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「ちょっとぉ、園子聞いてる?」

「あーはいはい、聞いてる聞いてるってば。でももうその“ひじりおねーちゃん”の話は飽きたわよ、蘭」


 園子と呼んだ友人の、呆れ混じりにズバッと切り捨てる言葉に、そんなに話してた?と蘭は自覚がなかったようで首を傾げた。その様子は大変可愛らしいのだが、もうこの1ヶ月近く何度も何度も同じような話で正直うんざりなのである。

 小さい頃から大好きなお姉ちゃん。“5年前の事件”で行方不明となり、最近帰って来たくれた彼女のことを話したい気持ちは分かるが、ここのところ気を抜けば学校でもこうして2人でショッピングしてても“ひじりおねーちゃん”の話題ばかりなのだ。
 やれ弁当を作ってくれてしかもおいしいだの相変わらず優しいだの5年のうちにすごく綺麗になっただの。諸々、諸々。
 嬉しい蘭の気持ちも分かる。分かるが、少しは控えてほしい。でないと、いい加減聞き飽きて逆に嫌いになりそうだ。

 まだ会ったことがない彼女。蘭や新一とは保育園の頃からの付き合いだが、なぜか2人は昔から自分達以外に会わせるのを拒むほどで、実は未だにお目にかかったことはない。会えば少しは変わるのだろうが、やはり蘭は積極的に会わせようとしない。
 会わせてよ、と言っても渋って結局断る。それが彼女を大事に思うせいだと園子は解りつつも、やはり毎回毎回似たような話をされてはうんざりするなと言う方が無理である。

 イケメンはいないし、蘭はこの調子だし、寒いし。
 ついてない。そう小さくぼやいて肩を落とした園子の背中へ、鋭い視線が向けられていた。





□ 人形が見る夢 11 □





 そろそろ時間だということで、快斗とひじりの2人は喫茶店を出て駅前へ向かって歩いていた。
 外は夜に近づいて気温が落ちて冷えていくが、首に巻いたマフラーと手袋が体温を逃さない。白い息を吐いて赤信号で止まったひじりは、ふいに横から呼ばれて顔を向けた。


「ショーを観に行く約束はしたけど、その…また、誘ってもいいですか?」

「デートに?」

「はい。連れて行きたいところがあるんです」


 にこりと白い息を吐きながら笑う快斗に、是非、と返したひじりは、どこへ連れて行ってくれるのかと訊いてもきっと答えないだろうから、楽しみにしてるとだけ更に続けた。
 ひじりの顔には笑顔の一片もない無表情ではあるが、前向きな気持ちで頷いてくれたと分かったのだろう、快斗は更に笑みを深め、本当に以心伝心なのかもしれないなとその笑みを見てふと思う。
 表情はなく声音も淡々としているのに、快斗は正確にひじりの気持ちを読み取る。もしかしたらひじりより感情の機微に聡いのかもしれなかった。

 パッと信号が青に変わり、大勢の人間達の雑踏に紛れてひじりと快斗も横断歩道を渡って行く。
 ざわざわ、ざわざわ。右に左に会話がなされていて、たくさんの人間が流れていく。
 人ごみに酔いにくいたちでよかったと心底思う。そうでなければ、この人が多い街ではすぐに倒れてしまいかねない。


「ああそうだ、ひじりさん」

「?」

「これ」


 信号を渡りながら、ふいに半歩前に出た快斗がひじりを向いてその両手を顔の横、耳のやや上にかざす。瞬間、す、と髪が留められる感覚に目を瞬く。信号を渡り切って腰まである花壇に寄り、にこにこと笑う快斗に首を傾けた。
 何をしたのか。確か直前まで快斗は肩にショルダーバッグをかけている以外、何も持っていなかったはず。ひじりが耳の上にある何かに触れれば固い感触と細長い金属の冷たさを感じて、まさかと鞄から小さな鏡を出して見た。


「これ……」

「まるであなたのために誂えたようで、とても似合ってますよ」


 キザな台詞と共に目の前に一輪の赤いバラが咲く。
 鏡には、両方の横髪をひと房ずつ残し、残りを耳の上で留めて流す、四葉のクローバーの髪飾りが映っていた。
 きらりと光る緑色の石は何だろう。ただのガラス玉にしては上質のものに見えて、それを見抜く前に眼前に差し出されたバラに意識がそれた。
 冬の澄んだ空気の中、バラの赤が映えてかぐわしい香りが鼻孔をくすぐる。ふらりと手を伸ばせば、それに触れるより先に少女の声が轟いた。


