19





 どこへ行った。

 誰が連れて行った。

 奪われたのか。

 逃げたのか。


 逃がさない。

 奪い返す。

 連れ戻す。


 お前は俺のものだ。





□ 人形が見る夢 19 □





 随分荒れてるわね、と女は白煙を吐きながら笑う。その顔に鉛弾を撃ちこみたい衝動を睨むことで自制し、男は女が触れた銀髪を背中へ乱暴に払った。それに、女はまたくすくすと笑う。それはとても艶美なものではあるが、男の感情を逆撫でするだけだった。


「あなたの部下もいないし……ああ、ドールに逃げられたんだっけ?」


 煙草を咥えた唇を女がニィと吊り上げ、男の張り詰めた糸を弾いた瞬間、男は重厚な音を立てて女の額に銃口を突きつけた。
 安全装置は外され、引き金に指が触れている。あとは軽く引くだけで女の命は容易く消えるだろう。だというのに、女はしてやったりと言わんばかりにくすくすと楽しげな笑いをこぼして肩をすくめただけだった。
 女の白くたおやかな指が銃口を掴んで上げ、そうかっかしないで、と笑みを含んだ穏やかな声が不愉快に男の耳朶を打つ。


「あれは俺から逃げない」

「まあ、5年も従順だったものねぇ。逃げるのは今更かしら?もしずっと機を窺っていたのだとしたら、ドールはとんだ女優だわ」


 くすくす、くすくす。女は何が楽しいのか笑うことをやめない。
 酒が入ったグラスを持ってくるりと水面を回し、カラン、と氷のぶつかる音に笑みを深めた。対して、男は銃を懐に仕舞って既に女を見ておらず、冷酷に煌めく深緑を不機嫌に細めている。


「ドールが逃げたんじゃないとしたら、連れ去られた?奪われちゃったの、あなたが?」

「……」


 沈黙は肯定。


「ネズミがいた」

「ああ…結構前からうろついてた。成程?あなたを狙ってるように見せて、本当の狙いはドールだったってわけ」


 男は自分が狙われている立場にあることを知っている。
 自分の周辺を嗅ぎ回りうろついている男がいたことは判っていたが、遠くから見てくるだけだったので無視していた。そういうのは五万といて、いちいち潰すのも面倒くさい。後一歩でも踏み込めば殺すつもりではいた。
 だからただの一般人であったあれには目をつけないだろうと油断して、結果まんまと掠め取られてしまった。
 女が言う通り、初めからあれが狙いだったのだろう。事実、あれが消えると同時に男も消えた。


「もう2ヶ月経つわ。新聞にも載った。それに、どうやらドールは固い鎧に覆われてるみたい」


 女が煙草の灰を灰皿に落としながら歌うようにドールと呼ぶ者についての情報を口にのせれば、男は分かっていると鼻を鳴らした。
 奪われたドールの居場所は既に判っている。あれは俺のものだ。だから奪い返す。だがそれは男の私情で、任務が入れば後回しにせざるを得ないのは事実。


「奪い返せるの?」

「あれは俺のものだ」


 それはドール自身が望み、首輪をはめて鎖に繋がった。
 銃を向けられながらも強い光を湛えて好きにしろと言った眼が気に入ったから傍に置いた。5年も殺さずにおいた、従順ながらなかなか図太く生きてきたドールを、今更手放す気には、なれない。


 ――― 私はお前のものだ。


 ドールがそう言ったから、あれは男のものなのだ。
 鎖は引き千切られたが、辿ることはできる。その先にいるドールの首にはまだ首輪がはめられたままで、また奪い返せばいい。厄介なことにドールを覆う鎧は固く面倒なものだが、できないことはない。尻尾を掴もうとする者ごと撃ち抜けばいい。


「そう。実はね、私案外ドールを気に入っているの」


 煙草の煙を長く吐き、男に賛成する言葉を続けた女はにこりと男に笑いかけた。手伝ってあげましょうか?と笑う女を「必要ない」の言葉だけで一蹴し、男も煙草に火を点けた。ふわりと白煙が揺れて天井にのぼる。女は薄く笑いながら男の横を見た。


「またドールに会いたいわ。あの子の“人形”のくせに強い意志に煌めく眼を、もう一度見てみたい」


 つい、と細めた女の目にはかつてのドールが映る。
 無表情ながら、“人形”としての表情をもった矛盾の塊のようなあれ。けれど、あの眼だけにはあれ自身の意志が宿っていた。私はこの男のものだと疑っていない。そしてその奥底に眠っていた“人間”を浮かべるあれも、見てみたい。


「今度の任務、ドールの傍に行くんでしょう?」

「ああ」

「でも、見つけられるかしら。あの街にはたくさんの人がいるのに」


 試すような微笑みを浮かべ計算された角度で首を傾げる女を一瞥し、男はグラスを満たす酒を呷った。ごくりと男の喉が鳴る。そこから、笑みを滲ませた凄惨な声音で紡がれた言葉が放たれる。


「あれは俺の気配を察知すれば現れる。そういうふうに仕込んだ」

「……ひどい人」


 くすり。女が唇だけで笑い、今この場にいないドールに同情したのは一瞬だけで、それが須らき結末なのだろうと納得する。
 たとえ自分の意志とは関係なく連れ出されたのだとしても、ドールの首に首輪がはまっている限り、“人形”と“所有者”という関係がある限りドールは男のもので、逃げることは許されない。だから、ドールは近いうちに再び男の手に戻るだろう。


「ドールに会えるのを、楽しみにしているわ」


 イスから立ち上がった女はするりと男の肩に腕を置いて囁き、くすくすと艶美に笑う。だが男はグラスに視線を落とすだけで応えず、不機嫌そうに酒を呷った。

 荒れてるわね。それも、ドールが戻ってくれば直るかしら。
 女は心の中で呟く。5年前に奪われたのはどっちなんだか、とほくそ笑んで。






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