束しましたよね。一緒にショーを観に行くって」
「……うん。ちゃんと覚えてる」
「守ってくれなかったら、泣きますからね」
思いがけない言葉に快斗を振り返れば、蛍光灯に照らされた顔が今にも泣き出しそうで、少し困ってしまった。
「泣かれると困る」
「約束を守ってくれるなら、泣きません」
それは、わがままだ。ちゃんと分かっているはずの快斗の、どうしようもないわがまま。約束は守られそうにない。
観たかったな、奇術団のショー。そう思いはしても口をついて出るのは謝罪で、快斗のわがままを切り捨てるものだった。
「ごめん」
「……
ひじり、さん」
「ごめん、快斗」
ガタン。ゴンドラが頂上に近づく。残された時間は、あと少し。
ふと、雨が降り出した。ざあっと窓を濡らしていく雫が夜景をおぼろげにしていく。そういえば檻から連れ出されたあの日も、雨だった。
「
ひじりさん」
窓の外に意識を向けていれば突然腕を引かれ、
ひじりはバランスを崩した。
ゴンドラは狭い。容易く快斗側へと渡り、快斗の足の間に膝をつく。背に回された腕が2人の体を密着させ、膝立ちとなった
ひじりは胸元に顔をうずめる快斗の頭を見下ろした。くしゃりと快斗の癖毛の間に指を入れて静かに撫で、頭頂部に唇を落とす。
「ごめん、快斗」
「…っ…」
ひゅっと息を呑んだ気配がする。顔を上げた快斗は泣いていなかったものの、唇を強く噛み締めて瞳を揺らしていた。
髪から頬へと手を滑らせる。初めて触れた快斗の頬はやわらかく、あたたかった。
「謝らないで、ください…っ」
「うん、じゃあ…出会ってくれて、ありがとう」
「何でそんな、すぐお別れみたいなこと言うんですか!まだ時間はあるはずだろ!?明日も、明後日も、また会えるはずだろうがっ…!」
絞り出された声はまさしく慟哭で、ただの願望でしかなかった。
そうだね、とは
ひじりは言えない。もう終わるのだ。このゴンドラが地上に着いたときに、夢から覚めはじめる。だから乗ろうと誘った。少しでも長く快斗と共にいたかったから。
雨が降ってる。傷つけてしまった。そしてこれからもっと傷つけてしまう。迷惑をかけて巻きこんでしまう。けれどどうか、私を好きでいてくれるなら――― 死んでほしい。
できることなら快斗に恋をしたかった。けれどそれは、決して叶うはずのない願いだ。
「私は本当は、5年前に死ぬはずだった」
快斗の額に自分のそれを重ね、
ひじりは目を伏せて口を開く。
「お父さんと弟を生かすための“取引”だったけれど――― きっと快斗に出会うために、私は生きてきたんだろうね」
言っている意味は分からないかもしれない。あるいは知っているのかもしれない。
分からなかったが、構わなかった。ただ後半の言葉さえ理解してもらえればいい。そして快斗は、
ひじりの希望通り理解してくれただろう。快斗は聡いから。
ゆっくり目を開ける。間近で見た顔は新一とどこも似ていない。
新一はこんな顔はしない。こんなに悲しそうで切ない恋慕に顔を歪ませたりしない。
ひじりだけが知る、快斗の顔だ。
「護ってくれって言えば、オレは何をしてでも護るのに…!」
「言えない、言えるわけがないよ。これは私が撒いた種だから、私が始末をつけなきゃ」
ガタン。小さく揺れてゆるゆるとゴンドラが下がり始める。
ああ、頂上からの景色を見損ねた。どうせ雨で見にくかっただろうけど、それでも快斗と見る最後の夜景だったのに。
快斗の手が
ひじりの髪へと触れ、両方の横髪に咲く四葉のクローバーに触れる。
希望、誠実、愛情、幸福の象徴。幸せを運んでくると言われるそれは、確かに
ひじりへ幸せを運んできた。
「――― ひとつだけ」
お互いに、頬を両手で挟みながら見つめ合う。
「もし
ひじりさんが生きて帰って来れたなら……オレに、恋をしてほしい」
ああ、それは私の願いなのに。
「……喜んで」
額に口付ける前に紡がれた言葉は、笑って言えただろうか。
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