「ひっ、引ったくりよー!捕まえてーっ!!」

「!」

「え?」


 弾かれたように少女の声がした方を見る。信号の向こうで茶髪の少女が地面に倒れたまま走る男を指差していて、ちょうどひじりはその男の進行方向にいた。


「邪魔だ女!どけっ!!」


 男の身長は平均より低めで、どたどたと走る様子から見るに鍛えられた様子はない。
 路地裏近くとは言え、こんな街中で引ったくりなどしたらすぐ捕まると思われるが、突然のことに殆どの者は驚いて身を固め、弾くように手を振り上げる男に足を引き下げてしまう。
 つまり何の障害もなく間合いに入ってくる男に、快斗が慌てて庇うように身を晒そうとしたが、それより早くひじりが男に向かって走った。


ひじりさん!?」


 慌てて快斗が呼び、まさか退くどころか近づいてきたひじりに驚いた男が一瞬動きを止める。その一瞬で、ひじりには十分だった。
 ふっと軽く息を吐き、瞬時に身を伏せて勢いを殺さぬまま素早く男に足払いをかける。簡単に足を払われた男は無様に地面に転んで悲鳴を上げ、うつ伏せに倒れた男の首に置いた右膝に体重をのせて息を容易くできないよう気道を締め、少女のバッグを掴んだ男の腕を遠慮なく捻り上げた。
 腕が脱臼するか否か。そのギリギリの力加減で捻れば、痛みに悲鳴を上げる男が耐えきれずバッグを落とした。


「いだいいだいいだい、やめろはなっ、いだだだだっ!!

「快斗、警察を」

「あ、はい」


 男の悲鳴を無視し、ひじりの早業に呆気に取られていた快斗に警察を呼ばせ、更にもう片方の腕も捻り上げる。痛みが2倍になって悶える男が暴れ出したので容赦なく首に置いた右膝に更に体重をかけて黙らせ、声も出せず苦悶する男の上着を使って腕を封じる。誰も手を出せないほどの鮮やかな手腕だった。


「あっ、あの、ありがとう、ございましたっ…!」


 抵抗する気力もなくしたか暴れるのをやめて呻くだけになった男から膝を下ろし、バッグについた土を払っていたひじりは声をかけられて顔を上げた。それは先程転んでいた茶髪の少女で、荒い息を吐きながら膝に手を当てて更に礼を言う。


「本当に、ありがとうございます…!」

「いいえ、バッグが取り返せてよかった。怪我は…膝にしてるみたい」

「え?」


 慌てていて気づかなかったのか、ひじりが言った通り、少女の左膝には擦り傷ができてしかも血が垂れていた。


「うわっ」


 少女がなかなか男らしい声を上げて眉をひそめ、痛みを知覚してきたのか更に顔を歪める。


「ちょっとごめんね」

「え、お姉さん?」


 鞄からハンカチを取り出し、片膝をついて広げるとしゅるしゅると少女の左膝に丁寧に巻いていく。確かこれは有希子からの祝いの品の一部で、それなりの値段がするものだったがひじりが構うことはなかった。
 きゅっと最後に蝶結びにして留め、汚れないよう膝で支えていた少女のバッグを手に立ち上がる。それからまた全身を見て膝以外に怪我がないことを確かめ、最後に転んだときについたらしい土を払った。


「せっかくのきれいな足なんだから、病院に行ってしっかり治療してもらいなさい。治療費はあの男に請求すればいいから。ああ、髪も乱れて……でも、その華のように可愛らしい顔に怪我がなくてよかった。怖かったでしょう、もう大丈夫だから」


 無表情だが淡々とした言葉には優しさと気遣いに満ち、乱れた髪を整える細い指が頬に触れた瞬間、少女は一気に顔を赤く染めた。ぽうっとひじりを見る目は潤みゆらゆらと揺れ、警察に電話を終えた快斗は「あ、惚れたな」と一瞬で悟った。
 ひじりは女だが、平均より高めの身長と整った顔立ちを表情がない分精悍に見せ、しかも手当をして気遣ってくれた上に優しく囁かれながら丁寧に触れられたら、吊り橋効果もあってころっと落ちるだろう。
 それにしても、自分といたためか少しキザ台詞が移ったな、と快斗は乾いた笑みをこぼした。ひじりにはその自覚はないだろうが。


「園子!大丈夫…って、ひじりお姉ちゃんに新一!?

