「撃て」

「……」

「白い鳥が二度と現れないよう、お前の手で撃ち落とせ」

「……」

「そうでなければ、猟師に撃ってもらうだけだ」

「……分かった」





□ 白との邂逅 4 □





 ジンは気づいていた。おそらくキッドがベランダに留まっているのを見たのだろう。
 口振りからどうやら一度しか見ていなかったようで、今までに3回会っていたのだと知ったら即撃ち殺していたかもしれない。そんなことをしなくても、この首に首輪がはめられている限り、逃げ出すはずもないのに。


(…だから、言ったのに)


 二度目に会ったとき、死にたいのか、と。死ぬ目に遭うぞと、脅しと共に忠告したのに。
 内心でため息をつきながら手の中の物体を見下ろす。一丁の拳銃。こめられた弾は一発。ずしりとした重さは紛うことなく本物で、こめられた弾も本物。無骨なそれは、確かな殺人道具。

 ジンは撃てと言った。その言葉の裏にはキッドを殺せと含ませていたが、はっきりと殺せとは言われていない。だから頷いた。
 最近随分機嫌が悪いジンからすれば、ひじりに撃たせるだけ親切なのかもしれない。この間の鍋が効いたか。
 あるいは、自分自身の手によって撃たせることでひじりが銃を撃つ抵抗心を薄めようとでもいうのか。ジンの言うまま知識と技術を詰め込まれてなお、決して直接人を殺したことがなかったから。


「にぃ」

「…危ないよ」


 猫が銃を持つ手にすり寄る。安全装置をかけているが、暴発しないとも限らない。
 甘えてくる猫の首を撫でてやればごろごろと喉を鳴らす。暫くして満足したらしい猫は、ざらりとした舌でひじりの人差し指を舐めると隣に丸くなって目を閉じた。
 眠る猫の縞模様を撫でる。時計もカレンダーもない部屋の中で、カーテンの向こうに見える満月を見上げた。


「…ねむれ、ねむれ」


 歌うように呟き、心の奥底に沈めたものへと囁く。
 眠れ、眠れ。目覚めぬように、ひじりが“人形”としてあるために、眠れ。

 おもむろに立ち上がり、ひじりは窓を開けるとベランダへ出た。
 冬を迎え、すっかり冷え切った風が痩躯の体温を奪う。吐いた息は白く、眼下の街は一層明るさを増していた。

 素早くベランダを見回し、監視カメラや盗聴器がないかを確かめる。何もないことを確かめて小さく息を吐くが、おそらくどこかで見ているだろう。

 白い鳥─── キッドがいつ来るのかと問われ、ひじりは次の満月の晩と素直に答えた。嘘をついたら間違いなくキッドが殺されることを分かっていたからだ。
 だが、本物の銃と共にせっかく見逃せるチャンスを気まぐれにくれたのだ、受け取る以外の選択肢はなかった。

 ジンは今日、敢えて部屋を出た。
 ひじりがキッドを撃ったのを確認したらおそらく戻ってくる。

 分かっている。自分の首にはまった首輪はひじり自身がはめたもの。決して逃げはしない彼女は、優しさと伸ばされた手をもつ白を生かすために、撃つしかない。
 もしひじりの最後の忠告を無視したのならば、キッドは間違いなく殺されるだろう。そうなれば、キッドはただの愚かな道化師だった─── それだけだ。


 ばさり


 思考に耽っていたひじりは、すぐ近くで響いた音に目を開けた。
 満月を背に、脳裏に思い描いていた白が佇んでいる。手すりの上で自分を見下ろしてくる彼の顔は、切なそうな笑みを浮かべていた。


「…こんばんは、美しいレディ」


 耳に馴染む声は優しく、前に「その名前で呼ぶな」と言ったことを覚えているようで、ラプンツェルと呼ばずにキッドはきれいな一礼をする。

 そう、ひじりはラプンツェルではない。
 さらわれ高い塔に閉じこめられた美しい娘ではなく、自ら望んで檻に繋がれたばかな女だ。
 そんな自分に、なぜこの白は会いに来て手を伸ばしたのだろう。


「…キッド、前にも言ったように、あなたはもうここに来てはいけない」

「なぜ?理由を聞かせてください」

「私はあなたと行くことはできません。あなたの手は取れない。そして最初に言ったでしょう、『死にたいんですか?』と」


 風が吹く。冷たく、2人を切り裂くような風が。
 煽られた長い髪を雑に後ろへ払い、ひじりは冷え切った空気を短く吸うと右手に持っていた銃をおもむろにキッドへ向けた。
 揺れることなく照準を合わせられたキッドが音もなく息を呑む。月に照らされ冷たく光るそれに目を見開いていた。


