後
呑まれたならば、堕ちるだけだ。
誰かはそう言ってただ嗤う。
□ 呑まれた先は 後 □
「わたしは、みず、が、のみたいだけで、おさけは、ほしく、ない」
酒に焼かれた喉から絞り出された掠れた声が、逆に煽ることをこの女は知らないのだろう。
欲しいと言われたものを決して与えず、欲しくないものを無理やり与えて苦痛に歪む顔は見ていて愉しい。
目だけで抵抗するなと命令すれば仕込まれた体は素直に従い、喉へ指を這わせれば、微かに揺れた漆黒の目がほんの微かな恐怖を宿して思わず嗤う。
そして与えた、2口目。
「ふっ、ん…────!」
びくりと体を跳ねさせ、無意識か服を固く握り締めて耐えようとする彼女に内心でせせら笑う。
慣れない酒の味に体を震わせ、強い意志を湛えていたはずの漆黒の目が急速に光を失くしていく。日焼けを知らない白い肌が熱を帯びると共に紅潮していき、荒い息をこぼす濡れた唇からは酒が溢れ、常の無表情が崩れて歪むさまに征服欲をそそられぞくりとした快感を覚えた。
「お前はこれだけ飲んでいればいい」
冷ややかに嘲笑をこめた言葉は、女には届かなかっただろう。それでも構わないと、喉の奥で笑いながら意識を朦朧とさせ水を乞うた彼女へ三度目の酒を与える。
「じ、ん、やだ、いや、みず…」
しかし、思った以上に限界は近かったようで、彼女はジンの口を力の入らない手で塞いで拒否を示した。
だが、まだ半分も減っていないのだ、この程度で落ちては面白くない。ジンは
ひじりの懇願を聞かず、既に殆ど意識の無い彼女の口を塞ぐ手を軽く払うと四度目の酒を与えた。
「────……」
それが引き金となったか、喉を鳴らした彼女の細く白い腕が力無くソファへと落ちる。
唇を離せば、意識は無いのだろう、完全に光を失くした閉ざされかけた目はゆらゆらと揺れてどこも見ていない。弛緩した体は動き出す気配がなく、薄く開いたままの唇が小さく震えたが音にはならなかった。
「…落ちたか」
思った以上にもたなかったことに軽く落胆のため息をついて、それも仕方がないかと思い直す。元々彼女は寝起きのようであったし、そもそもこの酒は40度近くもあって、初めて酒を口にする者が飲むには強すぎる。
ジンは手に持った酒の瓶を眺めた。白い紙のラベルに書かれた3文字のアルファベット。GINと書かれたそれに僅かに口の端を吊り上げ、身じろぎひとつしない女の肢体を見下ろす。
「お前は俺のものだ。お前が求めるのは、俺だけでいい」
自身のものだと示す証のように伸ばさせている黒髪に触れて冷たく囁けば、時間をかけて仕込まれた体はぴくりと反応を示して掠れた声を発した。
「わたし、は…ジンのもの…」
「俺以外のものは“人形”には必要ない」
「ひつよう…ない」
虚ろな目で繰り返す“人形”に僅かに笑みを深める。
そう、彼女はジンのものだ。だから彼女にはジン以外のものは必要ない。
「『いらない』なんざ、二度と言うな」
「……うん」
氷柱のように鋭く冷たい目を光のない目で見上げ、彼女は承服してゆっくりと目を閉ざした。すぅ、と小さく立てられた寝息を聞いてジンが体を起こす。
ソファに座り直し、中身が半分は残った瓶をテーブルに置いた。
(……フン)
酒がなくなったグラスに氷が溶けて水となり溜まっているのを一瞥し、ジンは内心で鼻を鳴らす。
あの程度─── ジンを見つめてくる彼女に酒を飲みたいのかと訊き、「いらない」と答えられた程度で苛立つとは、自分は思った以上に短気だったようだ。
決してそれだけではないことには気づかぬまま、ジンは眠る女を冷たく一瞥した。
彼女はおそらく、明日は二日酔いになるだろう。
経験したことのない痛みを抱えた彼女を無理やり抱くのもまた一興だが、吐かれる可能性もないとは言い切れないのでやはりやめておくか。
だがいつまでも二日酔いでダウンされるのも面白くないため、ウォッカに薬を用意させることに決めた。
「…っけほ、う…」
ふいに小さな咳が聞こえて、横目に見やれば僅かに顔を歪めて体を丸めた女がそこにおり、それを数秒眺めていたジンはグラスに溜まった水を口に含み、眠って意識のない彼女へ口移しで飲ませた。
先程酒を飲ませたときと違い、舌で唇をこじ開けるだけでただ水を流し込む。こくこく白い喉が動いて素直に水を飲み込み、足りないとねだるように舌を伸ばされてジンは唇を離し舌打ちした。
「氷でも食ってろ」
どうしてか湧き上がる苛立ちのまま吐き捨てるように呟き、アイスペールの中の氷をアイスピックで小さく砕いて彼女の口へ突っ込む。彼女は目を閉じたままもごもごと口を動かし、少しずつ溶けて水となり喉を潤すそれに緩く息をついた。
その様子を見て、ジンは無言でグラスに己の名前を冠した酒を注ぐ。
今まで、“人形”の方から舌を伸ばされたことなどなかった。
それが苛立ちの原因だとは分かっていたがどうしようもなく、ジンはひたすらに不機嫌な様子で酒を煽り続けた。
─── そして翌日、ジンの予想通り二日酔いに苦しむ彼女が沈むベッドの上で不機嫌そうに腕を組みながら一日を潰すジンがいたことを知る者は、同じくベッドの上でマイペースに惰眠を貪っていた猫だけだった。
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