「えっ…こ、この方がひじりお姉様…!?」

「蘭、この子と知り合いだったの?あと彼は新一じゃないよ、似てるけど」


 信号で足止めを食っていたらしく、青になった途端こちらに走って来た髪の長い少女がひじりと快斗を視界に入れると目を見開いて驚きをあらわにし、それに園子というらしい少女も頬を赤くしたまま驚く。
 対するひじりは園子の「ひじりお姉様」という呼び方に内心で首を傾げつつも蘭の言葉を淡々と訂正し、快斗を示せば快斗はぺこりと頭を下げて同じく訂正する。


「ども。オレ、最近ひじりさんと仲良くさせてもらってる、黒羽 快斗ってんだ」

「え…そ、そうなの」


 声もそっくり、と呆然と蘭が呟くので快斗がこそりと「そんなに似てます?」とひじりに問い、


「一見すると確かに似てはいるけど、快斗は快斗らしい可愛さと格好良さだからあんまり似てない」


 さらりと言い放たれたカウンターを食らって赤くなった顔を両手で覆った。それを見て確かに新一とは違うわね、と納得したらしい蘭は未だひじりを見つめる園子の肩に手をかけた。


「園子、園子?ちょっと大丈夫?」

「え?あ、うん、わたしは大丈夫よ、大丈夫…」

「……?顔が赤いね、まさか風邪?」


 蘭の呼びかけに反応を見せたがすぐに意識を散漫させる園子の顔が赤いのを見て、首を傾げたひじりは躊躇いなく自分の額を園子の額と合わせた。至近距離ではあるが気にすることなく少し熱いかな、と淡々と呟く。


「…ふにゃあ」

「あ!園子!」

「……救急車呼ぶ?」


 眩暈を起こしたらしく崩れ落ちた園子を危なげなく支え、真面目に問うたひじりの後ろで快斗はいっそ楽しそうに笑っている。
 んもう。蘭が呆れたようにため息をついてひじりから受け取った園子の頬をぺちぺちと叩く。


「ほら園子、起きて。これから警察の人と話さなきゃだし、足の手当てもしなきゃ」

「いらなぁい…ひじりお姉様がしてくれたからそのままでいい…」

「ダメに決まってるでしょ!っていうか何で“ひじりお姉様”なの!?ひじりお姉ちゃんはわたしのお姉ちゃんなのよ!?」

「そうか…!蘭が今まで会わせてくれなかったのは、こんなドラマチックでロマンティックな出会いが待ってたからなのね…!神様仏様感謝します…ああもう引ったくり男にだって感謝するわ…!ひじりお姉様に出会えたこの日に乾杯しなきゃ!」

「園子ー!?帰ってきて園子ー!」


 最後の「おでこコツン」に完全にやられたらしい園子が両手を合わせうふうふ笑いながら焦点の合わない目ではしゃぐさまに、ひじりを「お姉様」と呼ぶことに対して対抗心を燃やしていた蘭もさすがに慌てはじめた。
 それをぽけっと眺めながら、これは果たして私のせいだろうかと頬を掻く。確かに少々キザったらしい台詞を吐いたが、それだけでこうも壊れられると申し訳ない以上に少し自分が怖い。

 しかし園子、園子、園子…。聞いたことがある気がする名前に頭の中の引き出しを開けて回ると、そういえば蘭が小学生の頃に「仲良くしてる子がいるの」とその名前を出していた気がする。会ったことはなかったが、そうか彼女が。ということは、蘭とも長く友達でいてくれたらしい。
 助けてよかった。無表情で頷くとぺしりと後頭部を軽く手の平で押しつけるように叩かれて、振り向けば笑い終わったらしい快斗が半眼で睨んでくる。


ひじりさん、何かすげー強いみてーだけど、ああいうのはオレみたいな男に任せてくださいよ」

「…そうだね。ごめん」

「……ひじりさんに怪我がなくてよかった」


 ほっと息をつき、快斗が安心したように笑う。
 そうか、確かに自分が怪我をする可能性もあったわけだ。心配をかけさせてしまった。だが次があったときに快斗に任せて怪我をされるのも気分が良くない。
 謝りはしたが反省はせず、ないことを祈るがもし次があったらそのときに考えようと結論を出すと、それを見抜いたようなため息がタイミングよく快斗から吐き出される。
 数秒遅れ、ざわざわと野次馬の視線を集める5人のもとへ警察官が向かってきた。






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