君が生まれたこの日に。

 今日まで生きてくれていたことを。

 そしてこれからも共に歩けること全てに、感謝を。





□ 針が重なる 1 □





 6月21日は、たとえどんなに忙しくとも、必ずあけておくと2人は暗黙の了解で決めている。それは3年前、互いの指に煌めくリングを交わし、初めて祝ったあの日から始まった。


(…少し早かったかな)


 日本の東京、トロピカルランド。6月20日、PM8:42。
 陽はとうに暮れ月明かりが眩しい夜の静寂に包まれた時間、既に閉園し照明を落としたその遊園地のゲート前に立っていたひじりは、左腕にはめた時計を見て内心で呟く。

 3年前は観覧車前で待っていた。一昨年は一緒に家を出た。去年はひじりが少し遅れた。そして今年は、デートよろしくトロピカルランドのゲート前で待ち合わせている。


「─── ひじりさん!」

「…快斗」

「すみません、待ちましたか?」


 ゲート前の照明に照らされた、駆けて来たせいで軽く息を弾ませる快斗の問いに首を振る。
 確かに待ちはしたが数分程度。待ち合わせ時間より少し早いくらいであるし、急いで来たのだろう快斗を見れば待ったとは思えない。


「仕事帰りだったのに走って来たの?そんなに急がなくてもよかったのに」

「本当は、ひじりさんをオレが待つつもりだったんです。せっかくの節目だから」

「それは…悪いことをしたかな」

「気にしないで。オレが勝手にしたかったことですから」


 無表情ながら首を傾ければ、快斗が優しく微笑んで手を取る。そっかと頷き、ひじりは改めて快斗を見上げた。
 20歳という年齢が数時間後に迫ったからか、自分の右手を包む快斗の手が一層大きく思えて目を細める。
 僅か3年。されど3年。若干17歳だった高校生の少年は成人を間近に控え、体つきも更に成熟し大人の男へと変わってきている。幼さがだいぶ抜けた顔はますます父親に似て、けれど確かに快斗のものだ。ひじりが愛する男のもの。


「…さ、ひじりさん。行きましょう」


 繋いだ手に無意識に力をこめれば軽く返されて、優しくとろりとした甘さを含んで細められた青い目に促されたひじりは、ゲートの方を振り返り真っ暗な遊園地に首を傾げた。


「でも、もう閉園したはずじゃ」

「何言ってるんですか。観覧車に乗ってからがオレ達の誕生日でしょ?」


 敬語混じりに言ってくすくすと笑みをもらす快斗に、それはそうだけどと小さく返す。
 確かにこの3年、去年までは当日だったが、誕生日には欠かさずトロピカルランドの観覧車に乗ってきた。あの日の誓いを繰り返して初めて、2人の“誕生日”は終わる。そんなことは分かっている。
 だが、今夜は快斗が「前日にトロピカルランドに待ち合わせして行こう」と譲らず、けれど最近忙しい快斗は仕事で開園時間にどうしても間に合わない。
 どうせ誕生日は明日なのだから明日にすればいいと言ったのだが、決して首を縦に振らなかったから、ここを出発点として別の場所へ、あるいは軽くデートでもして家へ帰るものとばかり思っていたのだけど。
 思わず胡乱げに快斗を見上げると、快斗は全く意に介さず上機嫌に笑いながらひじりの手を引く。


「さぁ、エスコートはオレに任せて」


 笑う快斗が何を考えているのか、年を経る毎に熟練さを増していくポーカーフェイスからは読み取れない。けれど決して悪いものではないことだけははっきりと判るから、ひじりは訝ることをやめて素直に頷いた。


(…でも、今日は本当は快斗の誕生日なんだけどなぁ)


 内心でぽつりと呟き、何だかこれでは逆じゃなかろうかと小さく続ける。
 いや、確かに今日はひじりの誕生日であるとも言えるのだが、それは2人の間でだけの話だ。だから当然力を入れるべきは快斗を祝うことと思っていただけに、エスコートまでされていいのだろうかと無表情の下で考える。


「いいんです」

「?」

ひじりさんがオレに付き合ってくれること。それがオレへの誕生日プレゼントになる」


 やわらかな甘い笑みに、少々の悪戯気も滲ませる快斗。
 何も言っていないし表情も殆ど無いと言うのに相変わらずひじりの思考を読み解くのが得意な様子に、ひじりは小さなため息をつくと気持ちを切り替え、それが快斗の望むことならと心ゆくまで付き合うことに決めた。