「あなたがここへ迷いこまなければ、私はあなたを撃たずに済んだ」

「…何を…」

「動かないでください。外せば、他の人に殺されてしまう」


 ひじりの決意に満ちた瞳は揺らがない。静かな夜の湖面に似た黒曜が真っ直ぐキッドを見つめている。

 キッドと会って話をしたのは、これで四度目。
 ひじりはジンの“人形”であったから、“人間”としての優しさは、今までの三度の逢瀬でキッドが初めてくれた。
 暖かなマントを貸してくれた。鮮やかな赤と黄をもらった。いつもその声音は優しく、いやになるほど耳に馴染む。
 自分をここから連れ出そうと伸ばす白い手を、しかし取ることはできない。


「…私に優しさをくれて、ありがとうございます。けれどそれは、あなたを追い詰めるだけのものでした」

「……あなたは」

「何も知らず、私のことを忘れ、二度とここへは来ないよう」


 動かない無表情で淡々と言い、照準をキッドの心臓に合わせる。
 撃ち抜けば簡単に死ぬ。人間はかくも脆い。

 ふいに、ちらりと白が視界に降って来た。キッドの白ではない。
 空を覆う薄雲から、ちらちらと雪が降ってきている。気づけば月は雲に隠されていた。


「…ホワイトクリスマス」


 ぽつり、キッドが降りしきる雪を見て呟く。
 日付感覚のないひじりは、その言葉で今日が何の日かを知った。そして、ほんの僅かに唇を歪ませる。それは笑みというにはあまりに歪な。
 そうか、ジンがひじりに銃を渡したのは、何も親切だけではなくて、皮肉だったのだ。この聖なる夜に、神の化身たる白い鳥をひじり自身の手で撃ち落とせという、何とも残酷な。
 ジンの意図を思い知ると同時に、やはり今ここで撃たねば確実に殺されると確信したひじりは、ゆっくりと引き金に指で触れる。


「子供達は明日の朝、プレゼントをもらい喜ぶのでしょうね」

「あなたももらうんですか?キッド、その名前が示す通りに」

「そうですね…ですが私はあくまで泥棒。欲しいものは、自分で手に入れたいのです」


 雪舞う空を背景に、キッドはきれいに笑う。けれどその目が切なそうに細められているのは、欲しいと思ったものが手に入らないと分かったためか。
 ひじりは細く息をついた。吐息は寒さに負けて白く染まり、瞬時に夜気へ溶ける。


「……ひとつだけ、あなたに約束をします」

「え?」


 冷気に負けて指がかじかみつつある。
 確実に撃つためには、もうあまり時間がない。

 だからひとつだけ、一方的な約束をしよう。
 あたたかな優しさをくれたあなたへのお礼に、私と関わってしまった罰に、果たされない約束を。


「今度は、私から会いに行きます。待っていてください。どんなに遠くても、あなたが私を分からなくなっても、必ずあなたに会いに行きます」


 ひじりはジンを裏切らない。ジンは“人形”を手放さない。
 だからこの約束は果たされることはなく、永遠にキッドを待たせることになるだろう。
 キッドが何かを言おうと口を開きかける。それを遮るようにひじりは言葉を続けた。


「そして最後に、問いを残します。私が約束を果たしたときに、その答えを教えてください」


 かじかむひじりの指が引き金にかかる。
 猫のざらりとした舌が舐めた指が、躊躇いなく軽やかに引かれた。


「─── あなたは私のために、死ねますか」


 甲高い音と共に、キッドの首横数cmのところを弾丸が通り過ぎていく。
 約束と問いと弾丸に押されたキッドは、ぐらりと体勢をくずして手すりから滑り落ちていった。
 それを見送ることはない。キッドは生きている。そして二度と、ここへは来ない。
 キッドはひじりの一方的な約束を守ってくれるだろう。たった四度しかまみえることはなかったが、何となく確信していた。

 雪が降る。白が舞う。ようやく震え出した体は、寒さが原因だろうか。
 波紋ひとつない静かな瞳が雲に隠れた月を見上げ、ゆっくりと瞼を下ろした。


(…ねむれ、ねむれ…)


 心の奥底、眠りについているはずのそれに、二度と目覚めることがないよう囁く。
 冷たい風が裂くようにひじりの体を嬲っていき、目を開けたひじりは踵を返して窓を開けた。
 ベッドの上で丸くなっていたはずの猫が、にぃ、と鳴いた。


end.



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