「エスコートはよろしくね?」

「もちろん」


 返事と共に手の甲へと唇を落とし、快斗はひじりの手を引いてゲートをくぐる。本来ならチェーンで封鎖されているはずのゲートに今は何もなく、2人はすんなりと園内へ足を踏み入れた。
 照明が殆ど点いていないため園内は暗い。ゆっくりと手を引かれて歩いていたひじりは、十数mは歩いたあたりで快斗が足を止めたためつられて立ち止まった。
 訝る間もなくするりと繋がれていた手が離れる。それに寂しさを覚える前に、おもむろに歩き出した快斗がひじりから数歩分離れた所で立ち止まって振り返った。
 快斗は、その青い目を不敵に細めて唇に弧を描いていた。笑みが動いてすぅっと大きく息を吸う。


「Dear Sleeping Beauty、私の大切な眠り姫!」


 それは久しく聞いていなかった、怪盗キッドがひじりを呼ぶ口上。


「どうか見届けていただきたい─── 私の最後で最初の、あなただけに捧げるこのマジックを!
 永遠に解けることはない、恒久の魔法を!!!


 大仰に手を広げ、唇には涼やかで不敵な笑みを。
 暗闇の中でも煌めく青い目が熱を帯び、成人を数時間後に控えた男がパチンと鋭く指を鳴らした、その瞬間。

 音もなく、駆け抜けるようにゲートを出発点として順に明かりが灯った。

 それは瞬時にひじりを追い抜き快斗を越え、伸び続けた光の絨毯はある地点で波状に広がる。
 メリーゴーランド、ジェットコースター、コーヒーカップ、フリーフォール、回転ブランコ、ゴーカート場、更に多くのアトラクションや施設が一気に光に包まれ、目がくらみそうだった。
 光も単一ではない。白、黄、赤、橙、青、緑。様々な色が組み合わさり、時には混ざり、最後に観覧車へ光が灯って満開の光の花を咲かせ、静寂に包まれていたはずの遊園地は音もなく目覚める。


「…わ、ぁ…」


 さすがに、ひじりの無表情も崩れて驚きに目を瞠る。
 闇から一転して光溢れるその光景に、呆然として思考がついていかなかった。


「今から日付が変わるまで、ここはオレとひじりさんだけの遊び場だ」


 ふとひとり言のような声が聞こえ、快斗を振り返る。
 快斗はライトアップされた園内をぐるりと見渡し、ひじりへ視線を戻して笑みを深めた。


「オレが“大人”になる機会が欲しかった。けどその前に、あなたと最後に思いきり遊びたい」


 大人か子供か。その境界は実は曖昧で、けれど年齢という区切りをつけて人は“大人”になる。
 もう籍を入れているのだから、本当は快斗は2年前に大人の仲間入りを果たしている。
 それでも快斗はまだ未成年。大人か子供か曖昧な境界線の上に立っていた彼は、この日、日付が変わることをもって大人側へと完全に踏み込もうとしている。
 それを悟ったひじりは、そんなに慌てずともいいと言おうとしたが、それが言葉になる前に、快斗の意志のこもった声に引っ込められることとなった。


「そうしてやっと、あなたの隣に“大人”として、並べるんだ」


 そう、とても嬉しそうに言うから。ずっと待ち侘びていたと言外に告げてくるから、もう何も言えなかった。
 時間にして10秒ほど絶句していたひじりは、いつの間にか軽快ながらも音量が絞られた音楽が聞こえることに気づいてゆるく息を吐き出し、おもむろに口を開く。


「快斗。私は快斗が望むだけいくらでも付き合うし、快斗の思いを否定するつもりもない。さすがにこの“ショー”にはすごくびっくりしたけど嫌じゃなくて、でもひとつだけ」

「どうぞ」

「逆じゃない?」


 本来祝うべきはひじりで、祝われるべきは快斗だ。
 この日が2人の誕生日だとしながらもそれは変わりようがなく、ならばひじりの方が、ここまでとは言わなくとも盛大な催しをするべきだった。


「逆もありだと思いまして」


 にまり、快斗が不敵な笑みから悪戯に成功した子供のような満面の笑みを浮かべる。
 3年前にひじりから快斗へプロポーズをしたことは鮮明に憶えている。そのときに「逆じゃないですか」と突っ込まれ、「最近は逆もありだと聞いたけど」と返したことも。
 だが、まさか3年越しにやり返されるとは全く思っておらず、やり返すにしてもここまでするかとひじりは少々呆れ、しかしだからこそ快斗なのだろうと、その頬を優しく緩めて小さな笑みを返した。



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